2021.06 TEXT 『私という病』1 コホーネス
中村うさぎさんの『私という病』をようやく読んだ。中村さんのデリヘル体験や東電OLの考察が書かれた本だ。
中村さんがデリヘルに勤めたときの体験談、若いホストに入れあげて「義理セックス」をされたときの経験談、性的対象か否かという「モノ」としてしか女を見ない男たちへの洞察、そして東電OLに対する考察などが書かれている。
東電OL殺人事件とは1997年、東京電力のOLが、渋谷の円山町で売春をしていたときに何者かに殺された未解決事件のことだ。東電OLは、優良企業のキャリアでありながら、街で一番危険な直引き(街に立って客を取る)の売春婦となり、事件に巻き込まれて殺害された。
以前私は東電OLのことを『A-A'』という文章で書いた。
私には彼女の行動が、自分の存在意義を認められない不満からくる過剰反応ではないかと思えた。
男女雇用機会均等法でキャリアの一期生となった彼女だが、社内では彼女の優秀さは認められず、彼女はエイリアン扱いになっていた。
私は、もし彼女が会社で実力を正当に認められていれば、彼女はこのような行動には走らなかったのではないかと考えたのである。
中村さんは彼女の「女としての主体姓の回復」から、東電OL事件を捉えている。
中村さんは「私のように「自分が男の性的欲望の対象になることに関して、自分自身の主体性を確保したい」という動機を持つ者もいるのではないか。すくなくとも東電OLは、そういうタイプの売春婦だったのではないか」と書いている。
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「女である」ということは、男の性的対象になることに関して、自らの主体性を手放さなくてはならない、ということなのか? つまり、女はいつも「性的客体」でなければならず、それを受け容れなければ恋もセックスもままならないのか? そんなはずはない。我々の中には確かに「男に欲情されたい」という願望があるけれど、それは私の意志を無視して一方的に他者の欲望の餌食にされるのではなく、私の主体性に基づいて私のほうから「男を欲情させたい」ということなのだ。そう、欲情されたいのではなく、欲情させたいのだ、我々は。そこに自分の意志が関わっているのなら、私は喜んで男の欲望の対象となる。(P163-164)
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そして中村さんは、「私の肉体の主人は私であり、男たちが私の肉体に触れるためには金を支払って私の許可を得なくてはならないこと、さらに、私の肉体にはそれだけの価値があることを、私は身をもって確かめたかった」と述べている。
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東電OLは、自主的に個人売春をすることで、自分に「性的客体」であることを押し付けようとした人々に対してリベンジを果たしたような勝利感を得たのだ。それが、彼女を夢中にさせた恍惚感の正体であった。濃いメイクをして別人のコスプレをし、「性的強者」のキャラを楽しんだ。それは、自分が「性的弱者(他者から受動的な立場を押し付けられるのは、「弱者」だからこそである)」のポジションに置かれているという認識に苛立った女が、己の主体性を取り戻そうとした最後の足掻きでもあったのだ。真夜中の町で、孔雀のように毒々しい羽根を広げて、彼女は露悪の歓びに震えた。会社のヤツらは誰も、こんな自分を理解できないだろう。女に「性的弱者」であることを強要する無神経な男たちよ、自分が「性的弱者」の立場に貶められていることにも無自覚なまま生きている鈍感な女たちよ、ざまぁみろ。このゾクゾクした快感は、このうっとりするような勝利感は、ボンクラなおまえらが一生味わえない「選ばれし勝者の果実の味」なのだ、と。(P167)
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私は女としての性自認も承認要求も希薄なほうなのだが、女としての地獄にここまで真摯に落ちる彼女たちに厳粛な思いを抱いた。
女として行き過ぎた者への社会の目は厳しい。彼女たちは道化のようにも映る。が、普通の人間は彼女たちのように「戦いつづけてボロボロになって負ける」ことをしないだけだ。「適当なところで切り上げて終わりにする」、あるいは「自分から負け犬と名乗ろう」とする。
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彼が恐れたのは惨めになることではなく、惨めにすらならず、闘うことなく格好よく「卒えて」しまうことだったからだ。
この男は何と勇気のある男だ。私は腹の底からそう思った。この男には間違いなく「コホーネス」がある。コホーネスとは、ヘミングウェイが愛用したスペイン語で、男性器を意味するという。転じて肝っ玉あるいは勇気を意味するようになったともいう。だが、コホーネスのある男とは、ヘミングウェイのように自分の限界を守り、常に成功しつづける男のことではないだろう。コホーネスのある男とは、失敗しても、失敗しても、完膚なきまで打ちのめされるまで闘いつづける男のはずだ。
輪島はコホーネスのある男だった、肝っ玉のある男だった……。(『王の闇』P146)
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沢木耕太郎さんの『王の闇』からの引用だが、私は中村うさぎさんや東電OLに 「コホーネス」を感じる。
いつになるかわかりませんが、このお話は続きます。
お付き合いいただいて、ありがとうございます。
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