scene38*「どうぶつ」

生まれ変わったら何になりたいですか?


パンダ。




【38:どうぶつ 】



私のオフィスには、怖い先輩がいる。


仕事は勿論デキる男で、上司からの信頼も厚く、口は悪いけど後輩の面倒見も良い。

だけどその分仕事はほんと鬼で、自分のスピードが速ければ人に求めるものもそれなりだ。


「あのさ、ここ。一体全体どうしたら数字ずれるわけ?」

「つまんねー凡ミスしてんじゃねーよ」

「お前それだけ上から期待されて仕事振られてんだから、そこは頑張れよ」

「俺がやるほうが早いに決まってるけど、俺、千手観音じゃねーから」

「おい、マツムラ!お前こいつの教育係だろうが!ほっといてんじゃねーよ!フジムラにやらせてんじゃねーぞ!」

「効率重視でうるせーなって内心思ってるかもしんねーけど、効率かつ丁寧大事だから」


とにかく人が多いこの商社で、私の所属している部署だけでもざっと数えても60人近く。

契約社員となって3年目くらいだけど、正直そろそろ正社員になりたいなというのが本音だ。


そりゃあ腰かけで仕事して寿退社が理想的かもしれないけれど、このご時世でそんなのはムリな話だ。

だって税金は上がるのにお給料が上がんない世の中だもの。これで仕事辞めたら、何だか勿体ない。

そのためにも、正社員になって産休育休もしっかり使えてバリバリ働きたい。

それには仕事が出来る女にならなきゃいけないわけで……


「ミナミ!」

「は、はい!なんでしょう、トウジョウさん」


ちょうどそのコワイ先輩。トウジョウさんに呼ばれた。

急に名前を呼ばれると嫌な予感でドキドキしてしまう。

まるで学校で先生に呼び出される時みたいに感じるドキドキだ。

先輩のデスクに行くと、さっき渡したデータをプリントアウトされたものをひらりと見せられた。


「これ、さっきお前からもらったやつなんだけど……」

「ま、間違ってましたか!?」


勢い余って自分から言うと、いつもの怖い目がきょとんとした。


あれ?違うのか?一瞬そう思っては、しまった!余計なひと言だったかもしれない!と心の中で蒼ざめた。

トウジョウさんはそんな私の心の中をお見通しなのか、ため息をついて言った。


「俺はそんなに重箱の隅をつつくような男に思われてんのか」

「違います!そんなことないです!」

「いや、自分でもそれは分かってるからいいとして、データは間違ってないから安心しろ。逆によく出来てる。とくにここの顧客の声のアンケート結果部分が分かりやすくて、上の人たちにも見やすくて良いと思う。他の仕事してる中で悪いんだけど、これ会議用に20部コピーしといて。1時間後の会議で報告させてもらう」

「あ、ありがとうございます……」

「俺これから昼飯食うから、できたら会議室Cの部屋に置いといて」


そう言って、財布を持ってトウジョウさんは遅めのランチをとりに席を立った。

この人の事だから15分で戻ってきそうだ。

怒られるとは思ったけど、まさか褒められるとは思わなんだ。

何だか拍子抜けしてしまった私は、そのまま用紙を受け取ってコピー室へ向かった。



「あれ、ミナミちゃんじゃん」

「さっきトウジョウさんに呼ばれてたね」


コピー室に行くと、同僚のマナちゃんとリエちゃんがいた。

コピーとりつつも二人ともちゃっかりコーヒーブレイクしている。

マナちゃんもリエちゃんも、まるでファッション誌から出てきたような華やかOLで、一緒にいるとすこし気おくれしてしまいそうになる。


私は資料をセットして必要な部数をステープラー設定した後コピーボタンを押した。20部だからあっという間に終わりそうだ。


「ねぇ、ミナミちゃんは行く?明後日の社内行事の日帰り旅行」

リエちゃんはコーヒーを飲みながら聞いてきた。


「うん。一応」

私が答えると、マナちゃんがめんどくさそうにため息をつきながら言った。


「私もほんとは別の予定入れちゃってたんだけど、フジムラ先輩が行くみたいだから私も行くことにしたんだけど、行き先がねぇ~」


そうなのだ。

今週末の日曜日に社内親睦会という一大イベントがある。

なんか朝早くにバスに乗って果物狩りやらバーベキューやら、動物公園での散策っていう何とも小学生の遠足みたいな内容で、もちろん参加については希望を募るわけで……。

この企画が発表された時点で絶対に人数集まらないだろうなと思っていたけど本当にそうだった。

たまたま私の仲の良い子が社内旅行の企画担当にいたので、あんまりにも人数が少なすぎて泣きつかれたものだから、私も参加希望を出したのだ。


マナちゃんは先輩社員のフジムラさんとイイ感じで、お付き合いはしていないものの、プロポーズされたら案外すぐ結婚しちゃうんじゃないかって皆噂している。

ついこの間までフジムラさんと同期のマツムラさんに熱を上げてたというのに、マツムラさんが結婚しちゃったもんだからどうなることやらと思っていたけれど、蝶々のようにヒラヒラと花を探すのが得意な同僚はもう何とも思ってないみたいだ。


「マナこそ、フジムラさんともっと仲良くなるチャンスじゃん」

「リエもそう言うんだから。うーん。まぁ……まだわかんないけどっ!さーて、あんまりサボるとトウジョウさんに怒られちゃいそうだから戻んなきゃ」


マナちゃんとリエちゃんは相変わらずゆるいというか……まるで自分の働きっぷりがあくせくしているように思えて、二人みたいに要領よくできればいいのになぁって羨ましくなった。


私も資料づくりはあっという間に終わり、会議室へ持っていくことにした。

何となくトウジョウさんのデスクを見たけど、まだ戻っていないようだった。




会議室は日当たりが良くて、こんな良いお天気の午後なら会議なんてせずにのんびりしたらいいのに、って思ってしまう。

0の字を描くように並べられた机には、すでにレジュメや資料、ドリンクにプロジェクターまでもセットされていて、あとは私の持ってる別添資料を並べればいいだけのようだ。


そうして資料を並べているうちにドアが開く気配がした。

もう上司がきてしまったんだろうかと思ったら、トウジョウさんだった。

一番乗りなんてさすがだ。


「お、ありがとな、ミナミ」

「いえ。ちゃんとランチ食べられましたか?」

「社食でラーメンかっこんできた」

「それなのに細いんですもん。羨ましいです」

「なんか意外だな」


トウジョウさんのほうを見るといつも固い表情をしているそれが、いくらか柔らかいような気がして自分の目を思わず疑ってしまった。


ふと作った笑顔にちょっとドキッとして、だけどそれを気づかれたくなくて平静を装って「何がですか?」と聞いた。

するとトウジョウさんは「いや、ミナミってもっと俺の事怯えきってるかと思ってた。なんかこういう会話したことねぇなって」と言いながら、窓に体を預けて会議で使う資料に目を通した。


資料を片手に持って、もう片方は何か考え事するみたいに顎に手を当てている。

私は返事も忘れて、何だかそれがカッコイイ……なんて見惚れてしまいそうになった。


「そういやお前、日曜の親睦旅行行くの?」

「え?あ、はい。一応……」

「一応ってとこが偉いな」

「トウジョウさんは行きますか?」

「俺も一応、な」

「せっかくのお休みなのに、その……」

「デートできる相手なんて今はいねぇぞ。てかお前それ先輩に聞くの良い度胸じゃねぇか」

「ちがっ……!そういうつもりじゃないですけどっ!いや、えっと……その……」

「じゃあお前はどうなんだよ。彼氏とかいねーのか」

「……いないですよ。いたら参加しませんし」

「社内にもいねーのか。良いなって思ってるやつ」


トウジョウさんをちらと見る。

良いなっていうか……怖いし厳しいけど…先輩以上に仕事できるイイ男っぷりの人、いないんだよなぁ……。


「いないです」

「ぶはっ。なんだその間」


初めてする、冗談みたいな笑いながらの会話が何だか嬉しくて、あと少ししたら本当に上司たちが来ちゃうのに、もう少し、もう少しって気持ちで喋りたくなってしまう。


「あのっ……」

「?」


どうしよう、感情が先走って何も考えずに呼びかけてしまった。

トウジョウさんは不思議な顔をして私を見ている。

私、何を言おうとしたんだっけ……。


「なんだ?どうした?」

「え……と、トウジョウさんは、動物!そう!動物で何が一番好きですか!?」

「いきなりだなおい」

「親睦旅行で動物公園にも行くみたいじゃないですか。それで、トウジョウさんは何の動物お好きなのかな~って……」


苦し紛れだっただろうか。明らかに胡散臭そうな顔をされている。

私はいたたまれなくて目をつむって俯きながら、話の展開下手なバカな自分を呪った。


「……ネコ…かな」


まさかの答えに顔を上げると、困ったように笑う顔があった。


「うちの実家、ネコ飼ってるから。ネコって一緒にいて楽だし手かかんないしいいぞ」

「そうなんですか……うちは弟がネコアレルギーで飼えないから羨ましいです」

「まぁ、実家だけどな。お前、弟いんのか」

「はい。高校生でなんかチャラ男なのかデートばっかしてますよ。私に全然似てないんです」

「まぁ、女でチャラチャラしてるよりかいいじゃん。内緒だけど、フジムラにくっついてるお前の同僚とか内心ムリだわて思うし」


……それ、ある意味マナちゃん嬉しいんじゃないでしょうか。マナちゃんもトウジョウさんの事苦手っぽいし。


心の中で笑いをこらえながら、このわずかな会話がもうそろそろ終わりそうなことに私は感づいていた。


「親睦会、楽しいといいですね」

「ずっとバスで寝てるわ多分」

「あと、さっきの動物のことで、何となく思ったんですけど……」

「何?」

「もうひとつだけ。トウジョウさんは生まれ変わったら何になりたいですか?」


……今度は思いっきり変な顔をしている。

どうかこのまま不機嫌のトウジョウさんに戻ってしまいませんように。

私が黙ったまま答えを待っていると、トウジョウさんは意外にもあっさりと答えた。


「パンダ」


「え!?」


「だから、パンダつってんだろ」


パンダ!?

トウジョウさんには似つかわしくないセリフに、思わずもう一度聞いてしまいそうになった。


「なんでパンダなんですか……」

「お前、ゼッタイ柄じゃねーって思ってるだろ」

「……」

「顔に出過ぎだっつーの」

「スイマセン……」

「あいつら生きてるだけで丸儲けみたいなもんじゃん。ねっ転がったり転ぶだけでキャーキャー言われて、生まれ変わるならあんな風にゆるく生きてみてーなって。それにしても、何だ?心理テストかなんかかよ、ひょっとして」

「……まさしくそうです」

「あーもー女子ってほんとそういうの好きなのな」


呆れながら笑うトウジョウさんが年相応というか、いつもよりもずっと近くに感じて居心地が良くて、本当はもっともっと色んなことを話してみたかったけれど、時間も時間だしネタばれすることにした。


「まず、好きな動物はですね、自分が人から思われたいイメージと、好きな理由は人から言われたら嬉しい言葉なんだそうです」

「つまりはネコか……あ、当たってるかも」

「それで、生まれ変わりたい動物は、」


2つ目のネタばれを言いかけた時、会議室に向かって歩く足音や人の話し声が聞こえて、すぐにドアが開いて上司たちが入ってきた。

時間を見るともう予定していた会議の時間になる頃だった。

いつまでもそこにいて会議の邪魔になるわけにはいかないので、私は会釈して退室しようとした。

「おい、ミナミ!」

突然、トウジョウさんが私の名を呼んだ。


振り向いてみると……タイムアップに納得のいかない苦い顔をしていた。


それが面白くて、申し訳ないけれど笑ってしまう。

きっと内心「てめぇ良い度胸してやがるな!」と私に言ってるに違いない。

ひとまず、上司がわんさかいてこの場は感謝だと思った。

私は( じゃあ、続きは親睦旅行で教えますね )と口パクで先輩に伝えて、そそくさと退散して後ろ手でドアを閉めた。


私の目が捉えたさっきまでのトウジョウさんを思い返す。

浮かぶのは、仕事の指導以外に見た、ちょっと楽しそうな表情ばかりだった。


生まれ変わったら何になりたい?


その答えは……自分がなりたいイメージや人物像だなんて、大事な会議を控えているあの場でまさか言えるはずもなく。


生きてるだけで丸儲けで、ゆるーくノンビリいたいだなんて。

でも、いつもせわしなく厳しい仕事の鬼のトウジョウさんだからこそ、それを無意識に望むのかもしれない。

それにしてもパンダかぁ……。


バリバリ仕事こなしてる人でも、そういう風に思うんだなぁ。


私だけしか知っていない意外な答えを、日曜日まで胸にしまってささやかに楽しもうと思った。




( 会議中、気になってしょうがねぇじゃねぇかよ )

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