洗浄機前はまさに戦場だった
洗浄機横のシンクのところに立ち、今日のお昼は揚げ物とスープかー、なんて眺めている。洗浄機を挟んだ向こう側には乙幡さんがいた。
「お腹すいた……」
「だよな。俺も腹減った」
私の呟きが聞こえたのか、乙幡さんが反応した。
「あれ? 乙幡さ……乙幡一尉はまだなんですか?」
「まだだよ。てか、紫音ちゃんは自衛官じゃないんだから、階級なしの乙幡でいいよ」
「そうですか? ありがとうございます。いつご飯を食べるんですか?」
「配膳が終わって、昼の扉を閉めたあとか、配膳を交代しながら食べるんだよ」
「そうなんですか~」
今はまだ皆さんが食事中だから食堂内に聞こえない音量でお喋りをしている余裕があるけど、食器の返却が始まるとそれどころじゃなくなるという。
「そんなに忙しいんですか?」
「ああ。まさに〝戦場〟って感じ」
「洗浄機の前だけに?」
「あははははっ! 面白いことを言うね、紫音ちゃんは!」
ひーひー言いながら乙幡さんは笑ってるけど、そんなに面白いことを言ったかなぁ? だって本当に洗浄機の前じゃない。
しかも、乙幡さんの笑い声が聞こえるのか、目の前と右側から視線がビシバシ飛んでくるので、そろそろ笑うのをやめてほしいです。
やっと笑うのが収まったのか、プライベートなことを聞かれた。年齢とか、どこに住んでるとか。
「年は二十四で、立川市内に住んでます」
「へー。俺と八歳違うのか。ちなみに俺も市内に住んでる」
「そうなんですか~。お仕事は何をされてるか、聞いても大丈夫ですか?」
「おお、それくらいなら構わないよ。俺はUH-47に乗ってるんだ」
「え、チヌたんに乗ってるんですか⁉」
チヌークに乗っているという言葉に思わず反応してしまう。まさかチヌークを見れただけではなく、パイロットまで知り合うとは思わなかったのだ。
「チヌたんって……もしかして、チヌークが好きなのか?」
「はい! 小さいころ、父に連れて行ってもらった航空祭で搭乗体験をしたんですけど、それ以来好きなんです! そのころは日がな一日、窓の外を眺めてました!」
「ははっ! そこまで好きなんだ。それからまた乗れた?」
「ぜんぜんです。家庭の事情でその基地から離れてしまったし、最近ここに引っ越してきて、面接に来た時にやっと見れたくらいですから」
「それまではどうしてたの?」
「SNSで写真を撮っている人をフォローしたりして、それを眺めていました。プラモデルを作るにしても、私はかなり不器用なので作れませんし……」
伯母に教わったり学校の実習で習ったりもしたけど、プラモデルどころか料理もそれほど得意じゃないのだ、私は。簡単なレシピなら本やサイトを見ながらなら作れるけど、創作料理などレシピなしで作るとなると、全く手に負えない。
そんなことを話したら、意外そうな顔をされた。
チヌークでの任務を聞くと、話せる範囲でと言われたうえで話してくれたのは、この基地は防災拠点になっている関係上、災害などがあった時に飛ぶことが多いそうだ。たとえば、山火事があったら消化にあたったり、地震などで孤立した人を助けたり。
そういったこともあって、常に降下訓練やヘリを安定させるための飛行訓練などをしているんだとか。
乙幡さんはパイロットなので、主に飛行訓練が主流らしい。まあ、パイロットは一人だけじゃないので、降下訓練にも参加しているそうだ。
場合によっては、バイクを載せたり車を載せたりするらしい。……乗るのは人間だけだと思っていたから、驚いた。
そんな話をしているうちに、食べ終わったのかポツポツと食器が返却されてくる。中には少し残す人もいるみたいで、そういう人には乙幡さんが「三佐や一尉、二曹たちに怒られるぞ」と言うと、わざとらしく「ひえ~っ!」と言って笑っていた。
残してきたものはどこに捨てるのか聞いてシンク横にある専用のゴミ箱に捨てると、食器を洗ってコンベアーに乗せ、幹部のほうからも返却がされ始めたのでそれも下げる。そこで「お疲れ様。今日からかな?」と声をかけられてそっちを見ると。
「「あ」」
「は、はい。今日からです。よろしくお願いいたします」
「こちらこそ。頼むね」
声をかけてくれたのは、なんと制服を着た父だった。目を細めて笑顔を向けてくれている。
でも、ここで話すわけにはいかないのか、ハンドサインで【夜に電話する】と送ってきたので小さく頷くと、「頑張って」と言って離れた。
「司令自ら声をかけるなんて珍しいな……」
「へ……? し、司令!?」
「ああ。今朝岡崎に会っただろ? あいつの親父なんだと」
「へ~、そうなんですか……」
乙幡さんの言葉に驚く。まさか父がこの基地の司令だとは思わなかった。
……これはヤバいかも……。私が妹や娘だと知られないほうがいいかも、と思った瞬間だった。父から電話が来たら聞いてみよう。
それからも乙幡さんがこの基地に配備されてるヘリコプターの話をしてくれてたんだけど、次々に食器が返却されて来て話をしているどころじゃなくなった。さっさと手を動かさないと、カウンターの上やシンクがいっぱいになってしまうからだ。
(ひぃぃぃっ!)
内心で悲鳴をあげながら、手を動かしては食器をシンクに漬け、洗ってはコンベアーに乗せていく。
――冗談だったのに、洗浄機の傍は戦場でした!
汗をかくとは言われたけど、シンクのお湯と洗浄機から出る温度、私も一般と幹部のカウンター窓口を行ったり来たりしているからか、背中やお腹のあたりに汗をかいているのがわかる。それに常にかがんでいるから、腰や背中も痛い。
水が汚れてきたのでどうするのか聞くと、「隙を見てシンクのお湯を抜いて、入れ替えて」と乙幡さんに言われたので栓を抜き、温度を確かめながら新しいお湯を張る。十二時半を過ぎたころ、「乙幡、交代だ。三佐が飯を食えってさ」と兄が来た。
いいなあ……と思いながらも手を動かし、ようやく一息ついたころ、兄にお水を渡されて飲んだ。
「ありがとうございます」
「どういたしまして。……紫音、元気だったか?」
「うん。お兄ちゃんは?」
「おう、見ての通りだ」
誰もいないことを確かめたのか、小さな声でそう聞かれた。ずっと知らん顔をされるのかと思ってたから、ちょっと嬉しい。
「先日、入間に行ったんだって? 翔が写真付きで『一番乗り!』って自慢しまくったメールを送って来てたぞ?」
「うん。翔兄さんが誘ってくれたの。奥さんも紹介してくれたよ」
「そうか。今度の休みにでも、俺の嫁さんにも会ってくれるか?」
「いいの!? やった!」
昂兄にも奥さんがいるとは思わなかったけど、それでも私に会わせてくれると言ってくれたことが嬉しかった。
そこで兄にも何に乗っているか聞いたら、兄もチヌークに乗っているという。
「今度の航空祭で搭乗体験ができるから、早めに来て並べ。ここの基地の搭乗体験は先着順でチケットを配布するから。融通してやりたいが、それはできないからな」
「そうなの⁉ うん、早く起きて並ぶよ! いいよ、そんなことしなくても。それに他の人にも失礼だもん」
少し余裕が出て来たのでそんな話をしながら二人して手を動かしていく。あっという間に一時になり、食堂は閉められた。
「紫音ちゃん、残りは岡崎一尉と私に任せて、休憩に入って。あと、金本三佐が呼んでいるから、配膳のとこに顔を出してくれる?」
「はい、わかりました」
田中さんが顔を出して変わってくれたので、言われた通りのところに行くと、「ついてきて」と言われて一緒に歩く。
「先にこれの説明をしておくね。これは基地に入る時の許可証を兼ねた身分証なんだけど、もし写真があったら僕にくれる?」
「履歴書に貼ったのと同じサイズのなら、持っています。今渡したほうがいいですか?」
「そうしてくれると助かる」
「では、すぐに持ってきますね」
一緒に行くというのでロッカーがある部屋へと行き、手帳から写真を抜き出すと金本さんに渡した。「すぐにできるからちょっと待ってて」と言われて先ほど行った部屋に戻って待っていると、写真を身分証に貼り付けて渡してくれた。
「はい、どうぞ。入る時と帰る時に、ゲートのところで見せてね。で、今日入口でもらった許可証は、帰りに返しておいてくれるかな」
「はい。わかりました」
「失くさないようにね。あと、これがシフト表だよ。で、相談なんだけど、面接の時には週四日って言ったんだけど、週五日来ることはできるかな」
そんなことを聞かれて驚いた。減らされることはあるかもしれないけど、増えるとは思っていなかったのだ。それに、週五日ならぎりぎりここの給料で生活できるし、掛け持ちでバイトをする必要もなくなる。
「はい、大丈夫です」
「助かる。お休みの希望はあるかい?」
「特にないので、決めていただいて構いません」
「わかった。じゃあ、休憩していいよ。あと、売店が隣の建物にあるからそこで買い物してもいいよ。ただし、駐屯地内から出ないように」
「わかりました」
確かに休憩が二時間あるとはいえ、仕事中だから出たらダメってことなんだろう。返事をしてロッカーがある部屋に行くと、大山さんが何かを飲みながら休憩していた。香りからしてコーヒーだろうか。
「お疲れ様、紫音ちゃん」
「お疲れ様です。あの、ご飯はここで食べていいんですか?」
「ええ、いいわよ。仮眠を取るなら、毛布もあるし」
「え、そうなんですか?」
「ええ。私もたまにここで寝かせてもらっているわ」
「ほえー……」
内緒よ、と笑った大山さんに頷く。ロッカーからお弁当と水筒、タオルを出すと、先に背中やお腹の汗を拭いた。
この部屋はエアコンやストーブがあるけど、冷えたら風邪をひくから先に拭きなさいと大山さん言われたからだ。
汗を拭くと備え付けてあった洗面所で手を洗い、ご飯を食べる。外からヘリコプターの音がしてたから見に行きたかったんだけど、初めてづくしで疲れていたのか、スマホを弄っているうちにいつの間にか眠ってしまった。
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