第17話
職務経歴書が書けなかった。
ネットで調べたところ、実績の他に書いておいた方がいい項目がいくつかある。
・三年後の目標、なりたい自分像
・直近で具体的にしたい仕事
・志望動機
信憑性のほどは定かでないが、手がかりがないよりマシだ。履歴書はJIS規格を使わないことにした。本人希望記入欄が思いの外大きく、何を書いていいか迷うからだ。できるだけシンプルな履歴書にしたい。
志望動機。上っ面の動機なんて誰にも届かないなどもうとっくに知っている。だからこれは、実際に会社を見たあと真正面から取り組むもの。だからパス。問題は「三年後の目標、なりたい自分像」「直近で具体的にしたい仕事」。
北条から受け取った新卒時代の履歴書を見る。
なりたい自分像
三年以内に誰にも負けない高い技術を身につけるエンジニアになりたい。なぜならば僕は負けず嫌いだからです。人より秀でたるためには僕はどのような努力も惜しみません。かと言って周囲の方々を軽んじたりはせず、共に切磋琢磨する仲間だと思っております。
三年以内に、と言うところが最高に皮肉だ。その三年目が終わるんだよ、と過去の俺に言ってやりたくなる。これからの三年間を語るのにこれは使えない。そしてどこから出て来たのか、根拠のない「負けず嫌い」宣言。勝負の土俵に立ってすらいない今の俺。
直近でしたい仕事も思い浮かばなかった。せめて受ける会社の軸さえ決まれば。そうすれば、その会社の事業内容に興味を持てるか持てないかくらいは感情が動くはず。どうにも受け身な考えだが、その会社の事業内容の未来に沿った答えを書けばいい。だからこれは一旦解決……というのは間違っていて、そもそも、なりたい自分像が見えてなければ書けないものだ。だから、夢持つ自分を導き出す。その答えは、小手先だけのものじゃなくて、本心から俺が思っていること。じゃないと、誰にも響かない。志望動機も、夢の自分も、等身大じゃなければ意味がない。どれもこれも、あのクソ画家のおかげで気がつけるようには、なっていた。俺は結局八方塞がり。
あの楽しそうな奴らの実現したい自分像は、きっとよく晴れた日に撮った写真のようにクリアで、カラフルだ。
役に立たなかった履歴書を北条に返して、俺は飯を買いにコンビニへ行った。だが、もうあのデスクで飯を食いたくない。そう思い直して、少し足を伸ばしてどこかランチタイムのレストランにでも行くことにした。
普段店なんて開拓してないから、俺はなかなか飯にありつけず、ぶらぶらと周辺をさまよった。道路では募金活動が行われていた。大勢の人間が箱を持って立っている。
「どうか恵まれない子供たちのために募金をお願いします!」
「「「「「お願いします!」」」」」
俺はそいつらの目線を無視して早歩きで通り過ぎる。クソッ、奴らが着服してないとなぜ言える? 俺は募金をするならユニセフにしかしないと今決めた。予定はない。
入りたいと思わせるまでの飯屋が見つからずに歩いていると、歩道の真ん中に突っ立ってる女がいた。邪魔だ。ふざけんなと思ってそいつを見ると、北条だった。
「あ……」
北条が俺に気がついた。手には何か持っている。紙?
道沿いに大きな神社がある。そこから出て来たところらしかった。
「おみくじ引いたの?」
そんなの信じてるのかと思って聞いてやった。北条は「あ、これは、なんでもないんです」と言ってさっさとその紙を財布にしまった。
俺たちは立ち止まっていた。犬の散歩をする老人が俺たちを邪魔くさそうに避けていく。
「俺、飯食うけど」
誘うでもなくそう言うが、これでついてこない奴はそうそう多くない。
「私も、そろそろご飯食べないと」
「どこがいい?」
「どこでもいいですよ」
散々歩いたけど俺としては入りたい店がなかったのだが、北条は、「ここのフレンチがいいです」と言って即決した。
小さい店内は繁盛していた。
俺は豚肩肉のロースを選び、北条はヒラメのムニエルを食っていた。
メインディッシュに手をつけても、お互い会話はない。
「北条さんはさ」
食いながら、俺は話し始めることにした。
「人事として働きたくて入ったんだよね?」
「そうですよ」
ヒラメの脇にある緑黄色野菜を切っていた。魚を選ばなかったが、ソースが美味そうだった。
「人事部は人を辞めさせたいわけ?」
単刀直入。だけど俺は聞きたかった。なぜ、俺にだけあんな態度をとったのか。辞めればと言われるほど、俺は誰から見ても明白に、この会社にいる価値のない人間なのか。入ったばかりの北条からでさえ、そう見えたのか。
「……この前の、ことですよね……」
そう、この前のこと。北条は手を止めて俯いた。なんだ、こいつは。追い詰める時は非情な視線で俺を突き刺してきたくせに。
「別に? 俺は気にしてないけどね。あの言葉のせいで行ったよ、勉強会。喝入れてくれて、ありがとう。おかげで自分の無知がわかったよ」
おかしい。そんなことを言うつもりはない。
「そんな言い方、しないでください……。これから、勉強していけばいいじゃないですか。私、応援しますから……」
「ああ、俺のご機嫌なら、取ってくれなくて大丈夫。できないなら辞めろって、理にかなっているからね。応援する気もないでしょ。退職沙汰もリストラも、全部、人事の仕事だね。すごく嫌な仕事でも、やる気になるってすごいなぁ」
嫌に饒舌な俺がいた。
違う。言いたいことはこれじゃない。こんなことを言って何になる。こいつにこんなこと言っても俺は何も変わらない。それでも俺は止まらなかった。どんどんと呪詛の言葉が、この三年分のどす黒い塊が口から出てきて止められない。
「人事の仕事っていいよねー。選ぶ立場になれるでしょ? 採用の仕事って楽しそう。人を判断するのって楽しいの? 新卒採用また始めるって多田から聞いた。学生相手に厳しい社会を教えるの?」
口から溢れて止まらなかった。
ひたすら負の言葉を撒き散らす俺を、後ろから見ている冷静な俺がいた。
俺が俺を止めている。
お前はそんなことを言って何になる?
自分の弱さを喚き散して何がしたい?
どうして彼女を責め立てる?
全部、自分が招いた結果だろ?
もうやめろ、それ以上自分を貶めるなよ。
「別に……」
北条はナイフとフォークを置いて、ハンカチを出していた。
「私は白鳥さんに、辞めて、ほしいなんて、思って、ないですよ」
北条は泣いていた。
俺が、泣かせた。自分の欠陥人生の八つ当たりをすることで。
後ろから見ている俺が俺に言う。
もう遅い。
俺は、我に返った。
「ごめん」
今更だ。
「悪かったよ」
無駄だ。
「ごめん」
北条はぐすっとしゃくりあげ、「いいの」と言った。
「気に、しないで、いいですよ」
言わせただけ。全く意味のない和解。
だけど北条はぐしぐしとハンカチで目を拭った。
「今のこと、気にしないで、いいです。私、忘れます。だから、白鳥さんも、忘れましょう」
ああ、違う。こいつの場合、本心からそれを言っているんだ。
なりたい自分像は見えてこないのに、なりたくない自分像だけは、よく晴れた日に撮った写真のように、はっきりしていた。
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