第一章・困惑の女性

「私は、ある印刷工場の男性の元に嫁いだのですが、旦那さんのお母さんからひどく嫌われていまして、よく何でもないことで怒られて、殴られることがあるのです」

「何でもないことって、なんですか」

「家の中の、物の置き位置がちょっと違うとか、汚れがちょっと残ってるとか、ちょっと味が濃いとか、本当に何でもないことです」

――ずいぶんと神経質な姑さんだな。

 そう思いながら、僕は彼女からの次のメッセージを待った。

「まぁ、怒られるのは仕方がないのだと思うのですが、問題は夜なんです。寝室に戻ると、いつも何か視線を感じるんです」

「視線?」

「はい。もちろん、視線の正体を探してみましたけど、何もなかったし、誰かがいた形跡もなかったのです。だけど、毎晩のように視線を感じるのです」

 僕は、警察に知らせたか質問したいのをこらえて、彼女の話の続きを見つめることにした。

「それでも、不安に思いながらもベットの布団に入って、なんとか寝たのですが、朝起きるとたびたび体中にあざができていて、痛いんです」

「こう言っちゃなんですが、寝相が悪いってことないですか」

「そんなことないです。もし本当にそうなら布団がもっと荒れていなければおかしいですけど、布団は荒れてないし、そもそもそんなあざができるほどぶつかったのなら、そばにある棚から物が落ちてきます」

「ごめんなさい、疑ってしまって」

「いえ、私の方こそすいません。つい」

「他には何か変わったことはありましたか」

「ええ、うっすらとした記憶ですけど、私誰かに抱きかかえられてどこかに連れて行かれたことが何度もありました。そのたびに私が着ていたパジャマじゃない服に変わっていました」

――無意識に着替えたのかな。でも何でわざわざ?

「それに、夢にしてはやけにリアルな光景を見ることが多いのです」

「光景?」

「どこかで白い何かを着て私が踊っている光景です。そういう夢のような現実のようなものをみた日の朝は特に体が痛いのです。まるで、一晩中体を動かしまくっていたかのように」

「痛みというのは、筋肉痛のような」

「ええ。でもそれはまだいいのですけど、以前一度だけ、誰かの首筋にナ包丁を突き立てている光景を見ました。いえ、正確には、みたことのあるようなないようなよくわからない男性の首元めがけて包丁を突き刺している、自分の腕と包丁と誰かの苦悶の顔。そして、辺り一面の、」

 そのメッセージから次のメッセージが途絶えた。ログオフしていない証拠に彼女のアバターは、まだそこにいた。おそらく血の海でも見たのだろう、そんなことメッセージに打ち込めるはずもなかった。もちろん本当に虚言でないのならという話だけど。

「それで、そんなものを見た日の朝はどうでした」

「朝目が覚めたら、私はやっぱり着替えさせられていて、いつものように布団で寝ていました。起きたらやけに髪の毛とか布団が湿っていたぐらいでしょうか」

――湿っていたって、まさかなぁ……

「それで、警察には知らせたのですか」

「もちろん、相談しました。ですが、気のせいだと言われてろくに私の話を聞かないのです」

「他に相談できる人は」

「私は、よその土地からここに嫁いできたので、周囲に相談できる人はほとんどいませんでした」

「ほとんど?」

「はい、前は主人や何人かの人に相談しましたが、誰も彼もある日突然人が変わってしまったり、怪我をして私の元からいなくなった人もいました」

――おいおい、なんか急にオカルトめいた話になってきたなぁ。途中で切り上げた方がいいかな。でもなぁ……

 僕は、このまま話を続けていいものかどうかわからず、横でずっと黙り込んでいるチャットできない君さんを見た。自分のアバターの体を少し動かして、横のチャットできない君さんのアバターを見ると、チャットできない君さんのアバターもちょっと動いた。ちゃんとそこにいるという意思表示だろうと思って再び彼女のアバターの方に、自分のアバターの体の向きを変えた。

「ごめんなさい、急にこんな話をして」

「あっ、いや、僕が聞いたことですし、気にしないでください」

 僕は、ここでほんの少し自分の実像を彼女に知らせることにした。

「それとこれからはため口でいいですよ。どうやら僕は年下のようですし。僕は商業高校二年生の学生なんです」

「ああ、そうだったのですか。ごめんなさい、こういうしゃべり方が慣れているから」

「いやでも、普通にした方がキーボードも打ちやすいでしょ」

「そうね、確かに。ありがとうカミナリさん。じゃあそちらのチャットできない君さんも学生さん」

「ぼくは30さい。けいびかいしゃのけいびいん」

「チャットできない君さんチャット苦手なんで、急いでメッセージ送るときはひらがなになりますけど、気にしないでくださいね」

「はい、わかりました」

 そう言ってから僕たちはいったんログオフして解散した。だけど、僕とチャットできない君さんとは、【張りすぎた写真館】でログインしあって、掲示板のような専門の板上で先ほど女性からきいたことについてを話し合った。


「星之介さんは、あの人のことどう思います」

 チャットできない君さんは、よそのサイトでは星之介と名乗っていた。あの名称は、チャット主体となっている【バウバウ】のみで使っている、自分がチャットが苦手であることを示すための名前だった。

「確かに、カミナリ君の言うように、不審な点はいくつもあるけど、でももし本当のことだったらと思うと、心配だね」

「そうなんですよねぇ。それに、彼女がどこに住んでいるかもわからないから、どっちみちどうすることもできないですし」

「そうだね。とにかく、彼女の言動を注意深く見ていこう」

 そう言って僕たちは、【張りすぎた写真館】内のゲーム、箱庭でそれぞれ遊んで、彼女の話した内容に関しては保留にした。


 それから一ヶ月、彼女からその話は出てこなかったし、僕たちからも聞くことはなかった。



〔次話へ続く〕

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