お掃除開始

 次に連れて行かれた場所は、配膳するカウンターの横にあった扉だった。そこから出ると、食事をしていた人に一斉に見られて内心ビビる。


「こっちだよ」


 できるだけ視線を気にしないよう金本さんのあとをついていくと、窓際にある扉から外に出た。そこから芝生と滑走路が見える。


「掃除道具はここ。今は基地内の官舎に住んでる人や、外から出勤してきた人が朝食を取っているからできないけど、その人たちがはけたら……というか、時間になったら扉を閉めて追い出すから、そうしたら掃除開始だ」

「どれくらいにはけるんですか?」

「今日は説明などもあるし早く来てもらったからまだいるけど、普段は出勤時間と同じ八時だよ」

「わかりました」


 なるほど、八時に一回閉めるのかと頭の片隅にメモをしておく。それから掃除の手順を聞いた。

 まずは食堂内にあるテーブルクロスでテーブルを拭き、『椅子用』と書かれた雑巾があるので全部の椅子の背もたれと座席部分を拭いたあと、床を掃いてからモップがけをするそうだ。それを目の前にある一般隊員食堂と幹部食堂の両方するのだという。

 さ、三時間あるから何とかなるだろうか……? 間に合うか心配だよ……。

 で、一般のほうは全席が埋まると八十席くらいで、幹部は二十席くらいだそうだ。それを一人で、しかも十一時までに終わらせなければならない。

 午後も同じ要領でやるそうで、休憩がある分午前中よりも忙しいそうだ。ただ、午後に限って言えば派遣の人が二人で掃除だけをしにやってくるので、私が休憩している間にその二人が一番広い食堂を掃除してくれることになっているという。

 私がやる午後の掃除は、幹部の食堂だけでいいそうだ。


「テーブルクロスは中で洗って、それ以外はここの水道を使ってね」

「はい、わかりました」

「じゃあ、中に戻ろうか。洗浄機のところへ行くよ」


 金本さんに促されて中に入ると、また洗浄機があるところに戻る。そこには大人一人が入りこめちゃうくらい大きな鉄のお鍋や大きな寸胴が三つ、すっごく大きなしゃもじやおたまがあって驚く。

 金本さん曰く、ここで一度洗って消毒をしたあと、面接に来た時に皮むきをしていた場所の近くにガス台があるそうで、そこに持っていってその下にしまうそうだ。今日はたまたま鉄のお鍋が置いてあるけど、普段は料理する場所で洗ったりするんだって。

 まあ、寸胴やおたまなどはここに来て洗うことになっているらしい……その部屋だと洗う場所が狭いって理由で。なるほど。


「ここでやることは、さっきも言ったけど洗浄機に食器を入れることだよ。水やお湯を使うから、エプロンと長いゴム手袋をして作業すること。置いてある場所はこっち」


 移動した先はこの部屋の入口近くで、そこには表は白、裏は黄緑色の防水加工されているエプロンと、すっごく長くて白いゴム手袋があった。それにも私の名前が書かれていて、(紫音)となっていて思わず笑ってしまった。


「じゃあ、説明するから、身につけて」

「はい」


 首にかけるところの長さを調節し、エプロンの紐は前で結ぶように言われた。これは長い紐が洗浄機に引っかかったりすると事故に繋がりかねないからだと教わったので、言われた通りに結ぶ。

 怪我なんかして迷惑をかけたくないしね。

 そして長い手袋を嵌めると肩のほうまでくるほどの長さの手袋で、これは中に水が入らないようにしているんだとか。手袋が破けたら、近くにいる自衛官に言うように言われた。


「朝だから少ないけど、昼と夜……特に昼が一番多いから、覚悟しといてね」


 そんなことを言いながらカウンターに乗っていた食器を、水を張ったシンクに入れると、目の前にあったスポンジで軽く擦ってコンベアーに乗せていく。しかもできるだけ同じ食器になるようにしていた。

 どうしてなのか質問すると、うしろにストッパーがあるとはいえ忙しい時は一気にそこにストックされるし、同じものを重ねて早く片付けられるようにするためだという。まあ、忙しいとそんなことも言ってられないけど、とも言っていた。


「じゃあ、やってみて。軽く擦っているように見えるだろうけど、結構力を入れないと、料理によっては落ちない汚れもあるから気をつけて」

「はい」


 そして練習と謂わんばかりに言われた通りに食器を洗い、次々に空いた食器をシンクに入れたりコンベアーに乗せたりすると、動いて勝手に洗浄機の中に入っていく。中ではシャワーみたいな水の音がしていて面白い。


「おー、すごいです!」

「だろう? でも、絶対に中に手を入れたらダメだよ? 中は熱湯だから」

「はい」


 今は班長である金本さん自ら指導がてら手伝ってくれているけど、お昼からは手伝いにくる自衛官や配膳している自衛官がフォローに入ってくれるそうなので、一人でやることはないと聞いてホッとした。

 食器がある程度終わったら、今度はトレーを食器と同じように洗ってコンベアーに乗せる。トレーは必ず伏せて乗せるそうだ。

 お箸は網目の細かい真四角のラックがあって、それに入れてからコンベアーに乗せるそうだ。

 ちなみに、この食器洗浄機は熱湯とその勢いを使って中で洗い、最後は風で水滴を飛ばしてくれるという。だから長いのかと納得した。

 そして汚れていると、衛生観念からやり直しをくらうらしい……気をつけよう。


「今日は練習のためにやってもらったけど、基本的に朝の洗浄は自衛官の仕事だから、やらなくていいからね。出勤してきたらすぐに食堂のお掃除を始めてくれていいよ」

「わかりました」

「じゃあ、八時過ぎたから、食堂のお掃除を始めて。わからないことがあったらそこで料理をしてるから、僕か田中二曹に声をかけてね」

「はい」


 よろしく、と言った金本さんがその場を離れる。私も掃除をするべくその場を離れ、エプロンと手袋を指定されている場所にかけると食堂に出た。

 一度外に出るとモップを絞る道具に水を入れてからそこにモップを入れ、箒とちりとりもそこに用意すると中に入る。

 そしてテーブルに乗っているカウンタークロスを集め、指定された洗面所で洗うとテーブルを拭いていく。


「あ……お醤油が少なくなってる……」


 こういうのはどうしたらいいんだろうと、さっそく声をかけた。


「あの~、金本さん、すみません。テーブルの上に乗っているお醤油の残りが少ないんですけど、こういった残り少ない調味料入れなどはどうしたらいいですか?」

「あ、ごめんね。調味料は僕らが入れて戻すことになっているから、悪いんだけど今日は全部集めてそこのカウンターに乗せてくれるかな?」

「わかりました」


 私が足すわけじゃないとわかってちょっと安心したら、集めろと言われてしまった。まあ、言いだしっぺだから仕方ないかーと諦め、テーブルを拭く前に種類ごとに集めると、それをカウンターに乗せる。

 念のため一声かけ、さてやるか! と気合を入れて掃除をし始めた。


 のはいいんだけど……。


(うう……これは慣れないと大変かも……)


 慣れていないせいかテーブルを拭くにも一苦労だし、箒も自在箒で使い慣れていないせいか、時間がかかってしまった。そして幹部食堂までの掃除が終わったのは本当にギリギリで、あと十分で十一時になるとこだった。


(あ……危なかった……!)


 はーっ、っと息をはくと中に戻り、金本さんに終わったことを告げた。


「お? 思ったよりも早かったね。道具は片付けた?」

「はい。あと質問なんですけど」

「なに?」

「カウンタークロスで汚れているのがあって、洗っても汚れが落ちなかったんです。そういうのはどうしたらいいですか?」


 手に持っていた汚れていたクロスを見せると、なぜか感心したような顔をされた。え? なんでそんな顔? 食堂なのに、汚いテーブルクロスを使うのって普通は嫌だよね?


「へ~……派遣とは違うんだ……。ああ、ごめんね。それは田中二曹に言えば綺麗なのをくれるよ。おーい、田中二曹! 新しいクロスを二枚お願い!」

「はい!」


 金本さんが声をかけると、田中さんが奥に行って新しいクロスを濡らして渡してくれたので、それをテーブルに乗せる。


「終わりました。確認をお願いします」

「はい、ちょっと待ってね」


 本当はそんなことをしなくてもいいって言われたんだけど、かなり焦って仕事をしたし、初めてだからとこっちからお願いしたのだ。

 金本さんが確認をしている間、ドキドキしながら手持ち無沙汰であちこち見回していたら、兄や乙幡さんと目があった。いつ来たんだろう?

 そんなことを考えていたら、乙幡さんは小さくてを振ってくれて、兄はニヤリと笑っていた。


「もう……」


 やっぱ帰ったらなじってやる! と決意を新たにしたところで金本さんが戻ってきて、「合格だよ」と言ってくれたので胸を撫で下ろし、中に戻ると田中さんが近寄ってきた。


「お疲れ様。トイレは大丈夫?」

「今のところは平気ですけど、場所だけ教えてもらえますか?」

「いいわよ」


 こっちよ、と言われてトイレに案内され、トイレに行ったあとは手指の洗浄と消毒用アルコールで消毒することを教わる。そして戻ってくると、「これから汗をかくから」とお水をもらったので飲んだ。


 ……汗をかく? 冬なのに?


 それに首を傾げながら、お昼の食器洗浄任務の用意をするのだった。


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