第2話
映画『Ted』のクマみたいな顔の人事は踏ん反り返っている。
その手には俺の次四半期の目標シート。外資なので決算は十二月締めだ。外資といっても、日本支社なんて忘れ去られた極東のお荷物。EU圏の本社は立派な自社ビルなのに日本支社は借り物のワンフロアしかない。
「白鳥はなぁ、向上心がないんだよ」
「そんなことないですよ」
「でもなぁ、この目標」
テディベアそっくりの三枝は椅子に座りなおした。そしてテーブルに置いてあったもう一枚の紙も手に取り、目標シートと見比べる。俺の新卒時代の履歴書だ。三枝は、そこに書いてあることを読み上げだした。
「なりたい自分像:『三年以内に誰にも負けない高い技術を身につけるエンジニアになりたい。なぜならば僕は負けず嫌いだからです。人より秀でたるためには僕はどのような努力も惜しみません。かと言って周囲の方々を軽んじたりはせず、共に切磋琢磨する仲間だと思っております』。志望動機:『僕は学生時代からプログラミングに興味がありましたのでSEになりたいと思っております。そして、自分の趣味に密接に関わっている企業のためのシステムならばモチベーションを保てるので貴社は第一志望です。貴社のシステム構築に携わることで世の中に貢献したい。プログラミング自体は確かに初心者ですが、貴社の〈顧客の声より十を聞き、十より還るもとのその一〉』という侘び寂びが効いた理念に深く感銘を受けまして、その理念を体現する機会をいただければこんなに幸いなことはありません」。って書いてあるんだよなぁ」
そんな三年近く前の紙切れなんて見てどうするんだと思ったが、それよりも無知な学生らしいスッカスカの内容が恥ずかしくて仕方ない。
——例えば電通なんかに志望動機がスッカスカのエントリーシートを送りつける浅はかな人間になるんだと思います。
「まあ、これくらいの内容はリップサービスというか、みんな書くんだよ内定欲しいから」
そりゃそうだ。本気でこんなの信じてるとしたら頭の中お花畑かよ。
Tedは続ける。
「それでも、毎度のことながらお前の四半期目標の低さはちょっと心配になっちゃうよ。白鳥、仕事辛いの? 大丈夫? 鬱とかなってない? まあ、まだ年中マスクしたりしてないから大丈夫だと思うけど」
六席しかない会議室は静かで、椅子の座り心地は無駄に良い。そして蛍光灯の光はこの会社の未来とは相反するように、真っ白で明るかった。向かいに座るクマはじっと俺のことを見ている。
こいつ、どこまで俺のこと正確に測れている?
三枝は俺が嫌いなタイプの人間だ。こいつは相手の本質的な部分を暴こうとして推し測る人間に違いない。はっきり言って不快だが、もしかしたら人の顔色を伺わないと生きてこれなかった不幸な過去を背負っているんだと思うことにした。そういった寛容な精神を持つことが最善だと、人生の早い段階で気がついた。
俺は言い訳を始めることにする。
「僕はちょっと不器用なんです。じっくり時間をかけないと自分の心の底で思ってることを上手く言葉にできない。だから、心の中では目標シートに書いた以上のことをしたいと思ってます」
「不器用ねぇ」
「はい、僕は不器用なだけです」
「心配だから上司の海堂に見せる前に俺を通したけど、人事部で止めといて正解だったよ。ぶっちゃけ次の四半期までに書いて提出してくれればいいからさ、もう一度考え直せ? 今度はゆっくり時間かけていいから」
「お気遣いありがとうございます」
「白鳥はお坊ちゃんだからなぁ。もうそろそろ社会を分かるようになろうな」
「すみません」
「もう戻っていいから、何かあったら思いつめる前に相談しろな。あと次、重里呼んできて」
「わかりました」
三枝に目標シートを返され、俺は小会議室を後にした。
——四半期目標:前期よりコードを書く
俺に書ける目標などない。
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