ありがとうは明日

「はいはいとは何だ!はいはいとは!」

 かっとなった俺の手から、捌こうとしていたブリがすっとんだ。振りかざした重みに握力が負けたらしい。くそっ、油断してただけだ、まったく。

「きゃあ」

 鈍い音のあとにばあさんが悲鳴をあげ、俺は一瞬焦った。やってしまった。大丈夫か。今ので血の気が引いて高血圧が治ったくらいだ。しかしこのくらいで何しとるんだしっかり避けんかい。

「何しとるんだしっかり避けんかい!」

 口をついて出るのはこの言葉だ。自分の悪いところだとは思っている。

「おじいさんと一緒で私も年なんですよ」

 罰当たりなことを、と言うばあさんからブリをぶん取ってバシンと勝手口の戸を閉めた。定年して7年。働いていた頃はどんなに怒鳴りつけても物を投げても、まあ上手く躱して文句の一つも言わず黙っていたこいつが、最近どうも言葉を返す。大したことでもないが、これがいやに癪に触る。そう思って小言を言うとまた、あれやこれやと、何かしら返してくるものだから、調子が狂う。45年勤めた仕事を辞めてから、どうしても張っていられる気が昔ほどは無い。そこへばあさんの口が回るようになってこう押されちゃ、情けない心地になる。

「年か」

 腰の鈍い痛みを無視しながら、ふうっとため息をついた。


「ばあさん、新聞」

 居間の机に、いつもなら置いてあるはずの朝刊が無い。

「おい」

 台所を覗いても姿は見当たらない。畑にでも出ているかと勝手口に向かうも、きっちり鍵がかかっている。寝室の布団はすっかり畳んであったが、どこにも気配を感じない。郵便受けから落ちた朝刊を拾い、ちらりと並んだ靴を見た。いつも一番隅に揃えて置いてあるばあさんの履物は、無かった。

「ばばあになって一丁前に家出か。帰ってきてももう家には入らせんぞ」

 居間の座椅子にどかりと座り、朝刊を広げる。

「おい眼鏡!」

 しんと空気が冷たい。俺はどこへでも眼鏡を放り出してしまうたちで、大抵はばあさんが居間の机に戻しておくのだった。手当たり次第探すが、視界も悪けりゃなかなか見つからない。諦めて再び朝刊を手に取るも、さっぱり読めない。

「くそっ、どこへ隠しやがって」

 朝刊を放り投げ、代わりに息子の嫁から届いたアルバムを開く。先週行った孫娘の運動会の写真だ。この子は足が速い。思わず周りの保護者に「あれうちの孫なんですよ!」と言ってしまった。ばあさんにはたしなめられたが、その顔はまんざらでもなさそうだった。

 何枚かページをめくっていると、小さな紙がひらりと落ちた。

「なんだ」

 紙切れに書いてあったのは、ばあさんの字だ。

『眼鏡は風呂場のカゴの中ですよ』

 ブリ事件のあとどうにも気まずく、風呂から上がっていつもなら居間でテレビを見るところを昨晩はそのまま布団に入ったのだった。カゴの中の洗濯物を引き上げると、そこに眼鏡はあった。

 知っているなら机に置いとけばいいものを、と鼻白みつつ居間に戻る。息子達の運動会には、一度も行くことが無かった。休日出勤が当たり前の職場で、一家の大黒柱として仕事に打ち込むことは、誇らしくさえ思っていた。だが、一度くらい我が子の晴れ舞台をこの目で見ればよかったと、ほんの少し後悔の念もある。だから昨日、一緒に写真を見ながら「友一や友則のときは行けた試しがありませんでしたものね」と言われ、嫌味かと怒鳴り返してしまった。そうじゃありませんよ、と言う寂しそうな顔が今になって鮮明に思い出される。居間の硝子棚の中には、孫のものに加えて息子達のアルバムが並ぶ。ろくに起きている子どもに会えない夫に、その成長を共に喜びたい一心で作ってくれたのだった。お前の作ってくれた思い出が父親としての喜びを確かに感じさせてくれたなどと、口が裂けても言えまい。


 夕方、煎餅に手を伸ばすと缶は空っぽで、底に『新しいものは食器だなの下の引き戸』と書いてある。茶を入れようにも急須が無いと思ったら、茶っ葉のフタに『急須は乾そう機の中』ときた。トイレに入ると『トイレットペーパーは上のたな』とでかでかと貼り紙がしてある。あなたのことはお見通しだと言わんばかりにあちこちから見つかるメモ書きに踊らされているようで面映ゆさを感じていた俺は、ふふんと鼻を鳴らした。

「残念だったな、まだ無くなっとらんわい」

 しかしふと、無くなるまで、いや、もう帰ってこないつもりではないかと思い至った。途端に得意な気持ちに冷や水が浴びせられる。あいつの行く所なんぞ、息子の家くらいだ。きっと友則の方だ。あそこの嫁とは仲が良い。汽車に乗ったとすれば、もうとっくに着いている頃。あの嫁なら連絡して来そうなものだが、ばあさんが口止めしているのだろう。俺が焦っている今この時、孫と夕方の子供番組でも見ているのだろうか。けしからん。電話をしようか。何と言ってやろうか。しかし、もしいなかったら。嫁に「ばあさんが出て行った」なんて言ったら恥さらしだ。普段は歯向かわない息子達も、ここぞとばかりに責め立てるだろう。そうだ、さすがに連絡なしに息子の家に押しかけるような姑ではない。きっと電話の一本でも入れていたはずだ。

 でかでかと『発信履歴』と書いてあるボタンを押す。友則の家に掛けていなきゃ、行っていないということだ。大方、町の公民館かどっかで編み物でもしているのだろう。最後の発信履歴は昨日夜。俺がふて寝したあとだ。番号は、友則の家のものだった。


 電話の前で小一時間は経った。どうやら本当にあいつは出て行ってしまったらしい。ブリのせいか?いや、とっくに愛想を尽かされていたのかもしれない。たった一言、感謝と詫びの言葉というものは、近しい人ほど重たく喉をすんなりとは通らない。しかし、今言わずしていつ言うのか。本当に取り返しのつかなくなる前に。

 意を決して受話器を取り、ボタンに指を当てたそのとき、ガラリと戸の開く音がした。

「ただいま帰りましたよ」

 帰ってきた。慌てて玄関に飛び出しかけたところを踏みとどまり、さも何気ない風にのれんを少し上げると、あっけらかんとした顔でばあさんが立っていた。手には和菓子屋、岸田屋さんの紙袋を持っている。そこの奥さんとばあさんはよく一緒に町に出る仲だ。もしや今日一日、はす向かいの岸田屋の母屋にいたというのだろうか。拍子抜けするやら、ほっとするやらで、頬が緩みそうになるのを堪えた。しかし黙っていなくなるとは趣味が悪い。

「苗植えをわし一人でやらせるつもりだったんか!何も言わず出て行きよって!」

「はいはい、すみません」

 くすくす笑いながらばあさんが答える。

「はいはいとは何だ。はいはいとは」

 言い返す声に自分でも覇気の無さを感じる。本当に言いたいのはこんなことではない。なんとも情けない。だが人はそう簡単には変われんのだ。明日にしよう。明日がだめなら明後日にしよう。そうこうしているうちにどっちかあの世へ逝くかもしれんが、そうなったらあの世で言おう。どうせこのばあさんは全部お見通しなんだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る