第50話 ルビー&サファイア物語⑨

「我々には何もできない。それが結論だった」

「はぁ?」


 俺にはデイビスの言葉が理解できなかった。


「集まって何時間も話し合って出した答えがそれか? 人が死んでるんだぞ?」

「証拠がない。警察関係者も同席してた。年に数万件ある火災原因のトップはタバコの不始末を除けば放火、または放火の疑いだ。鑑識の結果で内部からの犯行は裏付けられても、放火……までしかニュースにならない。ニューチャイナマフィアとの関連なんて立証できないとよ」

「そんな……」


「逃げた男たちの身元はでたらめだった。高級店の場合、給仕にはほとんど日本人を雇う。日本人にきめの細かいサービスを提供するにはそのほうが手っ取り早いからな。料理人は腕のある身元がしっかりした中国人。それじゃあ、人手が足りないのはどんな仕事だ? 下働き。手に職のある中国人も日本人も嫌がる薄給できつい仕事。それを斡旋してたのは誰だ?」

「マフィア……蛇の目か……」

「そうだ。あいつらは自分たちが斡旋した人間に手を噛まれた。人様に紹介しといて身元なんざ適当だったから行方も追えないって……間抜けな話さ」


 デイビスの苦々しい顔のしわが生き物のように影を作る。


 マリアが気を利かせたのだろう。遠くのほうで微かにcandyキャンディーの笑い声がする。


「放火殺人だぜ? 警察が見過ごすのかよ」

「商店会の古株が言うには、バブル時代の地上げ目的の放火やトラックの突っ込みも黒幕があがった例しはないそうだ。まして国籍もわからない人間相手ならもう国外に逃げているかもしれないし匿う相手がいれば探しようがない。日本の警察ってのは、この手のことに関しては無力だとよ」デイビスが忌々しげに声を荒げた。


 ……なんだそれ?

 


「むろん警察も働いてないわけじゃない。ただなぁ、憶測や噂ばかりではどうしようもないんだ。それに神奈川で起こった事件で、犯人は東京だとさらにややこしい」

 横浜は海外からの玄関口として栄えてきた。神奈川県警には国際都市を守る特別な気概があり、同じく日本の首都を管轄する警視庁とはお互いの意地とプライドがぶつかり合い、何かにつけて非常に仲が悪い。


「この期に及んで縄張り意識かよ? おいおい勘弁しろよ」


 会話が止まった。バーボン・ウイスキーのショットをデイビスがあおる。


「ともかく犠牲になった店の人間には気の毒だが、従業員にまでマフィアが入り込んでいるかもしれねえって疑心暗鬼でみな他人を思いやる余裕がない。自分たちに火の粉が飛んでこないのか……その話ばかりだった」


 少し落ちついたのか、デイビスは先ほどの怒声を詫びるように手のひらを広げて、もう一杯、とおかわりを注文した。


「蛇の目はどうなってる?」

「それが物々しい。善隣ゼンリン門のすぐ近く、加賀町警察署の目の前のビルを貸し切ってやたらと人が集まってる。やつらは自分たちで解決する気でいるようだ。外野は手出し無用で見守るしかないな」


 ……ロンジョイ。鉄玉の話が事実なら、彼が主導権を握ってこの事態に対処することになる。つまり、直接あの男に……



「日本にいる中国系住民の半分は実質、首都圏に集中してる。そりゃ、横浜中華街は世界最大級のチャイナタウンだが、もう少数派なんだ。東京住みがほとんどで近頃は埼玉にも巨大なチャイナタウンが出現した。タワーマンションを買いあさってるのも本土資本か、最近、日本に来た新華僑だ。勢力図が変わったのかもしれない。まさか今どきこんな恐ろしいことが起こるとはな……」


「頼んだことは?」


「……あぁ、世話になったって女のことか? 一応聞いてみたが誰も知らないとさ。売春婦なんだろ? そんなを商売してたならマフィアの情婦だ。なんらか巻き込まれたとしても自業自得で仕方がない。ヒロユキ……そんなのにもう首を突っ込むな」


 デイビスの言葉はもっともだった。

 だがしかし……ヤン・クイがいなければ今頃、俺はここにはいなかっただろうし、だとすればデイビスは、我が子を失うことになった。因果と言えば大げさだが……

 そして俺が彼女に救われたことに変わりはない。

 


「あきらめろ。この世界は不合理を受け入れて合理的に生きるしか道はないんだ」


  


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