第52話 ルビー&サファイア物語⑪

 ………………政治犯?

 

 …………政治犯?


 ……政治犯?


  これまでの人生において接点があまりになさ過ぎてピンと来ない。


「すまないけど、意味がよくわからないんだが……」

「別に深い意味はないよ。言葉通りさ」


 冬の夜空は澄んでいた。

 この寒さに老婆はどうしてここで佇んでいたのだろうか? 

 まるで俺が来ることを予見していたかのように……


「かの地、では、政敵は例外なく政治犯だ。陰謀で汚名を着せ蹴落とすか蹴落としてから謀略で汚名を着せるか、どちらかだね。汚職やら横領だと斬首する理由としては弱いからねぇ」

 話を聞いても右から左に流れてゆく。


「斬首がわからないか? 死刑のことだよ。それでねぇ、ライバルを葬ったはいいが身内は一族郎党、皆殺しってわけにもいくまい? 手元で飼い殺しも枕を高くしては寝られない。なので海外で生涯、監視させる。べっぴんさんは『かごの鳥』さね」


 美紫メイズは子供に噛んで含めるように話す。


「かごの鳥? ねえさんはいつだって自由気儘。朝食も豪勢なもんだ。そんなことはありえない」

「子供だねぇ。狭いケージで育ったブロイラーと放し飼いにされた地鶏とおまえならどちらの肉を食いたいと思う? べっぴんさんはね、特別な接待用なのさ」


 言葉の冷たさに凍えそうになる。接待用……? 目の前の美紫メイズを殴り飛ばしたい衝動に駆られた。だがそんなことをすれば、俺はこの場で崩れ落ちることになる。……あの夜、関帝廟で暴れ回った大男のように。


「ふんっ。目は正直だ。敵意むき出しだねぇ、ヒロユキ。ジャンが言っていた言葉もまんざら嘘でもないらしい」

 はぁ? ジャンがなんだって?

 俺の態度は普段の俺のじゃない。敵意が抑えきれない。だけど美紫メイズは笑ってるのか怒ってるのか不思議な表情で銘柄も解らぬ煙草を取り出し平然と火をつける。


「事情についてはとりあえず置くとして、だったらどうしてヤン・クイがマフィアの抗争に関係するってんだ?」

 この老婆の恐ろしさを思い出した。だがそれでも、俺は精一杯に羽を広げる。


 美紫メイズはそんな俺に微笑み、旨そうに最初の一服を悠々と吐き出した。


「権力闘争なんてのは海流と一緒、逆転もする。蛇の目が『かごの鳥』を請け負ったのがおおよそ二十年前だとして、その頃から随分と事情が変わったのだろうよ。昨日までの逆賊が、義賊に変わるのも珍しくない。特に死んだ人間は、祭り上げるのには好都合さ。時代によっちゃあ、神格化まである」


「……それじゃあなにか? もうねえさんが囚われている理由がないのに、蛇の目が不当に扱ってるって言うことなのか? それを池袋の連中が助けようと?」


「理屈はそうだね。まあそれも、取り付く島もない蛇の目を振り向かせる一種の方便なのさ。子猫ちゃんも売春婦を本気で救おうだなんて思ってはいない。華僑が海外に飛び出せばまず真っ先に言葉の通じる同士が集まる。同郷の幇(ぱん)さ。蛇の目は150年からの成り立ちで広東幇。だが今の日本の主流は福建幇さね。下層の人夫を斡旋するにも福建幇を通さなければ話にならない。池袋が日本中の福建幇をまとめたなら、子猫が虎になって蛇を食い殺すこともあるってことだよ」


 ……なんだよそれ?

 好き勝手、お互い女一人を利用してるってことか? でも蛇の目が倒れればだが、ねえさんは自由になれる?


「しかし今度のは余りに幼稚だったね。池袋の知恵者はじっくりと抗争を過熱させ、女を旗印に蛇の目と交渉しようとの節もあったが蓋を開けてみればまるでコントさ。殺された店主はでは人望のある人格者だった。その辺の店を燃やしたり、ゴロツキを殺すのとは事情が違う。おまけに警察も本腰だ」


「本腰? あいつらはなにもできないはずじゃ……」

「国家権力を舐めるんじゃない。下っ端の小競り合いじゃない。池袋じゃ一斉摘発の真っ最中だよ。それと肝心のべっぴんさんは厳重に警護されている……警察にね」

 はあ? デイビスが話した内容とは大きく違う……


「理屈に合わねえょ。そもそも蛇の目はどうしてねえさんを解放しない? それに、常日頃、ねえさんは自由に行動していた。そんな理不尽な扱いなら逃げれば……」


「マフィア相手に逃げおおせるはずがないだろう。それに運良く逃げたところで海外にいる身内が代わりに殺される。マフィアは一旦、受けた仕事を放棄しない。だからこそ皆に恐れられ、組織が存続できるんだからね。『かごの鳥』なんてのは、地獄を周知させる為のもんさ。地獄なんてものは沢山ある。自由だからこその、地獄もね」















 




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