第2話 素敵な中華街

「100万円。100万円。100万円」


 スキップの跳躍で、裏路地のトタン屋根に頭がぶつかりそうになる。


「どうした? かわいこちゃんとイイことしたか?」

 中国人のジャンさんが中国語で話しかけてきた。もちろん意味はわからない。スキップでバックして笑顔でハイタッチ! 22歳で俺と年も変わらなくて気楽に話せる仲だけど、盗み癖があるから……要注意だ。

 俺のテンションが高いので、ぞろぞろ人が集まってくる。誰かがドラム缶を叩き、白髪の老婆が変なイントネーションで日本の演歌を歌いだす。なんだなんだとさらに人が集まってきた。このまま露店でも開けば、お祭りにでもなりそうな勢いだ。


(カランコロン)


 空き缶が蹴られた音がした。


 先ほどまでの熱気は周囲の汚れた壁に吸い込まれるようにさめて、みんな持ち場に帰っていく。中華料理店の下働きは下働きに、呼び込みは呼び込みに。老婆は日向ぼっこ。ひも野郎は二階へ。


 俺はただ、エヘヘと薄笑いを浮かべる。


 先ほど空き缶を蹴った四十男は、別に怒ってはいない。ここの秩序を調整しているだけだ。身長は190cm近くあり、仕立てのよいスーツを着込んでいる。日本語を流暢に話し、エリートビジネスマンと言われればそうかなぁとも思えるし、格闘家の休日だと言われればなるほどなぁと納得するしかない容貌をしている。


「ヒロユキ。なんか良いことでもあったか?」

「騒いじゃって。あの……ちょっと金が入ったもんで浮かれちまってすいやせん」

 俺は強いやつには徹底的に媚びる。それはポリシーを通り越して、もはや哲学だと言ってかまわないだろう。

 そっと紙に包んだ5万円を差し出した。この領域に入る前に100万の中から抜き取って汚したものだ。残りは腹にさらしで巻いて厳重に確保してある。


「ふっ、おまえ義理堅いね。だが無理するな。家賃には多すぎる」

 そういうと男は5万円から一枚抜き取って返してきた。




(あんたに家を借りた覚えはねぇよ)男の背中を目で追いながら俺は思った。でも、思うだけにして目には敵意を浮かべない。それがここで暮らすルールだ。

 不思議だが、いつもみたいに震えて足がすくむこともなかった。100万円効果?


 一部始終を見ていたジャンさんが近づいてくる。奢ってほしいのだろう。


「なになになに? 仕事仕事?」

 目を爛々らんらんかがやかせている。排気口からは粘っこく油臭い息が吐きだされている。このままじゃ周りの壁みたいにすすけそうなので、俺は叫んだ。


「おんにゃの子の店にいっちゃう?」


 










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