第1話-2
何とか朝のホームルームに遅れずに済んだが、息も絶え絶え自分の席に着くと机に突っ伏した。
「おはよー真璃。こんなギリギリとか珍しいね~」
隣の席の風間莉緒が頬杖をつきながら真璃をにやにやと笑いながら見ていた。
莉緒は一年の時から同じクラスで高校に入学してからできた真璃の数少ない友達だ。
「おはよ。ちょっとよくわからない事が朝からあってよくわからない……」
本当に何を言っているのか自分でもわからない。真璃は頭を抱えながら机から頭を起こした。
「へー、全然わからないけどお疲れ」
はははと、乾いた笑い声とともに莉緒は真璃をねぎらった。頭を抱えながらちらりと見た莉緒はスマホを弄っていた。淡白な友人だが、粘着質よりは全然いい。
自分も制服の上着に入っているスマホを取り出そうとしたが、出す寸前に教室の前の引き戸が勢いよく開き、担任の桜井が入ってきた。三十路半ばの男性で、スーツも顔も心なしかくたびれている。
「ホームルーム始めるぞー、席着けー」
先生お決まりの文句を言って教壇に立ち、出席を取り始めた。名前を呼ばれた生徒は気だるげに返事をする。途中、名前を呼ばれても返事をしない生徒がいた。
「並木ー、並木大智……は、今日も欠席っと」
桜井は出席簿を見ていた顔を教室に向け、並木という生徒の席に誰も座っていないことを確認して出席簿にペンを走らせ、すぐに出席確認を再開した。
「そういえばさ、並木って真璃と同じ中学校だったよね。しかも、一年の時も一緒のクラスだったしさ~」
莉緒は桜井に聞こえないように隣の真璃に耳打ちした。
「うーん、でもあまり接点なかったなー。不登校になったのも最近気づいたっていうか」
「だよねー。てか、いつからだっけね。学校来なくなったの」
確かに並木大智は真璃と同じ中学校出身で、中学校でも三年間同じクラスだった気がする。しかし、あまり目立たない大人しいタイプの男子だった気がする。周りの男子からも浮いていたし、みんなと喋っているのをあまり見たことがない。
同じ高校に入学して、同じクラスになったのも途中から気づいたし、二年生に昇級した時にはもう学校には来ていなかった気がする。
「わからない……」
今日は頭の中も、口から出てくる言葉も“わからない”が多い。真璃はまた頭を抱えた。とりあえず、高橋君の事は帰ったら父に聞こう。
簡単な連絡事項を伝えた後、ホームルームは終わった。
「ここからが長いんだよな~」
隣の莉緒がそう言いながら思いっきり伸びをしていた。その通りだよと、心の中で呟きながら真璃は一限の授業の準備を始めた。
***
あっという間というほどではないが、授業という集中することがあれば結構すぐに時間というものは過ぎ去っていくものだ。
東の空にいた太陽が西の空に傾いて、夕焼けの赤みを帯びた光が町全体を包み込む。真璃の通学路にはきれいな桜並木の道があり、ちょうど満開を終え散り始めている。ちらちらと頭上から降ってくる花びらをぼーっと眺めながら真璃はトボトボと帰路に就く。
なんだか今日は朝から疲れた。あんなに慌てて登校したのは久しぶりかもしれない。毎日続く変わらない日常って退屈だとか、小説とかドラマの主人公が言っていたりすのるの聞いたことがある気がするが、平穏な日常こそが一番大事な事なんだなと、真璃は今日を振り返って悟った。
そんな事を考えていると、あっという間にアパートの前に着いていた。
「真璃ちゃん、お帰り。今日もお疲れ様」
アパートの階段を登ろうとしていると、後ろから声をかけられた。振り返るとそこには大家さんがいた。
大家の渡辺さんはアパートのすぐ隣に立っている平屋の一軒家に住んでいるお婆ちゃんだ。
アパートの管理は不動産会社ではなく、大家の渡辺さん本人がしている。お年寄りの、それも女手一つでアパートの管理は大変だろうと父も心配していたが、渡辺さんはなかなかたくましい。大体は自分で何とかしてしまう。
「大家さん、こんにちは」
真璃は振り返り、にこやかに一礼した。
「真璃ちゃん、お腹空いてるでしょ?これ食べて」
渡辺さんはそう言いながら手に持っているお菓子の袋を真璃に渡した。安野家は真璃が生まれる前からこのアパートにお世話になっている為、渡辺さんにとって真璃は孫のようなものなのだろう。会うと大体お菓子をもらえる。
「いつもお世話になっているのに、毎回お菓子までいただいてすみません。ありがたくいただきます」
「真璃ちゃん、もう高校生だもんねぇ」
渡辺さんは自分の孫の成長でも喜ぶかのように目を細め真璃を見ている。しかし、ふと思い出したことがあったのか両手を合わせながら口を開いた。
「そういえば、今日の朝、セイちゃんがお邪魔したでしょ?」
「……セイちゃん?」
はて?今日の朝安野家に来た人物といえば……真璃は今朝を思い返しながらポンと左の手のひらに握った右手を乗せた。
「あー、高橋さんでしたっけ?お隣の方の事ですか?」
「そうそう、高橋誠之助。昨日の夜、丁度ここらへんでへたり込んでたのを安野さんと一緒に見つけてねぇ。私ひとりじゃセイちゃんの事運べなかったから本当に助かったわ。お父さんにありがとうって伝えといてね」
「あ、はい。わかりました」
その後はいつも通り、ご近所のうわさ話や愚痴、自分の息子夫婦の近況など世間話を一方的に喋り、喋りつくしたところで渡辺さんはすっきりした様子でアパートの隣の自宅へと帰っていった。
「……セイちゃん」
渡辺さんが自宅に帰っていくのを見送ってから真璃は小さく呟いた。頭の中には今朝、安野家の玄関前に立っていた金髪でひょろっとした体躯のくたびれたような男の姿が浮かんでいる。
そういえば、朝食の時に夕飯も食べにくるようにと父が誘っていたことを思い出した。
今まで、父が自分の料理を他人に振舞うなんてことがあっただろうか。真璃が物心ついてからは一度もない。仕事の付き合いで外食するなんてことは年に何回かあったが、そういえば他人が安野家に招かれるということ自体かなり稀な事なのではないだろうか。
高橋君は一体どういった人なんだろう。自分でも他人にこんなに興味を持つのは珍しいなと思いながら真璃は階段を上がり、部屋の鍵を開け自宅に帰った。
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