scene73*「夢」


「夢ってなに?」  そう聞かれたらあたしが聞きたいよ。

「夢ってなに?」って。




【73:夢 】




夕食後に出たデザートの苺を食べていたら、目の前に座りながら同じように苺を食べているお姉ちゃんが私に言った。


「カナエ、アンタやりたい事とか何か無いの?進路調査票だせって担任から連絡あったよ」


その言葉で甘いはずの苺が途端に酸っぱく感じてしまう。 いや、言葉のせいじゃない。きっと今口にした苺はハズレだったんだと思った。

そして、お母さんがちょうどお風呂に入っていてこの場にいなくて助かったと思った。


高2の3学期の今、クラスで進路調査表の提出が遅れているのは私だけだった。

そして何とも間の悪い事に、担任からその電話を受けたのは、たまたま大学の授業が休みで家にいたお姉ちゃんだった。

厳しい目をしながらも私の様子を窺うお姉ちゃんに、私は目も合わせず苺をごくんと飲み込んだ。


「……あるけど、お姉ちゃんには言わないし言いたくないし、言う必要ないし」


嘘。ホントはない。

やりたいことなんて全然ない。


子供じみた考えだけど、小学校や中学校の頃とかは「今日」が永遠に続くと思ってた。

朝起きて学校行ってつまんない授業うけて、友達とふざけてご飯食べて。帰ったらテレビ見て面倒な宿題やって寝る。

それが延々続くわけじゃないって先に進路を歩む姉を見て分かってはいた。

だけど実際は「今日」が永遠の如くあるのかもしれない錯覚を味わっていた。

恥ずかしいぐらいに。


そして将来をちっとも考えなかった私は、土壇場になって困り果てて、挙句には今みたく周りの人にも迷惑をかけている。

だからといってお姉ちゃんから口を出されるのも何だか嫌で、残ったイチゴを物凄い勢いでバクバク食べてしまうと私はそのまま席を立った。

そんな私にすぐ気づいたお姉ちゃんはぴしゃりと釘をさす。


「お皿ぐらい片付けな!赤ちゃんじゃないんだから」


お姉ちゃんは口うるさい。第二のお母さんみたいだ。

しかもいつも正論ばかりなので、それが余計にムカつく。

かっこ悪いけど、言われたとおりにお皿を流しに持っていって軽く洗った。

それきり、お姉ちゃんは何も言わずに苺を食べながらテレビを見ていた。




翌日、朝のHRが終わって移動教室の為に席を立ったところ担任に呼び止められた。

私はすぐに昨日の電話の事だと察する。けれど気まずそうにしてみる間もないまま先生は直球に聞いてきた。


「コジマ。昨日電話したの、家族から聞いたか?」

「……えー、はい……。まぁ……」


つい歯切れの悪い返事になる。

だよね。あーあ、自分が悪いんだけど、どうしようもないし。

適当に「資格系専門」とか「〇〇大学文学部」とか手頃そうな進路先を書けなかった自分を呪ってしまう。

何となく先生と目が合わせられない私は下を向いた。

かたや先生はこういう事が慣れっこなのか、こっちが思うよりも気軽な感じで言った。


「まー、進路って中々決まらないのが進路だから迷って当然だとは思うが、調査票だけでも出してくれ。進路指導室前の廊下、知ってるだろ?色々それに関する本とかあるから見てみてさ……」

「すみません。ちょっと、次の教科係で準備室行かなくちゃなんで」

「あー、そうか。まぁ、でもお前ホントに早く出せよ」


教科係なのは本当だったし、私は先生の言葉を遮るかのようにもっともな言い訳を出して話を終わらせた。

正直、焦りが出る。

友達はみんな出せているのに、私だけはない。かといって、やりたい事なんかわかんない。

昨日のお姉ちゃんの言葉が頭にリフレインした。


“夢、ないの?”


じゃあ、お姉ちゃんは夢あんの?

そう聞いたらきっとこう言い返されるだろう。


“やりたい夢があるから、必要な知識を得るために大学通ってんの”


先生に咄嗟についた嘘。

教科準備室へと急ぐ足は、鉛がついたように重かった。







昼休みになり昼食を済ませた私はゲームに誘う友人を断ると、職員室へと続く渡り廊下でウロウロしていた。

朝から先生に言われたのがずっと引っかかっていて、職員室に隣接する進路指導室前の資料を見てみようと思った。

けれど何の目的もない私がうまく資料を探せるのかも分からないし、何となく勇気がでないまま大して興味もない学校活動が紹介されてる掲示板を眺めていた。


「コジマさ、調査表まだ出せてないの?」


ふいに背中から聞こえた思いがけない声に振り向くと、クラスメイトのキシくんがいた。

手には「進路先一覧表専門学校」と刷られた資料を持っているあたり、おそらく進路指導室から出てきたんだろう。

調査表のことなど先生以外に言われたのは心外だと思った。

どうして知ってるんだろうと思って微妙な気持ちになっていると、それを察したのかキシ君はちょっと頭の後ろをかきながら弁解した。


「いや、俺も遅れてて。再提出しに行ったんだけど、ちょっと内藤がボヤいてたからさ」


キシ君はクラスでもあんまり目立つ方の男の子じゃない。

かといって友達が少ないわけでもなく人となりも、そうとっつきにくくなかった。

躰の線はわりと細く、たしか陸上部に所属していた気がする。

私はキシ君の言葉に、自嘲的に答えてみた。


「……まさにそのとおりだよ。じゃ、キシ君は出せたんだ?」

「まぁね。でもテキトーかも」

「テキトーでも浮かぶんだからエライよ」

「や、でもまだどーなるかわかんねぇし」

「進学?就職?」

「まぁ一応進学、かな」

「やりたい事あるんだ。いいなぁ」

「コジマは何かやりたいことないの?」


そのキシ君の一言で、私はカッと頬が熱くなって、うなじに通っている神経がピリッとした。

私が何気なく漏らした一言にキシ君は何気なく言っただけなのに、それが無意識だからこそ余計に私は苛立った。

そして気が付けば自分の中にある苛立ちを吐き出していた。



「あのさ、やりたい事とか夢とかみんな勝手なこと聞くけどさ、じゃあ夢って何なの?」


「夢が無きゃいけないの?そんなにダメな人間なのかな?」


「それがわかんない事すら許されないみたいで、」


「ホントみんなは見つかって羨ましいよ……!」





それを途中から言ってる時点で、なんて自分は情けなくて惨めなんだろうと思っていたけれど止められなかった。

言いながらもキシ君の顔が見れずに自分の足元しか見ることが出来なかった。


けれど後悔はすぐさまやってきた。

言い終わって自分が何を言ったか我に返ると、急に恥ずかしさと申し訳なさが襲ってきた。



「……ごめん。キシ君。八つ当たりした」


「……見事な八つ当たりっぷりだね。まぁ、いいって。俺もこないだまでそうだったし」


顔を上げると、最初バツが悪そうだったはずの顔が優しい顔に変わっていて、今度は私がバツの悪い顔をしていた。

キシ君になんて返すべきか迷っていると、キシ君は訥々と話し始めた。


「俺んちさ、寝たきりのばあちゃんがいるんだよね。

下の世話とか……まぁ、たまに俺もやっててさ。ホント大変なんだけど。……だけどさぁ、今の自分に何がやれそうかって目を向けてみたら実際はそれなんだよね。俺、なりたいもんとかやりたい事よくわかんないけど、でもばあちゃんの世話しながらこれをちゃんとする事できたらいくらか人の役に立てるかなって考えるようになって。

夢っていうよりも目標みたいだけどさ、自分の道が人の役に立てるかとかそういう事じゃねーんかな」


そう言った。そして慌ててフォローするみたいに 「それにしてもさ『夢』って言葉、何かちょっとうぜーよな」と、付け加えて、まっとうな事を言いながらも最後は不良っぽく笑った。

それを見た瞬間私は心の中にある、硬い石みたいな、きっと意地っ張りな感情なんだと思うけど、その頑固なちょっとだけ軽くなったのがわかった。


私は、八つ当たりした自分のことが改めて恥ずかしくなって所在なさげに俯くとキシ君は優しく言った。


「コジマも大変かもだけどさ、とりあえず、得意じゃなくても今やってる事とか目を向けてみりゃいーじゃん」


顔を上げると、キシ君はまるで私を元気づけるかのように微笑んだ。

キシ君のこういった笑顔をちゃんと見るのは初めてそれを見た私は、柄にもなく胸がどきっとした。

けれどそれを悟られたくなくて頷こうとした時、「「カナエ――――ッ!!!」」と、私を呼ぶバカでかい声と切羽詰まった足音が近づいてきた。


友達が近づいてくる足音が傍までくると「じゃ、俺行くわ。じゃあな。頑張れよ」と、キシ君は私と友達に気遣って教室の方へ向かった。

走ってきた友達はキシ君の背中を見ながら、私と彼の取り合わせに不思議そうな顔をした。


「あれ?今のキシ君じゃん。珍しくない?」

「あぁ、うん。進路指導室で行き会ったんだ。で、何?」

「今度の土曜日空いてる!!?」

「あー、うん。とくに何もないけど……」

「じゃあちょっと買い物付き合って!!!日曜日にヤマ君とのデート決まったんだ!!」

「あー、なるほど。メッセしてたって言ってたもんね。へぇ~進展あったわけか。じゃ、いいよ」

「ありがとーー!カナエさ、服見立てるのセンス良いからホント助かる!!」


あ、と思った。

これかもしれない。

もしかしたらこういう事でもいいのかな。


「カナエ?どした?」


覗き込んだ友達に、私は、なんでもない、と笑顔で首を横にふった。


「じゃ、女の子らしく・かつ動きやすい服装考えなきゃね!」

「さんきゅ――!マジでありがとっ!!」


嬉しそうに歩く友達に、つられてみるように私も軽くスキップしてみた。

重苦しいものはどこかに消えていて、 今度こそお姉ちゃんに何も言わせないぞ、と思った。




( まだ夢と言うには小さいけれど )

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