第13話

 家を出て行けという圧力が増している。


 母が毎朝、「義ちゃん、おうち探しは、どう?」と聞いてくる。家探しにはまるで着手してなかった。俺は「まだ、いい物件が見つからなくて」と言ってごまかし続けている。

 できるならば会社から近い方がいい。だけど、その「会社」とやらが自分の居場所じゃないと感じているゆえに、物件を探そうという気になれない。


 俺は、転職したい。でも、どこに?

 未だにその問いから抜け出せない。その答えが見つからないからこうして進歩のない日々を送っている。やることなすこと全てが鈍い。ただ、流れ着いた場所だから。そこしか内定がでなかったから。自分のやりたいことじゃないから。仕事が楽しくなしできないから。上司と仲が悪いから。理由はこんなにある。だから転職はしたい。起死回生だってしたいと思ってる。なのに、そこから先に進めない。


 そして、ついに面談の日が来てしまった。


「白鳥さんの目標の低さは本当に気になっちゃいますね」

 会議室に入るや否や、真っ先にそう言われた。北条は俺の新卒時代の履歴書と、四半期の目標シートを見比べている。俺の提出した四半期目標は変わらぬままだ。他に、思いつかなかったから。


「この会社の人事部、どうなってんの」

 俺は率直な感想を口にした。

「どう言うことですか?」

 北条は不思議そうな顔をする。

「なんで新入社員が面談するのさ。しかも歳が同じ奴が」

 そう言うと、ああ、それですか、と北条が頷いた。

「『俺が面談しても、若手は本心を話さないからさ』って三枝さんが言ってました。だからこういう方針になってます」

「なにそれ」

 いくら歳が近いからってそうそう思ってることなんて話さない。そんなことを内心思う俺に気づかず、北条は「それじゃ早速」と言って面談を始めた。


「どうしてこんなに目標が低いんですか?」

「どうしてって言われても……」

「海堂さんと、うまくいってないんですか?」

「まあ、うまくはいっていないよね」

「何か勉強はしてますか?」

「特に何にもしてないね」

「それだとお仕事困ったりしませんか?」

「まあ、仕事はできないね」

「それだと居辛くないですか?」

「もともと居場所はないからね」

「欲しいスキルとかないですか?」

「何にも思いつかないね」

「お仕事、やる気ありますか?」

「正直やる気はないかもね」

「好きな仕事じゃないですか?」

「もともと好きじゃないからね」

「でも入社したいと思ったわけですよね?」

「別に入社したくはなかったね」


 北条からの質問が止まった。

 見ると、悲しそうな、顔をしていた。

「この履歴書……嘘ですよね」

「そんなの、嘘っぱちだよ」

 そう言うと、北条はばさっと履歴書を机に投げ捨てた。


「もう結構です」

 北条がそう言い放った。

「やる気がないなら、さっさと辞めたらいいじゃないですか……」

「え……」


 辞めたいとは思っているが、辞めろと言われるのは想像していなかった。

「新卒採用して、育てて、使い物にするまで、一体いくらコストがかかるか知っていますか?」

「え……なんとなくは……」

「いつ使い物になるかもわからない人を育ててるほど企業は余裕ないんですよ」

 同じプロジェクトの奴らの顔が浮かんだ。そう、もう誰も俺を育てようなんて思っていない。


「さっさとご希望のところに転職したらいいじゃないですか。いつまでも居座っていて、いいんですか? 考えて、ちゃんと考えて行動してください」

「考えてって言われても……」

 北条は俺の目をじっと見た。俺はいつも通り目を逸らす。まっすぐに見られるのが苦手だった。目の片隅に映る北条は姿勢が良い。容赦なく俺の戸惑った顔を見つめている。俺は何も言えず、黙っている。蛍光灯が、真っ白だった。


「転職、できないんですよね……?」

「えっ……?」


 なぜこいつはそれを知っている?


「自分の仕事にすらまともに向き合えない人を、欲しい企業なんて、ないですよ」

 耳障り。なんでこいつに、そこまで言われなきゃいけない?

「向き合うも何もない。こんなの、ただ、流れ着いただけだ」

「流れ着いたって?」

「別にやりたい仕事じゃない。やりがいなんてどこにもない。向上心も生まれない。だけど行きたい先もない。……そうだよ。僕は、転職ができないよ」


 時計の音が、会議室に響き、無慈悲に六十秒を刻み続けた。自分の呼吸の音が、嫌なくらいに聞こえて、それを隠したかった。

 何もかも、全部、北条のせいな気がする。

 やる気がない自分が自分で嫌いなのは、やる気がある人間が目の前に現れたから。やりたいことが、ある人間がいるって知ってしまったから。俺はうつむくしかなかった。北条は何も言わなかった。なんだか、遅刻した学生が怒られているみたいだった。社会人になってまでこんなになるなんて、なんと悲壮な図なのだろう。


 この沈黙の行方が分からず、俺が北条のことを盗み見る。すると北条はすぐに気がついて、口を開いた。


「あの、流れ着いただけ、いいじゃないですか。溺れ死ななかったわけですから」

 ああ、口を開いたらこれだよ。

「そんな言葉遊びされてもね」


 北条はまた黙り込む。俺が、救いようのないくらい卑屈だから。……そんな自覚くらい、ある。何も言わない北条は、目を伏せて履歴書を眺めていた。そうだよ、俺はただの駄々っ子だよ。ひねくれ者の、困ったちゃん。転職一つ、さっさとできない、呆れるほどに愚鈍な人間だよ。履歴書だって大嘘付き。


 北条が再び俺を見た。その瞳からは、何を考えているのか読み取れない。

「残念ながら、社内で他のポストを用意してあげることはできないんです。だから、ご自身の仕事と向き合ってください。流されたなら流されたなりに、とことん流されてくださいよ」

「言ってる意味がわからないけど」

「観念して、自分の仕事の勉強してください。それでもダメなら、さっさとどっか行ってください。だって、それしかないですから」


 俺はなんて言うべきかわからなかった。ただ、北条の言ったことは、あまりにも正しくて……辛かった。この女はきっと、俺のことなんてめんどくさい人間だと思っている。


「言いたいことはそれだけかな? とんだ人事部の人間だね」

「辞めろだなって言いたいわけじゃないんです。でも、これが私の仕事なんですよ……」

「なんだよそれ……」

「今日はもうこれ以上話しても無駄なので、また四半期前に面談します、その時までに目標考え直してください。出直して、きてください」


 次、重里くん呼んできてくださいね、と言われて、俺は会議室を出た。

 勉強してください。それでもダメなら、さっさと次に行ってください、と言う言葉が、響いていた。


 なんて、正論なんだろう。

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