第3話

 狭いワンフロアというのは残酷だ。

 この会社には基本的に営業とSEしかいない。だが席は営業とSEがはっきり分かれているわけではなく、プロジェクトごとにこまめな席の配置換えが行われる。それがどう残酷かというと、要するに儲かってないプロジェクト、屋台骨となるプロジェクト、と言った具合にその社員の会社での立ち位置が如実に現れるようになっている。


 いつからだろう。皆一様なリクルートスーツからスタートしたはずなのに、そのスーツの質は歳を重ねるごとに差がついていき、時計、カバン、革靴、ベルト、と身を飾る装飾品が自分の立場を知らせる身分証になってしまうのは。社会的立場に差がついてきては、身の丈に合わない所持品は痛々しいだけになり、入れる店も絞られてくる。そうやって社会には、見えづらい透明なバリアが張り巡らされているのだ。


 俺の席はフロアの一番端にある。一番重要なプロジェクトで、落ち着いて作業できるようにと端が割り当てられていた。

「白鳥、面談はどうだった?」

 隣の席にいる直属の上司、海堂がPC画面から目を離さずに訪ねてきた。

「終わりましたよ」

「そういうこと聞きたいわけじゃないだろ?」

「はは。冗談ですよ。四半期目標、もう少し考えさせてください。人事部には許可はもらってるんで」

 そういうと海堂はじろりと俺を見て、何も言わずエディターの世界に戻っていった。


 三枝が呼んでこいといった同期の多田重里の席は俺の席とは対極の隅にある。彼が重里というクリエイティビティを感じそうな名前とは対極の人間であるように、座席も俺と対極。すなわち、奴は閑職だ。もう一人の同期の金田はフロアの真ん中の席にいるが、よく重里の席にちょっかいを出しに行っている。そして重里は基本的に隣のおっさんと喋っていて、話し声がフロアの端まで細々聞こえてくるのだった。みんな暇人だ。


 暇人どもの席まで歩いて行くと、重里はすぐに俺に気がついた。

「まさ〜し〜! まさーしが俺の席にくるなんて珍しくね? あ、グミ、グミ食べる正義くん。今日はね、グレープ味なの」

 こいつはスーツを着ていても、チャラいことで知られる中堅私大の学生の面影がそのまま残っている。

「ありがとう多田くん。でも僕は遠慮しておくよ。さっき歯を磨いたからね」

「あ、いらない? ごめんね。いつでもね、オレ、グミ持ってるから。好きな時に来てね。あ、でも庶民のお菓子なんてまさーしは食べない? もうね、オレたちとは感覚が違いますからね、ねぇ早乙女さん」


 突然、話を振られた隣のおっさんは「えっ?」と驚いてから、「わからないです、すみません」と言って申し訳なさそうに会釈してモニターに戻っていった。ずいぶん型の良いスーツを着ている。モニターをちらりと見ると、カレンダーしか表示されていない。


「虫歯には気をつけてね。で、用なんだけど。三枝さんが会議室に来いって多田くんを呼んでたよ」

「え、え、オレなんかしちゃった? 売ってない、売れてないから?」

「違うよ。来年の四半期目標シートの記入の件だよ」


 重里は安心した様子で「なぁんだ」と言った。

「目標ね〜。説教じゃなくて良かった〜。いやぁ、オレなんてもう目標なんて何にもねぇからさ。まさーしみたいにカッコいい目標をサラッとかけたらいいんだけどね、ほら、オレちんちんだからさ」

 そういうと右手を机の下に水平に、左手を腕の届く限り上に水平に伸ばした。

「オレの位置がこの右手、まさーしが左手ね。あ〜〜! こんなに差ができてる! ほら、見て見て!」


 こいつは本心からこれを言っている。

 俺は愛想笑いしか、でてこない。


「なんかごめんね、まさーし。じゃ、オレ行くわ。ごめんね」

 んじゃ、と言って重里は小会議室の方へ消えていった。


 重里は自分で言う通り全く売れてない。おそらく売ろうという意欲も沸いてない。俺も、多分重里も、仕方なくこの会社に辿り着いた。生きるため、そのためだけに出社する。そんな日々を繰り返す。


 早い話が就活失敗。いつかキメたい起死回生。必要なのは、やりたいこと。

 そんな人間、腐る程いる。重里だってきっとそう。


 だから俺だけじゃない。俺だけじゃ、ないんだ。

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