第9話
やりたい仕事ではなくとも、俺は出社を続けている。
あの出向以来、俺は基礎から仕事を教えもらい直しになった。できない奴という印象が周囲に焼きつき、腫れ物のように扱われている。そしてこれからも。仕事に情熱を持つことが、まずできない。よって成果も出ない。でも重里だって多分そう。俺だけじゃない、俺だけじゃないと思えばまだなんとか最低限、こんなクソな日々も続く。
俺が簡単な保守作業をしていると、腹が減った頃に重里が席にやってきた。
「まさ〜し〜! 今日の昼、ランチ空いてる?」
やってくるなり重里は俺の回転イスを後ろから左右に揺らした。
「酔うからやめてくれるかな、多田くん。突然、何?」
重里がSEの仕事を理解してないことが幸運だと思った。こいつは俺が何の仕事をしているかわからない。
「なんかね、三枝さんがお金やるから若手でご飯食べてこいっていうの。新しく人事部に女の子入ったでしょ? 社内に知り合いがいないのって可哀想だよね。ってことで若いオレたちだけでランチ行くの」
この会社は使えない俺たちで懲りたのか、もう新卒採用はやっていない。だからメンバーは、俺と、重里、金田。そして、あの女になる。
「まあ、いいけど……」
「じゃ、決まりね。もうすぐに準備してね。オレね、ピザ食いたい」
「そういうのって、主役の食べたいもの優先するんじゃないの?」
「え〜。ま、いいっしょ、いいっしょ」
そういうと重里は金田とあの女の席に声をかけに行った。
重里の希望通り、昼飯はイタリアンになった。テーブルにはシーザーサラダとチーズリゾット、カルボナーラ、マルゲリータピザが並んでいる。
「多田くん、ちょっとオーダーが似たようなので被りすぎじゃないかな」
俺がそう言うと、重里は「え〜、気にすんなよ〜」と我が道を貫いている。
「あ、いいよ、いいよ北条さん。オレがね、取り分けるから。金田お姉さんも何もしなくていいというか何もしないで、こぼすから」
「その扱い、ひどない? ひどない? ねえ、都ちゃん」
都が下の名前らしい。話を振られた北条は、「そうですね〜」と言って金田に合わせ、なんだか二人の調子は良さそうだった。
取り分けが終わり、他愛もないことをひたすら重里が喋りまくり、金田と北条が笑うということを繰り返した。重里は息もつかせぬくらい、喋りまくる。俺はついていくのに疲れ、途中からは聞き流し、ただ黙々と飯を食う。
食後のコーヒーが運ばれてきて、ああもうやっとお開きだな、と思ったところで、金田が「ところでさー」、と言い出した。
「最近さ、実際どうなん? この会社、ずっといるつもり、ある?」
金田は軽く聞いている風だが、腹の中は隠せていない。
食事中ずっと感じていた違和感はこれだった。みんな口にしたくて仕方ない、でも言い出しっぺは誰もしたくない。そういう理由でずっと話せなかったこと。耐えきれなくなって金田がとうとう切り出したのだ。
「まあ、まあ、まあ、金田さん。新しく入った人もいるしさ、辞めよう、みたいな話はやめようよ」
重里がつまらない駄洒落で話を流そうとした。
「あ、私のことは気にしないでいいですよ。続けてくださいよ」
北条がそう言った。それを聞いてか、金田はかまわず話す。
「もうさー、わたし仕事にやりがいとかないわけよ。もうさっさと辞めたいの。でも奨学金返さないといけないし? でもやっぱりやりがいなんてないわけよ。プロジェクトマネージャーのアシスタントってさー、責任あるだけで給料上がんない。っていうか、やりたいことじゃない」
俺は何も言わないで様子を見ることにした。
「まあ、まあ、まあ、金田さん。社会でね、生きるっていうのはそういうことよ。必ずしもね、やりたいこととかできるわけじゃないの。ねっ」
重里がなだめた。
そうだよな。俺だって、やりたくない仕事だよ。
「だって趣味の時間に生きるとしても、人生の大半は労働時間じゃん? もう嫌だわ。何にもしたくない」
そんな甘えは通用しない。
「何かしらやりたいことはあるでしょうよ、お姉さん。なんか好きな職があるならそれ目指したらいいんじゃないかな、ねえ、まさーし」
「えっ」
「まさーしもそう思わない?」
嫌なところで話を振られた。
「そう、って何かな多田くん」
「なんかやりたいことがあるならやったら良いよね、って話」
「あ、ああ。そうだね」
そういうと、「ね〜? 金田さん。やりたいことあるならやりなよ〜」と金田に向き直った。でも金田は止まらない。
「わたしやりたいことなんてないんだよ。あっ、でもね。もうさ、写真撮って生きていきたい。わたしの好きなものとか適当に写真撮って、ファンがついて、カメラマンとして自由に生きていくの。ほんとは、そういうのがやりたかったの。でも就活でそういう職は見つからなかったから、こんなことになっちゃった」
「いや、いや、いや、そいつは難しいんじゃないのか金田さん。ほらっ、北条さんも困ってるよ、人事部として。ねえ、入社いきなり辞めたいみたいな話聞かされたら困るよね? ねっ?」
「大丈夫です。むしろ勉強になってます。次の面談、皆さんのだけ私が担当することになっているので」
「は?」
俺は思わず声が出た。
「なんでしょう、白鳥さん」
北条は首を傾げて微笑んでいる。ポジティブ、前向き、積極的……。
「いや……、なんでもないよ。続けてよ」
「面談、都ちゃんなのかー。まあ、困らせるようで悪いけど、わたしはもうカメラマンとして生きていきたいよ? そんでさー、世界中を旅して写真撮って、それを本にして売るわけ。その収入で好きなことして暮らして生きたいの。わかるかなー、この気持ち」
今じゃない何かに、という言葉が頭をよぎる。金田がさらに「でさー」と言うと、それと同時に、重里が「金田、」と急に低い声を出した。重里は「あのさ」と言った。
「なあ、金田。俺たちもうじき四年目だよ、四年目。四年目っていったら、もうさ、自分の考えを持って、動き始める時期なんだよ。そんな夢物語はやめろよな。俺だって奨学金くらいある。自分だけだと思うなよ。もっと現実を見つめろよ。仕事はさ、やりたいとか、やりたくないとかじゃないんだよ。目の前のことは、やるもんだ。逃げても誰も責めねぇけど、どこに行っても社会、仕事、会社から、逃げても逃げても逃げらんねぇよ」
重里は何を言い出した?
あの、重里が何を言っている?
「もう夢見てていい歳じゃねぇんだよ。会社に残るか、移るか決める歳なんだよ。それくらい、自分で選べよな」
「なんなん、なんなん、今日の重里は。さっきから何を言ってんの?」
「俺だって売れないけど営業してるんだよ。金田はさ、やりたくないなら、軌道修正くらいサクっとしろよ。器用なお前ならできるだろ。いつまでもオレの席に来て、愚痴ったって何にも意味ねぇよ」
軌道修正くらいサクっとしろよ。
こいつは何を言っている?
マジレスされた金田は、黙っていた。北条はゆったりとコーヒーを飲んでいる。もう冷め切って美味しくないはずた。重里はそれ以上は続けない。
どれくらい、四人いるのに、各々一人の世界にいただろうか。金田が「ああ、」と沈黙を破った。
「わたし、転職するわ」
わたし、転職するわ?
「うん、わたし、転職する。それしかないわ」
「何に?」
考える前に、俺はそう聞いていた。金田が何を考えているのか、読み取れない。
「何にかはわからないけど、動いてみないと分からないっしょ?」
「そうだけど……」
「今のキャリアから、どこに行けるか考えるわ。できるだけ自分の興味あるところとすり合わせて職務経歴書を作る。言われてみれば、それしかないし。そうだよね。もう四年目なんだよね。分かんないけど、動くしかないわ」
俺は何も言えなかった。代わりに重里が「そうだよ〜?」と返事をした。
「まっ、そういうわけでさ〜!」
重里はいつもの重里に戻った。
「将来なんて本人にしか決められないわけでね、うん。それぞれ頑張ろう、ってね。そんな感じよ、うん。じゃ、仕事戻りますかぁ」
俺は何も言えないまま。お開きになった。
勝手に俺と同類だと思っていた重里は、俺と同じなんかじゃなかった。
金田はあっさり意思決定した。
北条は自ら決めて転職してきた。
つまり、置いていかれてるのは、俺一人。
俺は、どうしたらいい。
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