第十話 コンフロント! いずれ相打つ龍と虎の邂逅(後)
「ゲトセクトさん、それは聊か早計っていうものじゃないでしょうか?」
俺の言葉に対し、彼は露骨に嫌悪感を示す。
「なんですかお前は。フレイラ家の資産を得る訳でも無い、ただふわふわと次元を越えてきただけの綿帽子が、この私に話し掛けようというのですか」
……おっと? 今の言い草は、流石に俺もカチンと来たぞ。
でも怒るのはまだだ。
ここはあくまで、大人の男の反応を見せてやるのさ。
「失礼は承知しています。しかし俺はアクアレーナから客人としての、それは十分なおもてなしを頂いているんです。だからあくまで一人の人間としては彼女が困っているのを見過ごせず、故に今日は彼女と共に参ったという訳です」
俺はそう言いながらゲトセクトさんに会釈した。
「ほーん……」
ゲトセクトさんはとぼけたような声を出したけど、でもその目は俺の事を探って来ていると感じられるものへとシフトしていた。
「ダンタリアンさんからの手紙を拝見されて、俺達をこちらに招待して下さったのですよね。彼の手紙に書いていたであろう、貴方に提案をしたいニホン人男性とは俺の事なんですよ」
よし、なんとかここに繋ぐ事が出来たぞ。
「レン様……」
一方のアクアレーナは恍惚とした表情で俺を見てきてる。――うん、キミは後で説教するからね。
「成程、確かにそうでした。私ともあろう者がついそれを忘れていましたよ」
嘘を吐くんじゃあないゲトセクト。大方そっちはそっちで、俺達の人となりを観察する為にわざと自分からは触れなかったんだろう。
俺はもう余計な事は挟まずに、例の話を切り出す事にした。
「それでは、早速本題に入らせて貰います」
「良いですよぉ。たまには喋る綿帽子の話を聞いてみるというのも、
ゲトセクトさんはそう言って俺に続きを促した。
俺を喋る綿帽子扱いにしているのは許せないんだけど、でもそういう言い回しが出来るこの人は確かに、一筋ならではいかない洒落た人物かもしれない。
要するに、食えない奴だっていう事さ。
「俺はアクアレーナと共に、近隣地域の方々に向けてある
「ほう」
ゲトセクトさんは微かに表情を動かした。どうやら興味は有るみたいだ。
「名家の出身者や旅人まで貴賎を問わず、乗馬の腕に自信を持つ者を集めて馬のレースをするんですよ。
そしてそのレースで、フレイラ家の威光が健在だと知らしめるべくアクアレーナに優勝して貰う――と、俺は心の中で付け足した。
「ほほう……。成程ぉ、それは面白い話ですねぇ!」
よし、食い付いてきたぞ。彼的にはこの話にビジネスの匂いを感じ取った筈であり、それは俺が予め読んでいた展開だった。
「アクアレーナさん、貴女にも確認しますが彼の言っている事は本当なんですか?」
ゲトセクトさんに鼻息荒く詰め寄られたアクアレーナが、思わず顔の前に手を置いて防御する。
「ええ、まあ……。でもそれを主導で考えたのは、あくまでこのレン様なのですわ」
そんな状況でも俺を立てる事を欠かさない彼女。――まったくもう、後の説教は少し軽めにしておくよ。
そんな思いで、俺は彼女に目線を送っていた。
「レ、レン様。そんな風に見つめられたら、恥ずかしいです……」
彼女は顔を赤らめながらそんな事を言ってきた。でも今はあくまで、ゲトセクトさんをこの話に乗せる事を中心に会話を進めるけどね。
「で、綿帽子君。お前は私に何をさせたいのかね?」
流石だねゲトセクトさん。綿帽子呼ばわりはムカつくけれど、その話の早さは嫌いじゃないよ。
「そのレースの
「私の見返りは?」
「
「――もう少し、訴求力となる物が欲しいですねぇ。例えばフレイラ家が有する土地の権利なんて、素敵だと思うのですがねぇ?」
ふん、足元を見てくるか。まあこっちも危ない橋を渡っている事は自覚してるさ。
「それならば――」
「構いませんわ」
俺の言葉に被せるように、アクアレーナが言葉を紡いだ。
「アクアレーナ?」
俺が彼女に疑問符を投げ掛けたのは、単純に俺自身が彼女の言葉に驚いていたからだ。ここでその条件を飲む事は想定していなかったからだ。
「ほう、嬉しいですねぇ――」
「ただし、それに関しては流石にこちら側からも条件を提示させて頂きます」
彼女、今度はゲトセクトさんの言葉にまで被せたぞ。
語気が気高く強くて、威厳が伴ってる。ここまで強気な彼女を見るのは初めてかもしれない。
「ほぐっ!?」
言葉を止められたゲトセクトさんがなんか間抜けな声を上げたのがちょっと面白かったけど、でも今はそれを表に出して笑える空気じゃなかった。
「私もレースに選手として参加させて頂きますが、もし私が優勝した暁には優勝賞金の代替えとして、フレイラ家の土地の権利はそのままフレイラ家が保持致します。それが条件ですわ」
おお、これは物凄く筋が通っているぞ……。そう思わずには居られない程の彼女の言い切りようだった。
それはゲトセクトさんも同じなようで、なんか額に青筋を立ててヒクヒクいわせつつも押し込められてしまっている。
「うぬぅ……。先代の陰に隠れていただけの健気なお嬢ちゃんだとばかり思っていましたが、中々に胆力有る決断をなさいますねぇ」
ゲトセクトさんが唸っていた。彼女にこんな気迫の籠った立ち回りをされてしまえば、もう少なくとも土地の権利に関しては一方的に話を進めたりは出来ないだろう。
「ゲトセクトさん、この条件飲んで頂けますか? それと、レン様は決して冴えない男性などでは在りませんわ」
――そんな出だしに言われた言葉を、まだ根に持ってたのかアクアレーナ!? 俺はもう綿帽子の方にばかり気が行ってたよ……。
「くっ。分かりました、それで構いませんよ。――彼も、冴えた綿帽子君です」
変な所で律儀だなゲトセクトさんも!
でもその言葉を聞いたアクアレーナは、なんかご満悦といった感じの良い笑顔になっていた。
「有難う御座います。しかし綿帽子という例えは、こうふわふわと優しくそれでいて雄大にゼルトユニアに舞う、正にレン様にぴったりの素敵な例え方だと思いますわ」
ええー!? キミ、綿帽子は褒め言葉みたいに捉えてたのー!?
いや、彼女に対してはちょっと天然な所が有るとは思ってたけどさ。
なんていうか、やっぱり一緒の時を過ごしてる内に自然と、相手の一味違った一面が見えてくるっていうのは有るんだなぁ。
「それではレースの細かいルールなどは追々考えるとして、出来る事は早速始めるとしましょうかねぇ」
ゲトセクトさんはそう言って、なんか色つきの丸い
「リサベルさん、リサベルさん!」
あの誇り高きまな板ことリサベルさんの名を呼ぶゲトセクトさん。
すると水晶の中から、そのリサベルさんの声が響いてきた。
「親方様、どうかされたんですか?」
そういえば彼女は彼を親方様って呼んでるんだったな。
――ていうかアレか。あれが前に本で読んだトーキング・クリスタルか。
「お前、南西の方に視察に行ってましたね。ならそっち方面の有力な家の者達に、近々馬のレースを行うと伝えて回りなさい」
「えっ、馬のレースですか?」
リサベルさんの素っ頓狂な声が響いて、俺とアクアレーナは思わず顔を見合わせて苦笑いしてしまう。
「まあ最初はそうなるよね」
「リサベルさんは実直に過ぎる所が有りますから、いきなりはきっと特に……」
なんかイメージが付くよ、それ。
「でも、その、親方様。実は今持ってる仕事が難航してしまっていて、すぐには他の場所に回れそうに無いんです……」
水晶の向こうのリサベルさんが、そんな事を言っている。
「なんですって! そういった事はすぐに私に教えるようにと、言ってあるでしょう!」
ゲトセクトさんの方はなんか怒り出してるぞ。大丈夫なのか、リサベルさん。
アクアレーナがそっと俺に耳打ちしてくる。
「リサベルさんは、なんでもすぐ自分だけで背負い込んでしまう所が有りますから……」
「へえ」
いけないなぁ、それは。仕事に於いては
「親方様のお耳に入れる程の事では無いかと思って……」
「その情報に価値が有るかどうかは私が判断するんですよぉ。これはお仕置きが必要ですねぇリサベルさん?」
ばつが悪そうなリサベルさんの声。それに被せるゲトセクトさんのなんともいやらしい声の感じだった。
通話を終えたゲトセクトさんは俺達へと向き直った。
「まったく。使えない部下を持つと上司は苦労しますねぇ」
あー、そこには同意するけどもさ。
「ゲトセクトさん。あの、リサベルさんにあまり酷い事はなさらないで下さいね?」
アクアレーナが心配そうに声を掛ける。しかしゲトセクトさんは苦い顔だ。
「これはあくまでウチの問題です。余所様には首を突っ込まないで頂きたいですな」
その言葉には、彼女の顔色が沈む。
俺は少し迷いながらも、そんな彼女の腕を肘で軽く突いた。
「ほら、しゃんとして」
「レン様、でも……」
「キミはキミ、ゲトセクトさんはゲトセクトさんだ。交渉ではお互いの考えを出し合うけど、彼だって自分の家のトップに立つ身なんだから、彼の家の内情にまで口を挟むのは良くない。そこはちゃんと線引きをしなきゃ駄目だよ」
出来るだけ優しい声色で彼女を諭す。
「……はい」
「ほほう。綿帽子くん、キミは分というものをきちんとわきまえているようですね」
勝ち誇ったような感じのゲトセクトさんには、俺はこう告げる。
「ニホンの職場では色々と揉まれてきたので。こういった事は重々承知しているんですよ」
「ふむ。私も過去数人のニホン人と関係を持ちましたが、多くは異世界に来た事に舞い上がっているだけの、正しく綿帽子というに相応しい小物ばかりでした」
アクアレーナやファリーリーからも、このゼルトユニアではニホン人の転移は珍しくないと聞いてはいたけど……。ゲトセクトさんみたいなタイプの違う人からもニホン人について語られると、また否応無しに信憑性が増すな。
「えっ? 綿帽子って、もしかして悪口――」
「アクアレーナ、良いからキミは少し口を閉じていてくれ」
ゲトセクトさんは俺達を見て「おほん」と咳払いをしてから、改まった感じで言葉を続ける。
「さて、ここからはまたお互いのビジネスの話です。その馬のレースですが、どうせならコースにも力を入れませんか?」
「さて、どのようにですか?」
「馬を走らせ、それを
「広大な、ですか。馬のスタミナの限界については考慮してくれるんでしょうね?」
そんな俺の言葉にアクアレーナが強く反応した。
「レン様っ」
「大丈夫。もし一方的な条件だったら飲む気は無いから」
「いえそうではなくて、馬の身にもなって物事を考えてあげられる事の出来るそのお優しさに感激して、つい……」
そんな風に言いながら、彼女は屈託無い微笑みを向けてきた。
「あ、ああ、そうなんだ……」
い、いけない。なんかちょっと、俺の中でこんな彼女の一面を可愛らしいって思う気持ちが出てきてる気がする……。
「おほん。私に返答させて頂いても良いですかな?」
ゲトセクトさんがなんか居た堪れない様子で言ってきた。あー、ごめんゲトセクトさん、これに関しては貴方への悪気は無いんだよ。
「私とて乗馬は
それは、言えてるね。
「まあそれだけレースでの活躍も広く知れ渡る事になりますから、もしアクアレーナさんが優勝すれば、フレイラ家自体の名声も一気に高まる事に繋がりますよぉ?」
……この人、俺達のそもそもの目的がそこに有る事も薄々感づいてるのか?
これは確かに相当の
「ゲトセクトさんの先見の明には、頭が下がる思いです」
俺は素直な思いで彼にそう告げた。
「嬉しいですねぇ、私は他人から褒めて貰えるのが至福の喜びなんですよぉ。……ねえ、綿帽子君」
突然声に深みが増した彼に、俺もアクアレーナも息を飲む。
「なんですか?」
「お前も、参加してしまいなさいよ。騎乗の選手としてね」
「えっ――?」
なんか思いも寄らない事を言われてしまったぞ。
「いや、残念ですが俺は自分の馬を持っていないんです。だからそれは出来ません」
「そうですか。ならばその馬、私が調達してあげましょう。――丁度良いのが居るんですよ」
ゲトセクトさんがニヤリと笑う。いやらしいのとはまた違う……なんていうか、途方も無い事を考えているかのような、そんな笑みだとそう思えた。
「レン様……」
アクアレーナが目で俺にお止め下さい、と言っていた。
「ゲトセクトさん。もし参加するなら、俺もフレイラ家の人間としてという事で構わないですか?」
「レン様!?」
「ええ、良いですよ。レースの発案者という事を加味した特別待遇という形で、フレイラ家だけは参加枠を二つ用意した――という事にでもすれば自然ですからねぇ」
流石、臨機応変だなこの人。
「分かりました。俺も参加させて貰います。貴方が用意してくれる馬に乗って、ね」
「その即断即決、気に入りましたよ綿帽子君」
「ただ、ちゃんと走れる馬なんでしょうね?」
「実はこの屋敷で今現在飼っているのです。いきなり渡されても困るでしょうから後日フレイラの屋敷まできちんと送り届けますが、その前に一目会ってお行きなさい」
隣でずっとアクアレーナが不安げに俺を見つめてたし、俺自身にも緊張が走ってたけどさ。
でもここで引き下がっちゃダメだろうと、俺のテンションがそう言っていたんだよ。
――第十話 完――
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