第4話 ジェスチャーゲーム

「ヒロユキ。なにか悪いことでもあったか?」

 男が声をかけてきた。俺は首だけをひょいと下げた。


 ダークサイドでは紫ババアの他に日本語を喋れるやつは居なかった。諦めきれず、ジャンが居そうな場所をほうぼう探し回ったがすべて空振りだった。疲れ切って、売春宿の裏手の配管に座りうなだれて居た。普段なら愛想笑いの一つもするところだが、その元気もない。ここだけは腐った息をまき散らす排気口がない安住の地だ。この男の名前はなんだっけ? なんでもいいから独りにしておいてくれ。


くつに行ったらしいな? あそこは辺境へんきょう禁区きんくだ。中国であって中国じゃない。生きるのが嫌になってアヘンでも吸いたくなったのなら別だが……20万もあればひととき天国が見れて、自分の死体も処理してくれる」

 

 正確にはここ日本なんですけどね、と心の中で呟きながら、目には敵意を浮かべない。それだけの判断力は戻ってきた。一瞬だけジャンのことを聞こうかとも思ったが、5万まるまるに一枚だけ返すようなのが一番恐ろしい。食いつかれたら損だ。


「なにか問題があれば私に言え。そのために私がいる。ただし窟はだめだ。特に紫の髪のひととは揉めるな。あの女は恐ろしい」

「? ……えーっと……えーっと……あなた様でも……あんなのが恐ろしい?」

「おまえでいい。私に名前はない。もしなにかあったら、あの女が犬っころみたいに生んだ子や孫に24時間、四六時中狙われる。食い物や飲み物に毒を盛られる。数はネズミの運動会」


「ひぇ~~~」

 なんだ? ネズミの運動会って? あぁ、噂くらいは耳にしたことがある。だけど都市伝説の類だと思っていた……

 それよりなによりよくよく考えてみれば、ダークサイドに近づくだけでいつもならびびってたはずだ。それはもうションベン漏らすくらいに。金を失い、やはり冷静さを欠いていたようで……やばいよやばいよ。ところで名前がないってなによ?


「蝶の目って知ってます?」

 人の命は地球より重いことを思い出した俺は、興味の矛先を変えていた。


「ホウヮ? (丁方ちょうかたないか?)(半方はんかたないか?)(はい丁半駒そろいました)(ピンゾロの丁)(ちくしょう、丁の目がでやがったぁ)の、丁の目か?」

「ちゃいますよ。映画で言葉覚えるタイプなんっすね。あの……こう……なんて言うかな。菜の花にとまるほうの蝶々ちょうちょの……」

 俺はスキップしながら手をばたつかせた。その時、


「ヒロユキっ! こんなところに居たのか探したぞ。ジャンが大変だ。すぐバラックに来てくれ」

 ジェスチャーゲームを遮り、ひも野郎が駆けつけてきた。女に客が付くとこいつは自分のねぐらを追われ、バラックに寝泊まりする。金があるから2階の個室だ。なので、普段は俺たちハンモックを見下しているが、どうやら気まぐれに親切心を起こしてくれたようだ。


ジャン…………」

 100万を思い出した。両手を羽ばたかせて、俺はバラックまでガムシャラに走り出したのだった。

 

 

 



 

 

 

 



 


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