第10話

「あれ、白鳥さん、こんな時間に、奇遇ですね! お疲れ様です」

 俺は休憩室で缶コーヒーを買って飲んでいた。重里の偏ったオーダーのせいで胃がムカムカし、なんとなくブラックコーヒーを飲めばさっぱりすると思ったからだ。……という理由だけならいいのだが、仕事が一向に進まなくて、サボっている。そこに北条都がやってきた。


「なんだか疲れていませんか? ちゃんと休憩してますか?」

「……今、休んでいるところだよ」

 面倒なのに見つかった。

 北条は「お席、失礼しますね」と言って、俺の向かいに座った・

「私も休憩しようと思っていて」

「はあ」

「私もコーヒー飲もうかな」

「……飲めば?」


 俺の嫌味になんか気がつかず、北条は「はい、そうします!」と返事をした。だが、「あ、お財布が席に置きっ放し……」と気がついて、しょんぼりしていた。貴重品を持ち歩かないなんてどうかしているんじゃないかと思ったが、俺は黙って自販機に行き、ブラックコーヒーを北条に渡してやった。


「わぁ、ありがとうござます!」

 たかだか缶コーヒー一本で、北条は嬉しそうだった。

 プルタブが引かれて、プシュッと小気味の良い音が響く。

「さっきのランチでは、皆さんの考えてることが分かって良かったです」

「あーそうなの」

 俺は缶に口をつける。薄いコーヒーを味わってみるが、どうにも不味い。そして何を話していいかわからない。俺が何も言えずにいると、「でも」と北条が切り出した。


「白鳥さんだけ何考えてるのか分かりませんでした」

「考えて?」

「だってほとんど喋らなかったから」

「ごめん、僕、無口だから」

 北条は「あ、そうなんですね、すみません」と謝った。缶に口をつけ、ごくりと喉を鳴らす音がする。


「転職とか、そろそろ考える歳ですよね。新卒の時なんて、社会のことなんて何にも分からないで会社選びますから、重里くんの言う通り、もう次へ向かって軌道修正する時期なんだと思います」

「そうだね。軌道修正ね」

 北条は「そうです、軌道修正です」と頷いた。こいつも、軌道を修正したのだろうか。


「北条さんは、なんでうちに来たの。ここ、そんなにいい会社じゃないよ」

 また意地の悪いことを言ってる自分がいる。でも北条はそんな言葉のトゲにはいちいち反応しない。

「そうですよね。財務諸表を見る限り、あまりよろしい状況じゃないですね」


「そこまで分かっててなんで来たの」

「やりたいことがあったからですよ」

「やりたいこと?」


 俺はつい、昼飯の時と同じく興味のないふりをした。聞きたくて仕方ないくせに。

「そうです。人事をやりたいので未経験でも雇ってくれるここに来ました」

「未経験でよく職種変えようと思ったね」

「はい。変えられるので、変えました」

「たまたま運がいいだけだ」

 なぜ自分はこんな態度をとってしまうのだろう。

 北条は気分を害した様子がない。


「白鳥さんは、今のお仕事、どうですか?」

「いや、どうって言われても……」


「次の面談までに、私、準備をしなくちゃいけないんです」

 こいつに面談されるのか。

「別に、楽しくてやってるわけじゃない。これしか仕事がないからやっているのであって、それ以上でも以下でもないよ」

「……それ、本心から言ってます?」

「本心で?」

「そんなに割り切れているんですか?」

「え……、まあ、割り切っては、いるのかな」

 北条は返事をせずに缶を振り、もう中身がないことを確認したらしく、ゴミ箱にそれを捨てた。そして、俺の方を見るので目が合った。俺は慌てて視線をそらす。


「……何かあったら、いつでも、相談してくださいね」

「何もないよ。相談して解決することなんて何もない」

 言うつもりじゃない本心がつい出てくる。

「仕事は、楽しくないよ。そういうものだ」


 なんて「つまらない大人」のセリフなことか。俺は「それっぽい人」になるどころか、気力に満ち溢れた新入りに、ひねくれた言葉を返している。でもどうしてか、北条はそういうことを、ぶつけたくなる奴だ。北条は、俺を眺めて、何かを考えこむようだった。だけど、何を思ったのかは明かさずに、「面談、私、頑張ります」と言った。こいつが何を頑張るんだか。そして扉を開けて立ち去ろうと言う時に「あっ」と言った。


「コーヒー、ありがとうございました」


 ああ、気にしないで、と返事をして、俺はまた一人になった。

 北条は、なんらかの意思で転職をして、ここに来た。

 俺はただ流されて、ここにいる。


 同じ「居る」でも、見えてる世界は、きっと違う。

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