第3話 ダークサイド

「おい、なんで招待しといてパイプ椅子に座らせんだ? 就職の面接かこの野郎!」

 俺は目を覚ました。天井には、餃子とビールを持つ胸の大きな女のピンナップ……と言うよりビール会社の販売促進のポスター。つまり、見馴れたいつもの我が家。

 誰が貼ったのか知らないが、ネットで調べたら60歳超えているんだよな~このひととぼんやりしていたら、徐々に頭がはっきりしてくる。


 そうだ。さっきのは一発かましてやろうと考えた台詞せりふだった。おっさんが落ち着いていたから引っ込めたが――相手が自分より弱いと確認できるまでは不用意に強気に出てはいけない――それはもはやポリシーではなく、宇宙の真理と言っていい。

 丁度、昼ごろなのだろう。中華街の外れの外れ、観光客は誰一人訪れることのない裏路地のバラックにも活気が伝わってくる。見渡せば、いくつかのハンモックが空になっていた。仕事を貰いに行ったのだろう。

 ビルからの帰り道、もしや100万で誤魔化されたのじゃないかと疑ったけれど、そもそもそれなら俺を探す必要もない。高校中退と見栄を張ったが実は中学もまともに通っていない。小学校にあがる前に母親が死んで施設に預けられ、脱走を繰り返し14歳で東京にでた。いろんな場所で弾かれ、流れ流れて今ここにいる俺を探し出す行為は、善意以外にはありえない。話の内容はチンプンカンプンではあったが……


 顔も知らない爺さんありがとう。少なくとも暫く朝から仕事を探さなくていい。


「うーーん」思いっきり伸びをする「あれ? イテテッ」頭が割れるように痛い。


 なんだこの頭痛? 昨夜はジャンさんとぱふぱふ屋に行って――しょうがなかった。1万円返されたのを見られたから――2時間食べ放題、飲み放題、ぱふぱふ制限なしの2500円コースを頼んで……日本語の喋れないおばちゃんばかりだったけどそれなりに楽しくて、かつ丼が素晴らしく美味しくて、母国語で陽気にしゃべり酒を飲むジャンさんが羨ましくて、俺も酒が飲める体質だったらなぁなんて……。


 酒? これは二日酔いか? ジュースに酒を混ぜられた?


 俺は慌てて腹を探った。つるんとしたぜい肉だけがそこにあった。


「あんの野郎っ! 未成年に酒飲ましやがって、番組終了どころの騒ぎじゃねぇぞ」


 俺はバラックから飛び出した。ジャンはねぐらを持たない。盗み癖があるからどこも追い出される。ヒモになって金を引っ張る女もいない。だけど、ここで生きている。ここでしか生きていけない。だとすれば、絶対に見つけ出してやる。


 バラックよりさらに深いこの界隈のダークサイドに向う。建物や地権関係が複雑に入り組み、誰のものなのか行政でも判別できない、もはや判別しようなどと考えなくなった場所で、俺は紫に髪を染めた老婆に声をかけた。


ジャンはどこにいる?」

「ホウヮ?」

 この老婆が事情通で日本語を喋れることは知っている。俺はくしゃくしゃの千円札を差し出した。


「いないよ。もういない。私が知らないなら誰も知らない。盗まれたか?」

「ああ、その通りだ。酒を仕込まれて、金を盗まれた」

「それはおまえが悪い。ここは日本であって日本じゃない。おまえがここに居ついて二年にはなるだろう? 古株よ、おまえ。ジャンが祖国に子供何人も置いてきたこと知ってて盗み癖があるのも知ってて一緒に飲んだのならおまえが悪い。金がある内は帰ってこない。金がなくなれば殺されたとしても帰ってくる。ここにしか帰る場所はないからな」

 千円分の情報は喋り終えたとでも言うように、老婆はもう視線を合わせなくなり、俺は打ちひしがれた。天から降ってきた幸運を自分からドブに捨てた。そのことに俺は打ちひしがれていた。







 



 

 

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