第十話 コンフロント! いずれ相打つ龍と虎の邂逅(前)

 セイリン牧場からフレイラ家に戻ってきた時、辺りはすっかり夕焼け空だった。あくまで俺の体感ではあるのだけど、ここ数日の時を過ごす中で、どうやらこのゼルトユニアの時間の流れはニホンと変わらないらしいと気付いた事もまた一つの発見だ。


 だからこの夕焼け時にはニホンの夕刻でそうだったように、俺のお腹が良い具合に鳴っても決して恥じ入る必要は無いのである。


「はあ、もうお腹ぺこぺこだよ。でもこの感じなんだよなぁ、この一働きを終えた後に来る食欲ってのが良いんだよね、やっぱりさ」

 そんな言葉がつい軽い調子で出てしまう。しっかりと内容の有る一日を過ごしたんだから、今ぐらいの時間からは気を抜いたってバチは当たらないさ。


「レン様、お疲れ様でした。――なら今日は、お風呂より先にご飯になさいますか?」

 アクアレーナが朗らかな口調でそう尋ねてくる。流石に結婚について保留にしてる状態で『それとも……』とか言ってこられなくて良かったよ、うん。


「そうだね、ガンコさんの作った夕食を頂こうよ」

 どうやらガンコさんが食卓の場に現れるというのは基本的には無いらしく、あくまで転移初日の夕食時は俺への顔見せの為に出て来てくれたとの事だった。


 だからそれ以後俺は彼と特に会って話とかはしてないのだけど、食事の際は彼への感謝の念を忘れないようにしてる。


 ※


 それから数日の間はまた本を読んだり、アクアレーナの乗馬を見学させて貰ったり、そしてフレイラ家の人々――特にバナリ君とトライザさんと交流をしていった。


 元々彼らが仕えているアクアレーナにとっての大切な客人――である俺に、屋敷の皆がきつく当たる訳は無くて、どっちかといえば大事に扱われる側の俺の方が、気恥かしさから距離を置いていた位でさ。


 でも日にちが経てばそりゃあ俺だってこの屋敷での暮らしに慣れてくるから、必然的に話す言葉も増えていったんだよね。


 ※


 フレイラ家の小姓――いわゆる、貴人に仕え雑務をこなす役の事――を務めるバナリ君は、俺にとって年下の友人とも呼べる親しみ易い男だ。


「レン様にそんな風に言って貰うなんて、自分には勿体無いですよ!」

 こんな風にオーバーリアクションで遠慮してくる姿がユニークだとそう思う。


「アクアレーナが何度もニホン人を召喚しては結婚を断られるのを見ていて、正直な所どう思っていたんだ?」

「そりゃあ自分の事のように悲しかったですよ」

「そんなに彼女を思ってるんなら、親の言い付けに反発してゼルトユニア人同士で、いっそ彼女の人生を自分が一緒になって守ろうだとか、そういう事を思った事は無いか?」


 俺がそんなもしもの話を振ってみると、バナリ君はそれこそ血相を変えて全力で否定したのである。


「とんでもない事を言わないで下さいよ! アクアレーナ様という御方は、自分には重過ぎますから!」

 彼の言い分は、聞いてすぐにもっともだと思えたね。


「分かるよ、バナリ君」

「いえ、レン様は十分には分かってないです! アクアレーナ様の御事情を知って尚、浮ついたり距離を置いたりせずにあの御方と普通の会話が出来るなんて、それだけでも並の男とはかけ離れた器の持ち主でいらっしゃるという事なんですからね!」


「あー、うん」

 ……そうなのかな? ごめん、そこは正直あんまり実感が湧かないよ。


「それにね、レン様。俺は自分よりも尊い特定の人同士が仲良くなっていくさまを、離れて外野から見てるのが凄く好きなんですよ」

「へ、へえ?」


 バナリ君は腕組みしながら、なんか悟ったみたいにうんうんと首を振って続ける。

「良いんですよねぇ。とても、良いんですよ……。尊いお人同士がお互い近い距離に居るのを眺めながら、あの二人はどういった関係なのかと色んな妄想に耽るのが、俺の至福のひとときなんですよレン様」


 あー、ニホンにも居るなぁこいつみたいなタイプ。いわゆるカプ厨ってやつだ。


「分かったバナリ君。俺はお前の幸せに立ち入って邪魔したりする気は無いから安心してくれ」

「嬉しいお言葉です。そんな事をさらりと言えるレン様はやっぱり尊いお人です」

「いや、俺はただのサラリーマンだからね」


「尊いレン様が同じく尊いアクアレーナ様の気持ちに答えてあげてくれたなら、それは俺としては正に史上の喜び……。ああ、きっとそのまま天に召されるだろうなぁ……」

「それは俺には約束出来ないけどね」


 俺は間髪入れずにそう言い放った。これは別に彼が天に召されるのを防ぐ為ではなく、例えば何処か別の尊いカップルを見た際には存分に召されて欲しいとは思ってる。うん、友人として。


 ※


 フレイラ家のメイドの中でもリーダー格と言って良い程の、器量良しなトライザさん。彼女は他のメイドの動きを取り纏めながら、同時に俺の専属メイドをもこなす敏腕だ。


「レン様にとってここが異世界であっても、この私が傍に控えさせて頂く限りは決してご不便は掛けません」


 そう豪語したのは決して伊達じゃなく、俺が早くにゼルトユニアの空気感に馴染めたのも、実は彼女の力が大きいと認めてる。


「トライザさんは、トライザさんにとっての異世界ニホンからこの屋敷に婿が来るという事に、何か思う所は無いの?」


 俺がそんな事を聞いたのは、まあ言ってみれば個人的な興味からだ。仕事に真面目な彼女から見て、余所から来て自分が仕える屋敷の資産を頂く事になる者に対して、どんな印象を抱くのかってさ。


「例えどのような方であれ、もし欠点に塗れた方が来訪されたとて、主君であるアクアレーナ様がお選びになったという事実こそが私にとっては何より重要です。婿様個人にどうこうなどと、私如きが考える事ではありません」


 彼女のこの考えを聞いた時には、正直ニホンの社会で働く上での漠然とした心構えが頭に過った。いわゆる自分は歯車となって働く精神だ。

 けどトライザさんのような出来る人が言うと、これまた妙な味が出る考えとも感じられるんだなって思ったんだ。


「な、成程ね」

「しかし――」


 トライザさんはすっと俺の目を見て、こんな事を言ってくる。


「レン様のように大胆不敵で在らせられる御方を前にしては、このトライザ……気を抜けばきっとその精神のお強さに畏怖し、心押し込まれてしまうでしょう」

「え……?」

「あのアクアレーナ様の御事情をお知りになって尚、乱れぬ熱き気迫を内に秘めて大局を見据えておいでなのですから。そんな貴方様のお世話をさせて頂くのは、メイドとして冥利に尽きる思いです」


 そう言って改まった感じで俺に会釈するトライザさん。

 ち、違う……俺が知ってるニホンの萌え重視なメイド娘とは、根本的に何かが違っている……! なんか侍っぽいんだよ、本当にさ!


 あと、俺はそんな大層な人間なんて自覚無いからね! ただのサラリーマンだよ、サラリーマン!


 ※


 とにかくそんなこんなで、尊い人同士が懇意にしていくさまを見守りたいバナリ君と、いぶし銀な仕事人感覚で主人の私情からは適度な距離を置くトライザさん。


 改めて思えば今俺の置かれている状況は、それは破天荒極まりないのではあるのだけれど。でも周りの人達が俺を中心にするように、それぞれ絶妙にバランスの取れた立ち位置の元に接してくれている為に、俺は自分の思いに集中する事が出来ていたんだよ。


 更にやっぱりもう一人、俺のゼルトユニアでの生活に欠かせない人物はガンコさんだ。


 屋敷の料理長を務めるガンコさん。頑固って言葉と発音が同じで、確かに他の使用人にもかなりはっきりとした態度を取るらしいけど、でも俺にとってはあくまで気の良いおじさんだ。


 ガンコさんはフレイラ家に長年仕える人なんだけど、それ以前は料理人で在りながら流浪の旅を続ける身の上で居たらしい。


 その中でニホン人の和食料理人と出逢い意気投合。その和のテイストを教わり、そしてニホン人との交流に心血を注ぐ先代フレイラ家主人に和食の腕を買われ、屋敷の専属料理人としてスカウトされた。


 今の話はあくまでアクアレーナから教えて貰ったんだけね。でも俺はそんなガンコさんの昔と今に敬意を表してる。


 そんな彼の料理を食べている間はさ、俺としてもいい加減な感じで過ごす気にもなれなくて。――だからなんやかんやと話題を出しては、一緒に食べてるアクアレーナと楽しみながら味わわせて貰ってた。


 この屋敷には陰日向の両方で、俺とアクアレーナの二人の動向を見守ってくれてる人達が居る。


 そういう人が周りに居るというのは、なんか結婚の事に関して外堀を埋められているようで厄介でもあるって思うけどさ。けどただふわふわと他人事のような感覚で状況に流されてしまうよりは気が引き締まって――それを、悪くないって風に思ったりもする。


 なんていうか、なんの問題意識も持たずにただ漠然とダラダラ過ごしてしまうよりは、適度な刺激が有った方が逆に自分の人生生きてるなって思えるっていうかさ。


 まあ、良い時間を過ごしてたんだと思う。


 ……でもって、そんな中ついにゲトセクトさんから――俺とアクアレーナの二人を自分の屋敷に招待するって内容の文章が届いた。


 善は急げというのは『良いと思ったらすぐにやれ』という意味の言葉で、なんとゼルトユニアにも普通に存在する言葉であるらしい。


 この場合のこの言葉の適用者はゲトセクトさんの方だ。忙しい中で自分の予定を俺達の為に空けられるのが明日だけで、だから明日自分の屋敷に来い――というような内容が文章に書かれてあった。

 正に明日なら良いからよし明日、という即断即決だ。


 急な誘いなのは間違い無いけれど、『また今度会いましょう』とかって曖昧な言葉を使った結果結局会わないままとなるよりも、これは俺達にとって有り難過ぎる申し出だと受け取るべきだ。


「勿論行くよね、アクアレーナ」

「はい。私も千載一遇の機会というものは、日頃から強く意識していますから」


 なんかめっちゃ俺を見て言ってきてる。もしかして、俺が結婚する気にいつなるのかを常に気に掛けてるからって、そう言いたいのかも?


 ……まあ良いさ。とにかくここは、善は急げだ!


 ※


 翌日、俺とアクアレーナは馬車でゲトセクトさんの屋敷にやってきた。


 今のアクアレーナは自分の馬を持っているけど、流石に俺を後ろに乗せて遠路を行く訳にも行かなかったから。

 何よりも今回は要人であるゲトセクトさんに会うのが目的だから、安定感の有る馬車を選択するのは当然の選択だ。


 屋敷の大きさはフレイラ家の屋敷とそう変わらないけれど、屋敷を囲む塀の高さはこちらの方が段違い。

 ――そういえばニホンでは、有名人は変な輩から普段の生活を守る為に、家の塀を高くする傾向があるとかって聞いた事があったなぁ。


 そんな事をふと思いながら俺達は、ゲトセクト家の執事に案内されてその高圧的な塀を、正面に備え付けられた門から入っていったのである。


 ※


 通された応接間で、ゲトセクトさんは待っていた。


 今現在フレイラ家に土地の権利奪取の為の圧力を掛けている、その人との対話が始まる。


「やあやあアクアレーナさん。直にお会いするのは久方振りですなぁ」

 年季の入った渋み、それでありながらやや甲高い声質を持つ壮年の男性。それがゲトセクトさんだった。


「ご機嫌麗しゅう、ゲトセクトさん。本日は御招き頂き感謝して居ります」

 アクアレーナが明らかに棘の有る口調で話しているのが、俺にとっては意外というか新鮮だった。


 今日は土地の事とは別件の交渉をしに来たのに、とは思ったけど……でも彼女ならきっと、仕事の上で越えてはいけない一線を越えはしないだろうという信頼が有るから今は黙って見過ごした。


 そして彼女を止めない理由がもう一つ有る。それは俺自身がゲトセクトさんが彼女の口調にどう反応するのかを見定めたいというものだ。


 そんな俺の視線は物ともせずに、ゲトセクトさんは彼女の言葉に鼻を鳴らした。

「フレイラのお嬢様、いきなりの誘いに怒っておいでかな? しかし私程の大事業を纏める身ともなると、あちこちに顔を出さなければ周りの者に示しが付きませんのでなぁ。今日を逃せば次はいつ時間が取れるか分からんかったのですよ」


 営業的見回り、或いは視察――ニホン風に言うとそんな所か。


 ゼルトユニアでも仕事関係に於けるお付き合いというものが活発らしいのは、アクアレーナの日々の奔走を見て知ってたけどね。


 でもゲトセクトさんの慇懃いんぎんな態度から察するに、彼の場合は大きな会社の、その中でも特に偉いとされる人が、たまに他会社に赴いては圧力を掛けていくって感じのイメージが浮かぶ。


 そんな事を考えてた俺がどんな顔をしていたのかは自分では分からない。だけどその俺の視線に振り向いたゲトセクトさんが難色を示したのだから、まあ良い顔では無かったんだろう。


「……そこの冴えない面構えをした男性は?」

 ゲトセクトさんは俺を見ながら、俺ではなくアクアレーナに尋ねてきた。

 ――すぐにこれはいけないってそう思った。


 やはり、俺をけなされたと感じたアクアレーナの眉根がぴくりと動いた。

「この御方はカガミ・レン、私の婚約者様ですわ。――冴えないなどとは、怖れ多い事と存じます」


 い、いやいやそれだけじゃなくてさ、ここはキミの口から俺が、ダンタリアンさんが紹介したがった相手だって事を彼に伝えないとダメだろ!?

 こういう時に初対面の俺からいきなり口を開くのって無遠慮だから、最初はキミに会話の主導権を渡してるんだからね!


「ほほう。噂のエンゲージリンク、その最後のニホンからの来訪者だったか!」

 ゲトセクトさんは派手に驚いていたが、それが大袈裟な芝居であるらしい事は俺には分かっていた。


 何故なら彼は一瞬俺の右手の痣に視線をやって、ふと笑ったからだ。


 彼は以前部下のリサベルさんから、俺の存在とこの痣の力の事を報告されている筈だ。ゼルトユニアへの転移初日に、俺が彼女にそう仕向けさせたんだから間違い無い。

 痣のチートの力について知っていて、彼はまったく動じていない。そんな余裕が彼の腹の底には有るんだ。


「あ……そうなんです! 最後にして最高のっ、私の花婿様なんですよ!」

 ええ!? いやマジかっ!? アクアレーナ、そこでそんな素直にノッて喜んじゃうのかー!


「いや、まだ色々前向きに検討中だというだけで、まだ花婿になると決まってはいないからねっ!」

 くそ、こんな阿呆な返しが彼の前での第一声になるとは……。つい弾みで勢い良く声を発してしまったけど、でもこれは正直話の流れとしてしょうがない……。


「そんな、レン様酷い!」

 アクアレーナの潤んだ視線が心に刺さる。――ええい、まさか俺の事になるとここまで周りが見えなくなるとは……。

 

しかし、少なくともこの場だけで言えば彼女に恥を掻かせるのは失策だったとすぐに思った。


 ゲトセクトさんの表情が怪しく蠢いた、からだ。


「ふむぅ……。彼自身がそう言うのであれば、貴女のエンゲージリンクは成果を上げられないまま終了を遂げた、という事になりますが?」

「いえ、決してそのような事は……」


 くっ、そう繋げてくるか。少しでもこっちに隙が有れば、土地の権利奪取にも着手する抜け目無さ……。

 ここはでも仲睦まじく接するべきだったな。


 ――振り、か。いや待てよ。そういう事なら、まだやりようが有るぞ。


 ――後半へ続く――

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