2021.06 TEXT 『蜜の厨房』さんのこと11 メインライン
小泉蜜さんのサイト『蜜の厨房』のやおい論、第十一回目です。
今回は『蜜の厨房MENU-3 やおい少女の心理II 不浄の力』をお送りします。
宗教は「創生期」以後、「派閥」や「分派」や「亜流」を生み、「教祖の教え」は「教理」になり、一人歩きを始めます。
「脱教祖化」した教理は「真理」となります。
こうして宗教は「安定期」に入ると蜜さんは述べています。
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そうすると、それほど熱狂的な信者でなくとも「ちょっと信じてみようかな」と軽い気持ちで参加する者も増えていきます。一人歩きを始めた教理は少しずつ、一般受けしやすいような内容に書き換えられてゆきます。
そうしてその宗教が一般化すると同時に、信者の間には信仰の怠慢が始まります。
「意味などわからなくても念仏さえ唱えていれば、死んでも極楽浄土に連れて行ってもらえる」というような、かなり安易な宗派までもが発生します。
現在のやおいはまさにこの「安定期」に突入したのだと思います。
教祖やカリスマがいなくても、すでに「やおい」は確立され、市民権を得たのです。
いまでは、さほど「やおい」を必要としない少女でもコミケに訪れ、「やおい」を読むようになりました。
「やおい」を読むことは、以前であれば「異端」であったのに、いまでは少しも珍しくない、むしろあたりまえのことのように受け止められるようになりました。
「やおい」にまつわる人口が増えれば、当然需要も増加します。
「やおい」であればどんな同人誌でもそこそこには売れるため、同人作家の数も爆発的に増加しました。
この同人作家たちが、安定期となった「やおい」を支えていくことになります。
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宗教の安定期では、教祖に代わって「巫女」たちが教団を動かします。
宗教エクスタシーと性的エクスタシーとは近縁にあります。したがって、巫女は「聖なる娼婦」としての色合いを帯びた存在となります。
宗教が一般化され、巫女も一般化、世俗化されると、「聖なる娼婦」の大半はただの「娼婦」へと堕落してゆき、その神秘性や神聖さを失い、大衆の側へ属するものとなります。
この「巫女」にあたるのが「やおい安定期の同人作家」だと蜜さんは述べています。
天女が消えたあと、巫女たちがすることは、創生期に天女たちが築いたものを、利用し、応用していくことです。
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「教え」はこうして「教祖」の手を離れ、「教理」となってひとり歩きを始めました。
「やおい」はひとり歩きを始めたのです。
それらのやおい作品には、「巫女」が受けた「神のお告げ」が描かれています。
・・・中にはほんとうに優れた作品もあります。けれど、大半の「巫女」がただの、大衆に媚びを売るだけの「娼婦」となってしまい、やおい作品には、安易な幸せの物語があふれるようになりました。
「やおい」とは何か。
そんなことは考えず、ただ「念仏さえ唱えていればよい」。
そして「一般受け」する作品を作れば「儲かる」。
こうしてやおいは一般化してゆきました。
やおいとは「愛」であるということになります。
そして「愛」の念仏を唱えれば、崩壊しかかっている母性幻想に代わって、あらたな幻想を手に入れることができると信じ、「愛さえあれば」という安易な幻想を声高に叫ぶようになりました。
母性幻想の崩壊によって精神の崩壊の危機に直面している少女たちは、巫女たちの甘く危険な言葉に魅了され眩惑され、幻想崩壊の現実から目をそむけさせられているだけなのです。
新興宗教は、それを信じさせることによって、信者に社会の矛盾を矛盾として受け止めることなく、むしろ気持ちを変えることによって自己の心の中でこれらを処理していくすべを身につけさせました。
そして皮肉なことに、矛盾による葛藤から生じたはずの新興宗教は、矛盾の解決をめざす革命を阻んでしまったとも云えます。
「やおい」はどうでしょうか。
あなたは「やおい」にのめり込むことで、なにか一番大切なものを、見失っていませんか?
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『不浄の力』の概要をご説明しました。
以下は私見と補足です。
「現在のやおいは安定期に入った」と蜜さんが書いたのは1998年です。
天女であった同人作家はオリジナルの商業作家として活躍し、1991年に「b-BOY」、1992年に「角川ルビー文庫」という、ボーイズラブの刊行が始まりました。この詳細は蜜さんがのちに語っていらっしゃるので、そのときにまたお話しします。
1998年ごろはボーイズラブ雑誌の刊行ラッシュがすこし落ち着き、ボーイズラブがJUNEを凌駕していきつつあったころかと思われます。
ボーイズラブ以前から一次創作の「男と男の恋愛」を扱っていたのは、1978年に刊行されて休刊、のち1981年に復刊して2004年まで刊行された雑誌『JUNE』です。
栗本薫/中島梓氏が雑誌に多大な貢献をし、影響を与え、中島梓氏主宰の『小説道場』では、ボーイズラブの人気作家を多く輩出しました。
ただ、中島氏はボーイズラブには否定的な見解を持っており、小説道場に「自分の門弟にはその道を行ってほしくない」と書いていらっしゃいました。
当時のJUNEには、少年愛・耽美の系譜から派生した暗くセンシティブな心の触れあいを描いた作品と、明るくハッピーなボーイズラブに繋がる作品の両方が掲載されていました。
蜜さんが指向していたのはおそらく少年愛・耽美から暗くセンシティブなJUNEの作品であろうと思われます。
同じJUNEでもボーイズラブに繋がる作品とは印象を異にする作品群です。
私が憧れ、おそらくは一生抜けられないであろうJUNEの作品群は、暗くセンシティブなJUNEの小説・漫画たちです。
明るくハッピーなボーイズラブも読みますが、病識が深い私にはそれらが砂糖菓子のように見えます。
私がほんとうに求めているのはいまだにJUNEの作品であり、漫画家のARUKUさんがおっしゃったように「BLのなかにJUNEのかけらを探し求めている」のです。
私は、そして蜜さんもやおいの勃興期を経験し、天女の作品の強烈な癒やし効果を知っています。
それはメインライン(麻薬を静脈に注射すること)を決められた麻薬患者のようなもので、その強烈な効き目を知っている身体は、ボーイズラブの明るくハッピーではあるけれど「嘘」である刺激では物足りないのです。
が、やおいが一般化することによって、それほど病識の深くない少女までがやおいを嗜むようになりました。
彼女たちが求めたものは明るくハッピーなボーイズラブでした。
そのため「教理」化したやおいが巫女である同人作家・ボーイズラブ作家によって量産され、拡散されていきました。
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新興宗教は、それを信じさせることによって、信者に社会の矛盾を矛盾として受け止めることなく、むしろ気持ちを変えることによって自己の心の中でこれらを処理していくすべを身につけさせました。
そして皮肉なことに、矛盾による葛藤から生じたはずの新興宗教は、矛盾の解決をめざす革命を阻んでしまったとも云えます。
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やおい少女に社会の矛盾を矛盾として受け止めることなく、社会に適応するよう処理するすべを身につけさせたのが、明るくハッピーな「ボーイズラブ」です。
何度も挙げていますが、蜜さんのいうところの「エセやおい」です。
もしあなたが社会に矛盾を感じてボーイズラブややおいを手に取っているのならば、ボーイズラブでは解消できない齟齬を抱えているのならば、あなたはボーイズラブで自分の不安や不満を眠らせるのではなく、自分の世界を変えるべきなのです。
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