第51話 ルビー&サファイア物語⑩


「なんか、ジャンさんってルパンみたいよね」

「ルパンルパン♪」


 大人の会話が終わったのを見計らい、マリアが candyキャンディー を連れ戻ってきた。


 夕暮れ迫る窓の外には、数人の男たちから逃げまわるジャンさんの姿があった。




「もしもし、羅森ラシン? そうそう、仕事仕事。悪いけどまたいつもの駅前のカフェで……そうそう。多いかな? そうそう、内容は変わりないけど……」

 俺はスマホの電源ボタンを押し、すばやく電話を切る。


「今からか?」

 デイビスはもう何杯目かも知れぬバーボンで、顔を真っ赤にしている。


「あぁ、行ってくる。デイビス、言っとくがくれぐれも飲酒運転だけはすんなよ」

「おまえに心配されるようじゃ終わりだな……ヒロユキ。人のシノギにとやかく言うつもりはないが、そっちこそ気をつけろ。危険には近づかないのが一番だ」

「デイビスに心配される俺、始まった? チャイナタウンで誰が一番やばいでしょう選手権ならダントツであんたがトップだぜ! ……だがご忠告、素直に聞いとくよ。不合理を受け入れて合理的に生きろ……だろ?」

 


 店を出ればチカチカと、濃紺の空にまだ赤く夕映えが残っている。

 薄いコートの襟元を閉めた。キャンディー貿易商会で買ったばかりのパラシュート素材で、防寒の意味はあまりないが、ナイフで切りつけられても大丈夫なやつだ。

 俺は目的地に歩き出す。


 街は変わりなかった。そこここに年末の喧噪を含んではいるが変わりない。

 観光客は少なく、地元の商店主が外に出てなにやら声を上げたりしている。


 目的地に着けば、腕にはめた風水磁石がクルクルと回り出す。



「どうもおまたせしました」

「ホウヮ? おまえと待ち合わせた覚えはないけどねぇ」


 そこにいるのは、薄暗がりの階段に座る美紫メイズだった。


「おかしいねぇ? さっき羅森ラシンがおまえに会いに駅前のカフェに行ったよ」

「すっぽかしはしない。三十分や一時間、遅れたって待っていてくれるさ」

「どういう風の吹き回しかね。私をデートにでも誘うつもりかい?」

「……なぜ、マフィアの抗争にヤン・クイが巻き込まれてる?」

 俺はひざまずくことなく、ストレートに聞くことにした。


「あのべっぴんさんかい? さあねえ……こっちだってなんでもかんでもお見通しってわけでもないさ。まさか池袋の子猫ちゃんが、スネークアイに本気の喧嘩を仕掛けるとは思ってもみなかった。完全にヨミが外れたね」

 


赤怒羅魂レッドドラゴンは、子猫ちゃんか?」

「そりゃ、相当の手練れもいるがね、統率はとれてない。小さなグループばかりで、全面戦争だぁなんて粋がってても所詮はポーズだけだと高をくくっていたよ」


「俺は危うく殺されそうになった。あいつらは本気も本気だ」


「だからってあそこまでするかね? そこが解せないんだがね。まあ、今回のことはスネークアイも悪いのさ。身長も体重も息子が父親を超えたのに話し合いのテーブルにさえ着こうとしない。裏の世界は蛇の目が権力とのパイプを握ったまま。新参者は警察と小競り合いしながら、薬やみかじめ、売春やらで稼ぐしかないんだからねぇ」

 理屈はなんとなくわかる。経済規模で追い抜いて、変な例えだが、裏の世界が表に出たがっていると言うことか……


 夕闇が忍び寄る。サングラスを外す。嘘を見抜く目を大気に晒す。


「ホウヮ? 眼球が再生したのかと思ったよ。どっちの目だったかね? ……まあ、心配しなくてもスネークアイが本気を出せば力は圧倒的だ。すぐ終わる」


「呑気だな。善隣ゼンリン門近くのビルに200人から集結してる。ただ事じゃすまない」

「クッ……ヒーッはっ……阿呆だね。あんなものピクっとも動くものかい。大規模な抗争になれば長年、培った地脈を失う。何のために加賀町警察署の真ん前に集まっていると思ってるんだい。アリバイ作りさ。ここから動いてませんってアピールだよ。それを警察が保証してくれる。闇ではもう、暗殺者が走ってるよ。小僧はスマートなやり方をする。死体が一切あがらなければ、尚、上等な仕事だねぇ」


 美紫メイズは嘘を言っていない。やはり俺の周りは恐ろしい人間ばかりだった。


「……マフィアの事情なんかに興味はない。知りたいのはヤン・クイのことだ」

「しつこいねぇ。おまえは小僧と仲がいいようじゃないか。直接、本人に事情を聞いたらどうだい? そのほうが早いさ」


「恐らくだが……何十回トライしたとしても……今回はどうあってもあの男には直接会えないと思う。周りの連中に追い返されるだけだろう」

 今の今。意味不明な疲労感に襲われている。だからそこには確信があった。


「ホウヮ? 芋虫のままかと思ったらメタモルフォーゼ(変身)とはいかないまでもちょっとは成長したのかねぇ……ヒロユキ」

 この老婆は俺になんらかの価値を見いだしている。なにか俺について知っている。

 だが、今はそんなことよりもヤン・クイだっ!


「詳しいことは知らないよ。探りを入れればこっちがヤバいからね。でもまぁ、推測ならできる。そうさねぇ、一昔前ならお姫様ってところだが、今どきはそんなことはないね。その女はたぶん……政治犯の身内だろうよ」


 

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