scene39*「カレンダー」

この日になれば、ようやく会える。


せつない表情でそんなふうに言われたら何にも言えない。

俺の事なんかちっとも眼中にないのに、それでもいいなんて。

彼女の心を待ちわびてしまう自分が情けないにもほどがある。




【39:カレンダー 】



人のものだから欲しいなんて、身の程を知らないやつが思うバカな考えだとずっと思ってた。

自分は絶対にそんな非効率なことはしないし、大概自分に振り向いてもらえる自信があったから。負け戦なんてしない。

だから、今回だって結果としてはそうなるだろうと踏んで、手を出そうと思ってた。

大学生で年上のあの人は、無邪気できれいで優しくて


そして、俺じゃない人に恋している。



「あーっす」

「あーっす、じゃねーよジンナイ。ちゃんと挨拶しろよ」

「あーっす」


そう、先輩に怒られながら出勤のタイムカードを打つ。

タイムカード脇にかかってるホワイトボードを確認すると、俺の探していた名前が出勤メンバーに書かれていた。

出勤はきっと大学が終わってからだから、あと1時間後くらいになるだろうと思いながら、バックヤードで制服に着替えてキャップを被って手を消毒した。


去年の2学期から始めたピザ屋でのバイトは、主に店頭の受け渡しと電話注文、調理に配達だといっても原付の免許をまだ持ってない俺は、主に店内の事を担当している。

顔はそこそこいいからか店頭レジのほうに回されるけど、本当は早く免許とってデリバリーを担当したかったりする。


「じゃ、2件配達行ってきまーす。40分くらいしたら戻ります」

「気をつけてー」


先輩が気だるげに配達に出て行く。

本当はあの先輩こそ顔だけはいいから店頭レジやったらいいのにと思うけど、顔が良い先輩が配達に行ったほうが何故か売り上げと顧客のリピート率が良いんだと店長が言っていた。

先輩も店頭で接客すんのはダルいから、調理と一瞬のやり取りで済む配達のほうがラクみたいで、しばらくレジの仕事は俺がメインになりそうな感じだった。



高1からバイトをはじめて、もうすぐで10ヶ月たとうとしている。

学校の近くだし、金も貯めたかったから即採用になってちょうどよかった。

さっき配達に行った先輩も同じ高校の3年生で、受験勉強は大丈夫なんだろうかと心配になるが、何だかんだ続けているので余裕なんだろう。

レジ金確認をしていたところ、バックヤードからもう一人先輩が出てきて、隣のレジの人と交代した。


「おー、ジンナイ。今日よろしく」

「あっす。リクト先輩、今日レジすか?」

「まぁ裏と両方。さっきヒロム配達行ったろ」

「俺も早く免許とりたいっす」

「まぁ、免許取れてもうちはすぐ初心者にゃ配達行かせないからな」

「リクト先輩も、もう配達行けるんですよね。いいなぁ」

「とりあえずって感じで取った免許が役立つとは思わなかったわ」



レジで隣に並んだ背の高い先輩は、4駅隣の高校に通っているリクトさんだ。

配達に出ているヒロム先輩とは同い年の上にイトコらしくて、ここのバイトも元々ヒロム先輩の友達がバイトしてて、何となく流れで二人一緒にバイトをはじめたらしい。


イトコ同士だからか、二人は妙に雰囲気が似ていて息もぴったりだし、血筋なのか知らないけど見た目もめちゃくちゃかっこいい。

ヒロム先輩は気の強そうな(ちょっと女顔してるけど)顔だちの華やかイケメンで、うちの学校じゃ王子ってあだ名がついてる。

雑誌の街頭スナップとかにもたまに載ったりしてるけど、あだ名をある意味裏切っているのか、裏切らないのか……口が悪い。

そんでもって俺と同じクラスの地味系女子(しかもオタクっぽい)と1年くらいずっと付き合っているのだから人って本当に分からない。

多分ウチの学校に存在している不思議の一つかもしれない。


リクト先輩のほうはヒロム先輩とは正反対の落ち着いた雰囲気で、ヒロム先輩より背が高くて頼れる兄ちゃんって感じだ。

むしろピザ屋なんかじゃなくて、未成年ながらもバーテンダーとかが似合いそうだ。

配達ばっか希望してるヒロム先輩とは違って、ほどよくレジも担当するので、リクト先輩の神対応を目当てに来るお客さんがいるくらいだ。


レジといっても注文票確認したり、調理を手伝うのにピザ切ったり、箱を折ったり合間に電話をとったりでなかなかに忙しい。だけど今日は店長がいないから、緊張感なく色々な雑務をこなしながら喋っていた。


「ヒロム先輩もリクト先輩も受験勉強大丈夫なんすか」

「一応来月から夏期講習通う予定。同じ大学目指しそうだけど」

「どこすか。一人暮らしっすか?」

「一応そのつもり。国立行けたら良いけどそこまで頭良くないから、私立になっちゃうけど、とりあえず俺は○○大の経済か法学部で、ヒロムは理工になりそう」

「あそこの大学、経済もだけど理工って頭いいじゃないすか」

「実はあいつのほうが成績いいんだよ。なにげ数学できるし。人って分かんねーよな」


あんな気だるげで裏で口悪くて、学校で王子とか言われるくらいイケメンなうえに実は成績もいいとか……それなのに地味でオタクの彼女と付き合ってるってホント謎すぎる。


「そういえば、リクト先輩って彼女いるんすか?」

「いるよ」

「やっぱイケメンっているもんなんすね。どういう人なんすか」

「……同じ学校の1個下。お前はどうなんだよ」

「俺、いないっすよ。だからシフト入りまくってるんじゃないすか」

「良い子とかいないの?」

「うーん、実はいるんすけど、難しいっす。好かれてないもんで」

「何だそりゃ。ま、とにかく頑張れよ」


そんなとき、「おはようございまーす」と言いながら店内に入ってきた人がいた。

その人が俺の視界に飛び込んできた瞬間、胸がポッと熱くなって、鼓動が脈うつのが分かった。


「おはようございます」

「あっす」

「こら、ジンナイ君。あっすじゃないでしょ。お客さんいないときで良かったよ。挨拶はちゃんとしてよね」

「……おはようございます」

「それでこそ素晴らしい」



そう快活に言った彼女は、バイトの先輩でいて近くの女子大に通うツバキさんだ。


そして、俺の好きな人。



多分、この人がいるからバイトを続けられていて、何だかんだ言いながら配達に出なくて済むように免許をとらずにいたりするのかもしれない。だって一緒に店内で作業ができるから。


ツバキさんはバックヤードで制服に着替えてレジにきた。

ツバキさんは成人していて、綺麗で真面目で優しくて、年上なのに何故かほっとけなくなる。

たとえわずかな時間でも一緒にいたいけど、彼女は忙しい。

大学で勉強はもちろんだけど、もう一か所、レストランでかけもちのバイトをしているからだ。


「じゃ、ツバキさんにレジお願いします。もう配達からヒロム帰ってくるけど、俺なら急に配達入っても行けるし」

「了解!じゃ、裏お願いね。ジンナイ君もなんか久しぶりじゃない?」

「ツバキさんのほうが久しぶりなんでしょ。ここんとこずっとレストランだったじゃないっすか」


俺がそう素っ気なく言うと、ツバキさんは困ったように微笑んでから、小声で言った。


「だって、あの人が入ってたんだもん」

「例のオッサンすか」

「オッサンじゃないよ!大人なの。いいの、私の憧れなんだから」


思い出すように、ふと瞳を伏せた彼女が綺麗で、ムカつくけどやっぱり好きだと思った。

栗色に染めたショートヘアからのぞく形の良い耳に、キラリと小さく光る花のかたちのダイヤのピアス。

彼女に言わせれば、ただの花じゃなく「カメリア」なのだという。

誕生日にプレゼントされたらしいそれは、自分の名前と同じなのだと、照れながらそっと年明けに打ち明けられた。

俺は話を聞きながら、とにかくずっと不愉快でたまらなかったのを覚えている。


多分、それからだ。俺はツバキさんのことが好きなんだと分かったのは。


「そのオッサンっていつもいる人じゃないんでしょ」

「うん。本社からたまにって感じなんだけど、チーフだし彼がいる時はなるべく出勤したくて」


あほくさ。

俺から言わせれば一回り年上の男なんてオッサンだし、そもそもそいつ結婚してんじゃん。

ツバキさんは付き合ってないし憧れって言ってるけど、俺の勘だけど何となく付き合ってそうだなって思ってる。

じゃなきゃ、ただの大学生バイトに、わざわざ誕生日だからってダイヤの花のピアスなんて贈らない。



「レストランの事務所にね、カレンダーがあるんだけど、先週の日付に彼の名前が書いてあったの見て、ついそっち優先しちゃった。……あんまり会えないから、仕事の話もしたくて」

「ふーん」

「でね、また、再来週にもしかしたらレストランのほう入るかもなんだ。だから……」

「分かってますって。夏休み前に俺も金欲しいし、そもそもツバキさん、レストラン関係の仕事就きたいんでしょ?ここはいいっすから」

「ほんとごめんね。絶対ごちそうする!」

「はいはい。2週間に1回くらいなんすか?オッサン」

「もぉ!……まぁ、2,3週間に2日くらいくるって感じ。だから、ついカレンダーに名前あると、この日になればようやく会えるって思っちゃうんだ。……本当にただの憧れだけどね!」



そんな切なそうな表情して言われたら、俺のこの気持ちはどうしたらいいんだろう。

ひとまわり上のオッサンくらいにでもなれば、器用に感情の折り合いでもつけられるんだろうか。

思わず自分の拳に力が入った。



「ツバキさんさぁ……」

「何?」


その男、どこがいいわけ?サイテーじゃん。


目の前できょとんとして俺を見つめるツバキさんに、思わずそう言いそうになって、だけどそれを言ってしまった後のツバキさんの表情がすぐ浮かんだので、紡ぐのをやめた。


「……何でもない。忘れた。たぶん業務の事」

「えー。大事なことだったら嫌だなぁ。ここ入るの久々だから、思い出したらお願いね」

「はーい」



その日は9時に上がりだったけど、閉店までの夜勤担当の人と、本社での打ち合わせから戻ってきた店長が入ったから、高校生組と一緒にツバキさんも上がりになった。

4人とも駅まで向かうのは同じなので、みんなで一緒に帰ることにした。


「お疲れっす」

「あー腹へった」

「ヒロム、お前裏でミスピザのやつ食ったろ」

「ピザ以外のもん食いたい。リクト、ファミレスいこーぜ」

「やだよ、お前ずっとゲームしてんだもん」

「ヒロムくん、人といるのにそれはないわ」


ぎゅるるるるるる。


3人の先輩が話してるときに、ものすごい音が俺の腹から鳴った。それにみんなビックリして俺を見る。

俺は、しまったと思い、みっともなさに久々に恥ずかしくて何も言わずにいると、先輩3人が小さく噴き出してヒロム先輩が言った。


「じゃ、みんなで行くか。ファミレス」

「ヒロムのおごりだろ」

「は?自分の分は自分だっつの」

「言いだしっぺなんだからそこはヒロムくんでしょう」

「ほら、ジンナイ行くぞ」



俺はコクンと頷き、そのまま先輩たちと駅前のファミレスに行くことにした。




そこそこ遅い時間だというのに、家族連れがたくさんいて店内はファミレスらしく賑やかだった。


とりあえずドリンクバーと、みんなドリアやらハンバーグやら色々頼んで、学校の事とか勉強の事、大学や受験の話をした。


ツバキさんは女子大で栄養学を専攻していて、病院や特養の施設とかに実習に行ったりしている。

その中でたまたま行ったレストランのオーナーとチーフと話が合って、それが縁でたまにだけどバイトさせてもらってるのだ。

ただ、そこのチーフとデキてるなんて、俺くらいしか知らないだろう。


レストランバイトの話になると、表情がより柔らかくなって嬉しそうに喋る。

その様子を目の当たりにしながら話を聞くたびに、俺はひたすら居心地悪く感じてしょうがなく、ずっと黙ってコーラを飲んでいた。


すでに何杯目かのドリンクバーで、ツバキさんが目を輝かせながらヒロム先輩に質問した。


「そういえば、ヒロムくんって彼女いるんだよね?」

「一応。実はジンナイと同級生っす」

「そうなの!?え、長いの?どんな子?」

「俺はあんまり話したことないっすけど、なんか地味っす」

「お前ふざけんなよ。地味とか言うな。ルリは普通だろうが」

「一年くらいっすか?だって全然違うタイプの二人が付き合ってるとか、ウチの学校の不思議っすよ。ヒロム先輩、彼女いても超モテてるし」

「見かけによらず、一途なんだ……」

「それ、俺も同意ですよ。見かけによらないですよね」

「リクト、お前もふざけんなし」

「あ、ヒロムくん雑誌に載ったんでしょ?スナップのやつ」

「あれ、うちの学校のどの教室にも置いてありますよ。クラスの誰かが必ず一冊買ってるみたいで、女子たちが次々見てるから、今月発売のやつにも関わらず既にボロボロでウケますよ」

「あれ俺も見た。ちゃんと彼女の欄に“いる”って答えてて、ヒロムさすがすぎとか思ったわ」

「そもそもあれ、ルリと出かけてた時に話しかけられたし。しかもゲームショウの帰りだったから、オシャレでもなんでもねーし」

「嘘うそ。ゲームショウだろうが、こいつルリちゃんとデートの時は気合入れておめかししてますよ」

「おめかし言うなっつーの!ほんとリクトお前黙れよ」


何だかんだ言いながら仲の良いイトコ同士の二人を前に、ツバキさんと俺は思わず笑ってしまった。



「いいなぁ~。高校生なのにこんなにカッコイイ彼氏に大事にされてるルリちゃんが羨ましくなっちゃう」

「ツバキさんは彼氏、いないんですか?去年の夏くらいっていませんでしたっけ?」


リクト先輩が何気なくツバキさんに質問をした。俺は横目でツバキさんを見る。

ツバキさんはちょっとバツが悪そうにしながらも、質問に答えた。


「今は、いないかなぁー。去年の夏の人とはあの後すぐ別れちゃって。あ、でも好きな人はいるけどねー」


今まで聞いてたツバキさんの話を思いめぐらせると、何となくおそらくオッサンと出会ったのがその頃で、それが原因で彼氏と別れて一途にオッサンを追いかけたんだろうなって気がした。


望みのない相手なのに、自分の恋愛まで手放しちゃって。ホントこの人って周りが見えてないよなって思うほかなかった。

それでも、切なかったり心から嬉しそうな表情を彼女にさせるその恋に、俺の気持ちなんてますます叶わないことを思い知らされた気がして、そう考えてしまうたびに自分の気持ちがどこか空っぽになりそうな気がした。


「やば、そろそろ帰ってレポートやんなきゃ」

「時間も遅いっすからね」

「じゃ、帰るか」



リクト先輩は駅向こうに家があるのと、ツバキさんは地下鉄で帰るとのことで二人とは駅構内で別れた。

ヒロム先輩と俺は電車の方向が同じだったので、電車がくるまで時間が半端だったのもあって無言で待っていた。


先輩はあくびをしながらも、ケータイでメッセージを送っていた。

何となく彼女だろうなって思っていたら、先輩が敵意むきだしの目で俺を睨んできて言ったのだった。


「お前さ、ルリのこと地味っつったろ。覚えてろよ」


あかん。これは完全にガチで怒ってる。

だけど、ブスとか言ったわけじゃないからそこまで怒らなくても良くねぇ?

ヒロム先輩の彼女の顔を思い浮かべてみるけど、正直どんな顔なのか思い出せなかった。メガネやめてコンタクトにしたなーくらいしか思い出せない。


「だって地味じゃないっすか、実際。先輩どっちかってーと派手目の女子と付き合いそうなのに、クラスで目立つほうでもない女子と付き合うのどう考えても不思議っすよ」

「……まぁ、実際関わってきたことがないタイプなうえ付き合ったことないタイプだしな」


「ところで、もうヤッたんすか?」


「は!!??」

「だからセッ」

「ばかかよ!!」

「だって、付き合ってるんなら、もうそうなんだろうなって」

「……言う必要ねーだろ」



耳まで赤くして、明後日の方向を気まずそうに見る。

それを見て、俺は何となく気付く。

ちょっと面白くなってきた俺はイチかバチかでけしかけてみることにした。


「え、ホントにまだなんすか?ヒロム先輩が?超モテてきた先輩が?」

「……だから言う必要ねーだろって言ってるだろうが」

「……それは、宗教上の理由で…?」

「ちげぇよバカ!まだ早いだろ!まだアイツ高2だし」

「え、童貞なんすか先輩」

「お前ふざけてんの?」

「すんません」


ブチ切れかけてる先輩に片手で首を絞められる。

冗談といえどもあまりにガチすぎて、ホントに謝ったら手を離してくれた。

先輩はフンと鼻を鳴らして、照れくさそうに言った。


「……さすがに今度はちゃんと大事にしたいっつーか……ゆっくりあいつに合わせなきゃっつーか……」

「それで先輩は悲しいことに1年以上もヤッてないんすね。聖人君子みてー」

「お前ほんとムカつく」

「彼女いないからひがんでんすよ」

「お前もモテんだろ。ルリと仲良いエミちゃんが言ってたぞ」



先輩から名前が出た、もう一人の同級生の顔が浮かんだ。

エミという子はクラスメイトで、そのエミの幼馴染のユキナによく話しかけられているのは事実だ。

ユキナはそこそこ可愛くて明るくて友達も多くて、泣いたり笑ったり一生懸命で、好きな気持ちも躊躇せず出してくる。

性格もいいから友達としてはすごく楽しいし、ユキナは絶対に俺の事好きなんだろうなって分かってる。

分かってるから、そのまんま素直にユキナみたいな子を彼女にするのが一番良いしラクなんだろうなって思うことだってある。



だけど、そのまま素直に思いきれない。


それでも俺が好きなのは、ツバキさんなんだ。


俺の事なんてちっとも好きじゃない、年上の女のツバキさんなんだ。


他の男のプレゼントに目を輝かせて、きっとそいつに抱かれてるツバキさんなんだ。




「モテないっすよ。だって、好きな人に好かれないっすから」

「……まぁ……分かんなくもねーけどな、それ」


好きな人に好かれなきゃ意味がない。


そんなことは、なまじ顔が良くて女ばっか寄ってくるこの先輩には分かりきってることなのかもしれない。

もしかしたら地味でもその彼女を選んだ理由に、それが大きくあるのかなと思ったけど、そこまで踏み込まれるのはこの人は好きじゃなさそうから言わなかった。



レストランのバイト以外で絶対にツバキさんはオッサンに会ってるに違いないし、その時点で俺が奪うことなんて不可能なくらいに、ツバキさんの心はオッサンのものなんだ。

だから、俺のことなんてちっとも好きじゃないし何とも思ってない。

愚痴でも惚気でも俺に打ち明けてくる。


こんなに残酷な事なんてないのに、それでも胸をときめかせてるツバキさんを見て、ますます綺麗だなって思ってどんどん好きになる。俺のものにできたらいいのにって思う。


……だけど、ツバキさんからしたら、俺はただのガキでしかない。

高校生でお金もそんなになくて、車なんてないしかっこいい時計とかスーツなんてない。

大人なんかじゃない。

どうやっても、ツバキさんが望んでいる男には今すぐなれない。



電車がホームに到着するアナウンスが流れる。それと同時に、先輩に言った。


「先輩、大事にしたいって言いましたけど、好きなら早くヤッちゃったほうがいいっすよ」

「うるせーよ、童貞」

「童貞じゃねーし」

「マジかよ」

「嘘っす、童貞っすよ」

「いや、お前絶対童貞じゃねーだろ」

「あはははは」

「ほんとお前むかつくわ」



ちょうどホームに滑り込んできた電車から吹く風が、ぬるく体をなぞっていく。

その何とも言えない温度に、ツバキさんの顔が浮かんだ。


ツバキさんは、もう駅に着いただろうか。

いっそツバキさんの恋が不幸になればいいのに。


カレンダーにオッサンの名前が書かれなくなって会えなくなって、まわりに全部バレて不幸になって、そうして傍にいる俺の事に気付いて、見てくれてもいいのに。


年上の曖昧なオッサンなんかより、俺のほうが将来有望目指してみせるし長生きできるよ。

答えだってすぐに出せるし、一途にずっと好きでいられると思うし、あんな小さいダイヤのピアスより、確実な指輪をプレゼントできるよ。


まだ何にもないかもしれないけれど、既に結婚してる男よりずっとマシでしょ。


その男なんかより、全部、全部、これから叶えてあげられることばかりだよ。



どんなに腹が立っても、結局あの人を好きなのがやめられない俺は、やっぱり彼女以外の都合の良い人に恋なんてできないって思った。




(  ジンナイくんの秘密の恋  )

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