おとぎ話は夕暮れに

「なにしてるの」

 女は言った。

「遊んでるの」

 5歳くらいの男の子はじっと前を見たまま答えた。年の瀬の、街の喧騒から離れた小さな公園。今は誰も住んでいない団地の一角に忘れ去られた、滑り台とブランコしかない公園。大人の腰ほどの雑草が茂る中に、男の子は体操座りをしていた。

「遊んでるようには見えないけど」

「遊んでるの」

 男の子は頑なに言った。しかしその声に力はなかった。

 女はしばし男の子を見つめて、ゆっくりと隣に腰を下ろした。

「寒くないの」

 青色の長袖トレーナーに、半ズボンからは細い足が出ている。最高気温が10℃を下回る時期としては、心許ない出で立ちをしている。

「寒くない」

 そう言い張るが、顔色はあまり良いとは言えない。

「そうか。君は風の子か」

 女の言葉に男の子が初めて女を見た。目が見開かれて、心なしか動揺が見え隠れした。

「ちがう。ボクはママの子どもだもん」

「ああ、知らないのか、風の子。子どもは風の子元気な子。だから子どもは寒いのがへっちゃらっていう意味だよ」

「ふーん」

 興味が無さそうに、男の子は膝の前で組んだ手を一層きつく組み直す。

「君、いくつなの」

「7才。でももうちょっとで8才」

「……そう。じゃあ2年生か」

 お世辞にも小学校に上がっているようには見えない。ただ、しっかりした物言いから考えると納得がいく。

「ううん」

 男の子がかぶりをふる。

「小学校行かないから、2年生じゃない」

「小学校行かせてもらってないの」

「行、か、な、い、の」

 女を睨んで強調するように言った。

「どうして」

「ママがいるから」

「……そのママが心配するから帰りな」

 女がそう言うと男の子はほんの少し表情を曇らせる。

「ここで待ってたら迎えにきてあげるってママ言ったもん。だからここにいるの」

「でも、もう暗くなってきたよ。家分かんないの」

「だめなの」

「何が」

「パパがいるからおうちだめなの」

「どうして」

「ママがだめって…」

 しりすぼみになった声が少し震えたようだった。俯いている横顔は、随分伸びた髪に隠されて見えない。そこで女はすっと立ち上がった。勢いよく男の子が顔をあげる。

「じゃあね」

「帰っちゃうの」

 女は無言で頷いて公園を後にした。行かないで、という声は余りに小さく、きっと誰にも届かない。


 夕暮れ時。忘れ去られた公園にはやはり、誰も来ない。女を見上げる男の子の目はもう焦点を合わさなかった。それでも、女が現れたことが嬉しかったのか、ほんの少し口角が上がる。そんな男の子をじっと見つめてから、女は3日前と同じように隣に腰を下ろす。

「ママね…もう来ないと思う」

「そうか」

 男の子の声はか細く、空気が揺れるとかき消されてしまいそうだった。

「ママ、今のパパが…すごく好き。…たぶん……ボクより好き」

「……」

「ボクはね…前のパパの方が好き…」

「優しかったの」

「ううん…いつもね、怒ってた…」

「じゃあ、どうして」

「あのね…ピーナッツ、くれた。お酒飲むときのね、おつまみ。辛いのは…パパで、ボクに、ピーナッツ。ボク辛いの食べれないから…辛いの全部取って、くれた。パパのティッシュには辛いの、で、ボクの…は…ピーナッツ…」

 ぼんやりとした声がふいに途切れ、男の子の瞼が、眠そうに瞬いた。寒い…と男の子が言う。女は、腕を伸ばして、そっと男の子を包み込んだ。閉じかけた男の子の目が少し開いて、女に微笑んだ。

「あったかい…」

 男の子の真っ黒な瞳に、無表情の色の白い女が一瞬、映る。

「そんなはず、ないのに」

 女は呟いた。力が抜けた男の子の身体は、女の腕をすり抜け、どさりと倒れた。女には、薄く開いた男の子の目を、閉じてやることもできない。

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