2021.04 TEXT 「『ONE』いのちのクリムゾン 死のトパーズ」解説

■2020.11 「『ONE』いのちのクリムゾン 死のトパーズ」解説


 この雑文は、如月ふあ様の「『ONE』いのちのクリムゾン 死のトパーズ」同人誌版に寄稿した解説文です。


『ONE』いのちのクリムゾン 死のトパーズ

https://kakuyomu.jp/works/1177354054882957741


 小説は宇宙で不条理な戦争に巻き込まれるエースパイロットの成長譚で、骨太なSF心理劇なのですが、ボーイズラブ(BL)というよりはいにしえの耽美・JUNEを思わせる作品です。

 同人誌の読者さんがBLの読者層とはすこし異なるのではと思ったので、BLの流れを主に説明させていただきました。


ボーイズラブの流れから 深緑 白


 一九七〇年代ごろ、日本の創作界に男と男の性愛というジャンルが誕生した。当時「耽美」とも「JUNE(ジュネ)」とも呼ばれた、ボーイズラブの作品群である。それらの作品は少年同士、あるいは男性同士の性愛を題材としていたが、現実のゲイとは一線を画している。


 ゲイはヘテロセクシュアルのように性的嗜好が同性(異性)である人々だが、ボーイズラブでは、ひとりの男が愛した人間がワンアンドオンリーであることが重要である。性別や性的嗜好を超えて、その人がその人であるから愛される。それがボーイズラブである。


 ゲイやレズビアン、ヘテロセクシュアルでは愛が性的嗜好、あるいは生殖の欲望と結びついているので、それらの愛では「私そのものを愛している」という証明ができない。ボーイズラブを求める少女(性別は問わない)たちは、一対一の個の関係性を切実に夢見る人々である。


 それでは、ボーイズラブを愛好する腐女子がなぜ女同士の恋愛を指向しないのか。一対一の個の関係性を実現させるなら、女である自分は女を愛するしかないのに、腐女子はガールズラブを手に取らずにボーイズラブを選ぶ。それには、自分が女であることをめぐる複雑な心境が反映している。


 まず自分はホモセクシュアルではなく、ヘテロセクシュアルである。そして愛される性である女の内情……手練手管や、そのいやらしさ……を熟知している。自分が女であるから、女に夢を見ることができない。


 そもそもヘテロセクシュアルの恋愛にも夢を見ることができない、あるいは見る気がない彼女たちである。

 ヘテロセクシュアルの恋愛には、生殖や性的な欲望、ジェンダーの権力構造などの夾雑物(きょうざつぶつ)がたくさん詰まっている。


 腐女子が性別を超えた個と個の関係性を希求するのは、この世にありえない純粋な恋愛の形を求めているからだろう。だから腐女子はボーイズラブを「ファンタジー」と呼ぶ。


 ボーイズラブへの腐女子の心情は、ブラジルの「サウダージ」という概念に似ている。「サウダージ」とは、永遠に叶わない夢や願いごとに対する憧れのことである。

 男になって男に「純粋に」愛されたいという、永遠に叶わない願いを腐女子は抱いている。


 そして自分の感情を「ファンタジー」だと韜晦(とうかい)する。その「ファンタジー」の共同幻想のなかで、ありとあらゆる性的なアトラクションを堪能する。

 ボーイズラブは永遠に叶わない「純粋な」恋愛への嗜癖である。


 前置きが長くなったが、『ONE』はボーイズラブのなかでも、ジャンル創生期の「耽美」「JUNE」に近い作品である。


 「耽美」の作品では、外国の学校や日本の家元など、ファンタジー的な環境下で生々しい心理劇が描かれたが、「JUNE」になると舞台が現実に近づき、逆に恋愛のほうに現実から遊離したファンタジー的な要素が増えてきた。


 その後の「ボーイズラブ」では、以前の「耽美」「JUNE」にあった男同士の葛藤や現実の重さが消え、明るくてハッピーなファンタジーが主流になる。ファンタジーなので、男同士の結婚・妊娠や子育てなどもふつうに存在する。


 『ONE』はこの区分でいくと「耽美」の時代の作品群に近い。特殊で閉鎖的な環境下での、生々しい心理劇である。

 登場人物たちは想い人のたったひとりの人間になりたいがためにあがき苦しみ、ときには死を求める。

 『ONE』は性愛のベクトルが複雑に絡み合っている作品であるが、登場人物からは愛欲の匂いがしない。匂い立つのは自分の存在意義を相手に懸けたひとたちの、抽象的な血の匂いだ。


 「耽美」「JUNE」のころの作品には、「こう思う自分はおかしいかもしれないが、これを読まなければ生きていけない、書かなければ生きていけない」と思わせるほどの熱量があった。それらの作品群を読む・書くことで自分を治癒するような働きがあったのである。


 当時は腐女子という言葉がなかったが、それらを求める少女たちには自分の存在意義を過剰に肯定してもらわなければならない脆さ・繊細さがあったのではないだろうか。自分が女であることを留保する空間が必要だったのではないだろうか。


 『ONE』にも、書くことによって自分を治癒していた当時の少女たちの気配が濃厚に窺える。自分の存在意義を外部に脅かされていた者たちの、過剰な自己肯定の気配だ。


 登場人物たちは自分の存在を外部から脅かされている。カツミは強大な特殊能力を持つがゆえに自分を抑えなければならない、強くはあるが脆い主人公だ。

 フィーア、ジェイ、シド。みんな優れた資質を持ちながら心に想い人の形の空洞を抱えた、脆弱な部分を持った人々だ。

 かれらがどのような形で心の空洞を埋めるのかが、この話の主軸である。


 本来はひとによってひとは救われない。それを決めるのは自分のこころだ。が、ひとを信じることによって自分が救われる。

 定められた運命に翻弄されながら、いかにひとを、そして自分を信じることができるか。

 それはひとによって自分が救われたいとほんとうは願っている、「耽美」「JUNE」を求める少女たちに共通する願いである。

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