第8話

 俺は出版社に入社したかった。


 だけど本気で入りたかったのかどうか、振り返ってみると笑えない。なぜなら、あの胸糞悪い絵描きの言う通り、スッカスカのエントリーシートを送りつけたから。一冊の本が、どれだけの労働で作られたのか想像なんて全くなく。そして、どこもかしこも落ちていった。


 なぜ出版社に入りたかったのか?


 それは読書が好きだったから、と言うと嘘になる。読書が好きで、あわよくば自分も小説家というやつになりたかったから、というと正確だ。でも、学生時代にデビューすることなんてできなかったから、本に関係する出版に応募した。……いかにも世間知らずなお坊ちゃん。今ならわかる、この救いようもないくらいの愚かしさ。


 そもそも出版社というのは物語を書きたい人の行くところではない。

 編集者に運良くなれても、それは「書く」プロではなく「読む」プロで、作家の感性を拾い上げつつ、「売れる」本を作るということがミッションとなる。だから、俺は根本的に思い違いをしていたということだ。ただ「本が好きで」というだけの一万人以上はいそうな志望動機など引っかかるのか知る由もなし。「作る」「売る」ということに関して貪欲な人間が求められているわけで、作家のなりそこないがそうそう簡単に拾い上げられる場所じゃない。だが、俺は作家のなりそこないですらなかった。


 俺は小学校の時から、自分は作家になるんだと思っていた。だけどそのために何かをしたわけじゃない。何にも書いたことがないのに漠然と、作家になれるもんだと信じていた。そして、あっという間に大学三年。夏到来。就活に向けて準備が始まる。ここで俺は初めて我に返った。今まで何で書いてこなかった?


 俺は書いてない時も余裕をかましていた。「小説は書こうとして無理に書くものじゃない。書きたいことが湧いてくるまではその時じゃないんだ。今は原体験、そう、物語を綴る種となる原体験を積む時期なんだ」と本気で思っていた。目を背けたくなるようなお話だ。だけど昔の俺にはそういう夢、やりたいことがあったわけ。とかいうのも全部「ふり」。心の底では気づいていた。


 俺は小説家になる、という「夢」を見ることで「世界」を見てはこなかった。周りの大人たちが作る社会というのを、「夢」というシェルターに篭ることでシャットアウトしていたのだ。そして気がつけば自分も「大人」。自覚はなし。そしてそのご大層な夢も、叶える気がないならただのお飾り。俺はただ、夢を叶えた人間に、いわれもない劣等感を抱えていて、だから自分もなんだか「夢を叶えたっぽい人」になることを夢見ていた。つまり夢に夢見るお坊ちゃん。夢、それさえもただの嘘。なんの努力もしないで夢を叶えてる風の職につけたらどんなにいいかと思ったんだ。ただのポーズ。スッカスカの夢。まさに夢のない大人。夢を持っていると嘘をついて生きてきた。全く本気じゃないくせに。おかげでやりたいことは、わからぬまま。


 さらに言えば、俺は大学にいけば、何か夢が落ちてるもんだと思ってた。もちろん、そんなわけはない。むしろ学部学科を選んだことで、未来の選択肢は減っている。ただ大学に行けば、食うに困らないかもという理由で進学を決めるこの始末。在学中、夢がありそうな明るい奴らを避けて生きていた。そして偽りの夢にすがってた。そうすることで、自分なんてない自分を守っていた。


 そして俺は、何にもなれずに新卒就活という人生の岐路に立つ。ここで初めて自身の愚かしさに気付く。しかも、さらにアホなことに、就活という場をジョブチェンジの場だと勘違いしていた。人生は繋がっている。過去があって未来がある。何にもしてなかった過去を一発逆転できるわけがない。


 今じゃない何かに。


 こういうことを就活のとき、胸の中に思い描くのは俺だけだろうか。


 だけど、やっぱりあのクソ画家の言う通り、等身大の世界を生きてきて、着実な、ゴールを見据えた正しい努力をしてきた人間しか、目標地点にはたどり着けない。これは、当たり前のことなのか。少なくとも俺はその厳しい現実に気が付けなかった。努力が足りないだけだと願います、あのクソ画家はそう言った。あいつの願いは無駄だった。


 人生は樹のようなものかもしれない。未来に向かって、複数の枝が分かれている。どの枝も最初は元気にすくすく伸びていく。だけど、この樹はとっても枯れやすい。人生が進むにつれて幹は伸びるが、枝はどんどん枯れていく。選ばれなかった枝は無駄な養分を割かないために淘汰されていくからだ。そして気がついた頃には幹があらぬ方向に伸びている。もうその太い流れを変えることは難しい。枯れた枝は、蘇らない。三年の夏に文芸部の扉を叩いたって無駄なのだ。

 

 俺はどこかで何かを間違えた。だけど、どこの何だか分からない。

 人生を正しく採点してくれる人がいればいいのにな、と思う。


 でも、そんな人がいたら、俺の人生は赤点以下だ。

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