いろいろと驚いた
いつもならそのまま歩いて帰るんだけど、百均に寄ってビニールの手袋を買わなければならないからと、普段は乗らないバスに乗って駅まで行く。
広瀬さんの説明によると、エンボス加工されたポリエチレンの手袋がいいと言っていたので、それと輪ゴムを買うことにした。
「うーん……ご飯はどうしよう……」
仕事厳禁ということは家でも食事を作れないので、どうするか悩む。今日の分は出来合いのものを買って行くかと、同じビルの地下にスーパーが入っていたのでそこに寄る。
お惣菜や味付けされているお肉を買い、温めたり焼けばいいかとそれにした。焼くだけならフライパンでもできるし、それなら様子を見ながらひっくり返せばいいだけだしね。
麻酔が切れるのに一時間くらいかかると広瀬さんが言っていたので、できればそれまでに帰って料理をしたいと考えていた。
家に着くとまずはお風呂のスイッチを入れて、フライパンを出す。金本さんの話から父が何時に帰ってくるかわからないけど、とりあえず用意だけしようと思って食材をキッチンに置き、荷物を自室に入れて洗濯するものを出した。
制服に血がついてなくてよかったよ、ほんと。
洗濯するものを洗濯機に入れるとお茶を入れる。今日はいろいろあって怠いうえに疲れたし、一休みしてから料理をしたかったのだ。
テレビをつけてニュース番組を出し、それを見るとはなしに見ていたら、指先がピリピリしてきた。
「あ、これが広瀬さんが言ってた麻酔が切れるってやつかな?」
痛くなる前に飲んで大丈夫だと言われていたし、多分これがそうなんだろうと思ってもらった痛み止めを出すと、本格的に痛くなる前にそれを飲む。もしかしたら熱が出るかも知れないとも言われていたので、それはご飯を食べてからでもいいかとまたテレビを見始め、そろそろお肉を焼こうかどうしようかと思っていたら、父が帰って来た。
「お帰りなさい」
「ただいま。紫音、診断書を見た。全治二週間だそうだな」
「そうなの? そこまで聞いてないから知らなかった」
「おや。それは悪かった。今度行った時は知らんぷりをして聞きなさい」
「うん」
帰宅早々、着替えもせずに聞いてきた父に返事をし、先に着替えることをすすめて料理をしようと思ったら、父がやってくれると言うのでお願いする。今日は消毒しなくていいしお風呂もダメだと言われているので、ご飯を食べて薬を飲んだらさっさと寝よう。
父がご飯を作ってくれてそれを食べ終わり、着替えてから薬を飲もうとしたらピンポーンっと鳴った。
「誰だろう?」
「たぶん昂じゃないか?」
そんなことを言いながら父が席を立って応対するとやっぱり兄で、スポーツドリンクやカットしてある果物、プリンやゼリーなどのお菓子を買って来たという。
「大丈夫か、紫音」
「うん」
「というか、紫音、顔が赤くないか?」
「え?」
お風呂あがりでもないのになんで? なんて考えていたら兄の手が伸びてきて、額に触れる。
「紫音、熱があるぞ!」
「あー……広瀬さんにも『熱が出るかも』って言われてたけど、それかな? さっきから怠かったし」
「ほら、一応熱を計りなさい」
「薬は飲んだか?」
「まだ」
父に体温計を渡されてはかると、38度あった。あー、怠かったのはこのせいかー、とボーっとしながら水と薬を渡されたので、痛み止め以外の薬を全て飲む。
「紫音、着替えて寝なさい」
「うん」
体温を計ってしまったせいかなんだか寒気がしてきて、着替えたらすぐに布団に入るように言われてしまった。
「アイス枕はあったっけ?」
「どうだったかな」
「なかったら額に貼る冷やすシートと一緒に買ってくるけど」
そんな父と兄の会話を遠くで聞きながら、いつの間にか寝てしまった。
「紫音、起きられるかい?」
うっすらと目を開けると、父が心配そうな顔をして見ていた。そしてその横には昂兄の奥さん――蓉子さんがいて驚く。
「お義姉さん……?」
「着替え要員で来ただけよ。さあ、汗を拭いてあげるから」
「うん……」
まだ熱があるのか、ボーっとする。身体を拭かれながら時間を聞くと、夜の十一時を過ぎたところだという。
小さいお子さんがいるのにこんな時間に来てもらって申し訳なく思い、謝ると「病人は気にしないの!」と叱られてしまった。
汗を拭いてもらって下着からなにから着替え、タオルを巻いたアイス枕を置かれたところに頭を乗せる。冷たくて気持ちよく、ほうっ、と息をついてしまった。
着替えを持って出た蓉子さんと入れ替わりで父と兄が入ってきて、身体を起こしてからまた熱を計る。さっきよりも落ちていたみたいだけどそれでも高く、兄はスポーツドリンクを手渡してくれたのでそれを飲んだ。
相当喉が渇いていたみたいで、一気に半分近く飲んでしまった。
「このまま朝まで寝てなさい、いいね?」
「うん……」
続いてプリンと解熱剤を渡されたので、プリンを食べてから解熱剤を飲む。それを見た父が寝てろと言うので、そのまま目を瞑るとすぐに寝てしまった。
起きた時は朝で、熱は微熱まで下がっていた。
「……お腹がすいたかも……」
食欲はあまりなかったんだけど、お腹がくぅと小さく鳴ってしまったので、部屋を出た。
「紫音、起きたのか」
「おはよう、お父さん」
「おはよう。おかゆを作ったんだが、食べるかい?」
「うん」
梅干の入ったおかゆを渡され、息を吹きかけ冷ましながら食べる。今日は土曜日なんだけど、珍しいことにシフトはお休みになっていた。
「お父さん、お仕事は? 行かなくていいの?」
「今日はもともと休みなんだ。まあ、何かあったらすぐに行くけどね」
「そっか」
ご飯を食べたあと、出された薬を飲む。指先を消毒しようとしたらやってくれるというのでお願いした。
そのあとは無理を言ってお風呂に入り、全身を丸洗いする。風邪を引いたら困るので、髪を念入りに乾かしてから寝ようと思っていたら、父が布団を取り替えていてくれた。
汗をかいたし天気もいいので、お布団を干すのだそうだ。
布団の中でうつらうつらしながら起こされるとお昼で、今度はうどんを出される。しいたけや海老の天ぷら、かまぼこやねぎ、ほうれん草が入った鍋焼きうどんだ。
ほんと、料理が上手だよなあと父を羨ましく思いつつもそれらを食べ終え、薬を飲むとまた寝た。
夜にはすっかり熱も下がり、指先はまだじんじんとした痛みが続いていた。だけど昨日ほど痛いわけじゃなくて、お薬が効いていることにホッとする。
夜にもう一度お風呂に入ると、たくさん寝たにもかかわらずどうしても眠くて、すぐに寝てしまった。
翌日、父は仕事に行ってしまったので、明日の練習とばかりに部屋の掃除や布団を干し、エンボス加工の手袋をつけて洗い物をしてみた。
「いたっ。うーん……指先に当たるとまだ痛いなあ」
無理をしたらダメだと広瀬さんに言われているので、明日の食器洗いはどうしようと考える。ぞうきんはなんとか絞れたけど、やっぱり洗い物がネックだ。
溜息をついたあと、明日金本さんに相談しようと決め、その日一日を過ごした。
そして翌日。
「おはようございます」
今日は誰にも会わずに食堂に辿り着き、着替えて厨房のほうへ顔を出し、挨拶をする。
「あ、紫音ちゃん! 大丈夫?」
「帰ったら熱が出ちゃったんですけど、大丈夫です」
「あらら……。まあ、熱が出るかも、って言われてたんだもんね、仕方ないか」
田中さんと大山さんがすぐに寄ってきて、心配してくれた。申し訳ないなと思いつつ金本さんがどこにいるか聞こうとしたら、木村さんが寄ってくる。
「おはよう、紫音ちゃん。三佐は今日お休みなんだ。で、三佐から伝言だ。食器洗いは自衛官がフォローするから、急いで洗わなくていいそうだ。掃除に関しても、もし雑巾が絞れないようなら、誰かに声をかけてやってもらって、だそうだ」
「あ……はい、わかりました。ご迷惑をおかけして、申し訳ありません」
「それは違うでしょ? こうなるってわかってるんだから、あんなことをするアイツが悪いのよ」
金本さんの伝言を聞いて申し訳なく思っていたんだけど、木村さんも田中さん、大山さんも、あの彼女さんが悪いと思っているみたい。それを不思議に思ったけど私が聞いていい話じゃないだろうし……と思い、持って来た手袋を嵌めて掃除を始める。
いつもよりも遅かったけどなんとか間に合ったし、雑巾も迷惑をかけることなく絞ることができたから、胸を撫で下ろした。
「あ、紫音ちゃん! 大丈夫か?」
「あ、乙幡さん。はい、大丈夫ですよ」
お昼を食べながら飛んでいたチヌークを見ていたら、乙幡さんに声をかけられた。私の血を見ているせいか、その日のうちに熱が出たことを伝えると、かなり心配させてしまったようだ。
「あ、そうだ。あとで渡したいものがあるんだけど、受け取ってくれるか?」
「いいですよ」
「あと、連絡先を交換しないか?」
「……へ?」
まさかそんなことを言われるとは思わなくて、危うく玉子焼きを落としそうになってしまった。
「ど、どうして……」
「紫音ちゃんとお近づきになりたいから……かな。もっと言えば、紫音ちゃんを恋人にしたい」
そんなことを言ってきた乙幡さんに驚く。どうして私? 他に女性自衛官がいるじゃない。私よりも綺麗な人とか、可愛い人とか。
だけど、正直に言って、乙幡さんのことは最初から気になっていた。なにくれとなく話しかけてきてくれて、緊張をほぐしてくれたし笑わせてもくれた。
「……ダメ、かな」
「えっと、その……私、お付き合いした人がいないんです。だから、どういう返事をしたらいいのかわからないんですけど……。その、私でいいんですか? 他に素敵な人がいっぱいいるのに」
「紫音ちゃんがいいんだよ、俺は。ならさ、まずは連絡先を交換して、デートから始めようか」
「あの、その……」
まさかデートからって言われるとは思わなかった。あれ? でも、デートは普通なのかな?
「どうかな」
「はっ、はい」
「やった! ありがとう、紫音ちゃん!」
「きゃっ!」
返事をしたら、ガバッ! と抱きつかれた。食堂に行く前に連絡先を交換したいと言うので頷き、交換する。
薬を飲まなければならないからと一緒に食堂に行き、途中で別れて休憩する部屋に行った。
「う、そぉ……」
呆然としながらも薬を飲み終え、次に出た言葉がそれだった。夢じゃないかとほっぺたを抓っても痛いし、なんだかじわじわと嬉しくなってくる。
「あ、し、仕事しなきゃ!」
ボーっとしてる場合じゃないと慌てて身支度を整えると、食器を洗うべく洗い場に向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます