ドキドキする

 エプロンを身につけ、ロング手袋を持って洗い場に行くと、そこには乙幡さんと兄がいた。ロング手袋は新しくなっていて、それをはめようとしたら二人からストップがかかる。


「紫音ちゃんはとりあえず食器だけを下げてくれる? 洗うのは俺らがやるから」

「え? でも……」

「無理すんなって」


 乙幡さんにそう言われたものの、手袋をしないと危ないし……と思っていたら、田中さんに呼ばれた。


「はい、なんでしょうか」

「広瀬三佐が来てるの。顔を出してくれる?」

「はい、わかりました」


 エプロンとロング手袋を指定場所にかけ、裏の出入口に行くと広瀬さんがいた。話を聞くと指の状態を見たいと言うので、コートを取りに行くついでに木村さんに広瀬さんに呼ばれたことを話し、許可をもらってからあとをついていく。


「熱は出たかな」

「はい、出ました。でもお薬のおかげで、一日寝てたら下がりました」

「それはよかった。そうそう、診断書を金本三佐に提出したよ。全治二週間ってところかな」

「そうですか……」

「抜糸さえ終われば問題ないから」

「はい」


 医務室に着いたので包帯を取ろうとしたら、広瀬さんがやってくれた。消毒も問題なくできているとのことで、よかったと胸を撫で下ろす。

 消毒してくれたあとでガーゼを巻いて留め、今度は指サックみたいな形の包帯を指に被せる。そして指先がまだ痛いことと薬がなくなりそうなことを話すと、痛み止めと化膿止めのお薬をくれた。

 消毒や綿は市販のでもいいそうだ。


「今日からこの包帯だよ」

「汚れたらどうしたらいいですか?」

「市販されているから、それを使ってもいいよ。あと、明日も出勤かな?」

「わかりました。はい、出勤です」

「なら、明日は十一時半にここに来てくれる?」

「はい」


 仕事中にごめんねと言った広瀬さんに、私もお昼なのに申し訳ありませんと返し、一緒に食堂に行く。途中で別れて中に入ると、コートを脱いで用意を整え、洗い場に行った。

 田中さんがおたまなどの洗い物をしていたので抜けたことをお詫びして、すぐに仕事にかかる。

 エンボス加工の手袋とロング手袋を身につけ、下げられていた食器をシンクの中に入れていく。途中で洗い終わった食器を、指定の位置に戻しに行った乙幡さんや兄の代わりにそこに入り、洗い物をしていく。


「ゆっくりでいいからな?」

「はい」


 二人にそう言われ、できるだけ指先に当たらないようにしながら食器を下げたり洗ったりする。


「紫音ちゃん」

「はい」

「これ、あげる。お見舞いな」

「え……」

「あ、ずりぃ! 俺もこれあげるよ」


 カウンター窓口の外から声をかけられて返事をして顔を見ると、ちょっと前まで食堂の手伝いをしていた人だった。差し出されたのは小さな紙袋で、中にはお菓子とジュースが入っているという。

 二人に差し出されてもらってもいいのかと迷っていたら、「こら、あとにしろよ」と乙幡さんが溜息をつく。

 しかもうしろから腕が伸びてきて、まるで私をうしろから抱きしめてる形になってるから、ドキドキしてくる。


「えー、いいじゃないか、乙幡。俺は夕飯を食わないんだから、今しかチャンスがないんだよ」

「そうだそうだ」

「お前ら……。ちょっと待ってろ、木村一尉に話してくるから」


 紙袋を持って木村さんに話しに行った乙幡さんは、すぐにダンボールを持って戻ってきた。


「これに入れろってよ。紫音ちゃん、もらってやって」

「え、あの、はい。ありがとうございます!」

「いえいえ。仕事は無理しない程度に頑張れよ」

「はい」


 もう一度ありがとうございますとお礼を言い、頭を下げる。ダンボールを渡された隊員さんが中に入っていたらしい紙に何か書くと、ダンボールに貼り付けてカウンターの横に邪魔にならないように置いていた。

 それを皮切りに、次々に声をかけられ、ダンボールの中にビニール袋や小さな紙袋が放り込まれていく。

 その様子を見ていた兄と乙幡さんが顔を引きつらせていた。もちろん、私も。


「……どうしよう。持って帰るの大変かも。お兄ちゃん、少しお裾分けするから、持って帰ってくれる?」

「うーん……」

「ダブってるのだけでいいから」

「それなら……」


 乙幡さんが抜けた隙にお願いし、持って帰ってもらうことに。あとで中にいる他の人にもお願いして、ダブっているのだけでも持って帰ってもらおう。

 他のはここで食べる用と持ち帰る用に分けて、少しずつ持って帰ろう。

 まあ、お菓子はそんなにダブることはなかったから全て持って帰ることにしたんだけど、ジュースに関してはかなりダブってたり苦手なのがある。それは食堂を閉めてから中にいた人にお願いして飲んでもらったり、持って帰ってもらった。

 せっかくくれたのに申し訳なかったんだけど、こればっかりはどうしようもない。

 ダンボールは乙幡さんが運んでくれたので、部屋の入口に置いてもらったんだけど……。


「たくさんもらったねぇ……」

「あはは……」


 それを見た、休憩していた大山さんにも呆れたように言われたけど、私は乾いた笑いしか出なかった。

 少しだけ寝て午後の仕事を頑張り、夜もお菓子とかジュースをもらってしまって内心頭を抱える。そして帰り支度をして持って帰るお菓子やジュースをエコバッグやトートバッグに詰め、重いなあと思いつつ部屋の外に出たら、乙幡さんがいた。


「お疲れ様、紫音ちゃん」

「お疲れ様です」

「これ、俺からのお見舞い」

「え……」


 渡されたのは、某高級で有名なチョコレート店のロゴが入った紙袋。


「いいんですか?」

「ああ。たくさんもらって大変だろうけど」

「いえ、嬉しいです! ありがとうございます!」


 笑顔でお礼を言ったら、乙幡さんも笑顔を頷いていた。


「帰ったらメールするな。その時にデートする場所を決めよう」

「はっ、はいっ」


 デートっ!? なんて思ってたんだけど、午前中に告白まがいなことを言われて連絡先を交換したことを思い出し、つい顔が熱くなる。


「可愛いなあ……」

「え……?」


 乙幡さんの呟きが聞こえたと思って顔を上げたら、顎を捕らえられてチュッ、と掠めるように額に柔らかいものが触れる。


「あ、え、あのっ」

「……唇は、今度な。気をつけて帰るんだぞ?」

「あ、はい。お疲れ様でした」


 一瞬何が起こったかわからなくて呆然としていたら、優しい笑顔で頭を撫でられながらそう言われた。つい普通に返して食堂を出て、ゲートに向かって歩く。


「……キス、された……んだよね……?」


 ひゃあぁぁぁっ! と内心悶えて蹲る。

 まさかキスされるとは思ってもみなかった。そう思ったら心臓が早鐘を打って、ずっとドキドキしてる。


「紫音? どうした? 具合でも悪いか?」


 そう声をかけられて、びくぅ! と肩が跳ねる。慌てて立ち上がり、横を見たら父がいた。


「え、う、ううん、大丈夫! なんでもないよ!」

「そうか? ゲートを出た途中の道で待っているから、そこで荷物を渡しなさい。家まで持ってあげるから」

「うん」


 先に行くよと言って歩き出した父を見送り、私も遅れて歩きだす。ゲートで身分証を見せて出ようとしたら、「ちょっと待って」と言われてしまった。

 今までそんなことはなかったから、何か不備でもあったのかと内心ビクビクしていたら。


「指を切って縫ったんだって? これ、俺ら警邏けいらからお見舞いなんだ。よかったらもらって」

「え……いいんですか?」

「ああ」

「ありがとうございます」


 入口の建物に行ったかと思うと、大きな紙袋を持って来た。渡されたのは、またしても有名なお菓子メーカーの袋だ。

 今日はいろいろもらうなあ……と思いつつ、建物内にいた人やその場にいた人に頭を下げてお礼を言うと、中にいた人は笑顔で手を振ってくれた。

 ゲートにいた人も笑顔で手を振ってくれたので、「お疲れ様でした」と声をかけてゲートを抜ける。

 しばらく歩くと父が待っていて、増えていた荷物を見て苦笑し、エコバッグと大きな紙袋を持ってくれた。


「今度はどこでもらったんだい?」

「ゲートで、警邏からって渡された……」

「ははっ! 人気者だなあ、紫音は」

「そんなことないと思うんだけど……」

「まあ、実際、仕事は褒めていたからな」


 そうなんだ、と返して嬉しくなる。掃除も食器洗いも大変だけど、褒められたら嬉しいし、頑張ろうって思えてくる。

 今日は何を食べたいとか、仕事はどうだったかとか話をしているうちに家に着いたので、先に荷物を部屋に持って行く。洗濯物などを洗濯機に入れ、ジュースなどは一部を除いて冷蔵庫にしまった。

 食後にお風呂に入り、そわそわしながらメールを待つ。それだけで、ドキドキしてしまう。

 本当に来るのかな、とか考えながら、乙幡さんにもらったチョコレートを一口食べたらスマホが鳴った。見たら乙幡さんからのメールで、本当に来た! とちょっと舞い上がってしまう。

 どこか行きたいところはあるか聞かれた。


【この辺りはまるでわからないので、できれば駅前だけでもあちこち案内してほしいです】

【いいよ。あちこち案内するな】


 ニッコリ笑った絵文字付きで、返事が返ってきて嬉しくなる。

 二人の休みが重なっているのは、クリスマスイブだけだ。あとは年末くらいしかない。

 なので、遠くに行くのは冬期期間のお休みにして、今回は案内がてら食事と、時間があったら映画でも見ようということに。そしてお店が開き始める十時に駅で待ち合わせることになった。

 しばらく雑談してからメールを終わらせ、明日も早いからと布団に潜り込む。


「……夢、じゃないよね?」


 本当は、母の血が濃いんじゃないかと疑っているから、恋愛することがすごく怖い。

 いつかふられるかもしれないけど、それまでは……と思い、眠りについた。


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