2021.04 TEXT 行間の消失、メインライン、先祖返り

■2021.04 行間の消失、メインライン、先祖返り


 Twitterのタイムライン(時系列で流れてくるさまざまな呟き)のなかで、商業BLの現状のツイートを見かけた。意訳であるが、プロのBL作家さんが「自分の作風では今のBLにはついていけない」と嘆く感じのツイートだった。


 BL小説の発行部数は年々縮小している。発行部数の減少は出版社にとって「確実に売れる」商品を出さなければならないという無言の圧力になる。


 くもはばき氏の『いいものは、いくつあってもいいものだーBL小説の設定1年分ぜんぶ調べた③【2020〜2021年版】』の同人誌が届いた。一年に発行された商業BL小説の設定をすべて抽出した労作である。

 それを見て「題名がほぼ萌え要素のプレゼンだな」と思った。ライトノベルもそうであるが、今の読者は小説の内容が題名で見通せないと話を読まないのだろう。


 昔の映画の邦題は「慕情」や「黄金狂時代」など、どこか余情を感じさせるものが多かった。そこからずいぶんかけ離れてしまった感がある。以前はエンターテインメントの供給が今ほど多くなかった。現在は洪水のようなコンテンツから瞬時に自分に合うものを選ばなければならない。それゆえの行間の消失かもしれない、とも思う。


 現在のBLはそれを求めている人にだけ共有される共同幻想であり、現実の不満をひととき癒やすサプリメントである。

 が、サプリの効果は一時的なものであるため、腐女子はふたたびBLを手に取る。自分好みの萌え要素を集めて消費し、ときには再生産する。

 BLには中毒性がある。メインラインとは麻薬を静脈に注射することだが、BLは中毒性があるという点でメインラインの薬物に似ている。

 麻薬成分は「現実にはありえない恋愛体験」であり、BLの読者はそれをホモセクシュアルのアトラクションのように堪能する。萌え要素は遊園地に並ぶ数々のアトラクションだ。


 最近ベストセラーになった恋愛小説を読んだ。BLではなく、ライトノベル寄りのエンターテインメントである。

 読んだ感想は「作者が感じてほしい内容がそのまま文章に書いてある」だった。今の小説はあらかじめ行間を作らないことがヒットの条件なのかな、と。

 アマゾンや読者メーターにレビューがたくさんついていた。稚拙というレビューもあったし、感動したというレビューもあった。

 その作品は当世を代表する作品にはなるかもしれない。しかし普遍的な作品にはなり得ないだろうというのが私の感想だった。

 現代美術の作家・村上隆氏の「スーパーフラット」を小説にするとこんな感じか、とも思った。

 そして、「スーパーフラット」という言葉で思い出したのが東浩紀氏の『動物化するポストモダン』だった。


 『動物化するポストモダン』は、「大きな物語」が失われてしまった2000年初頭、オタクが辿り着いた「小さな物語」の「データベース消費」「シミュラークル」の話である。

 「シミュラークル」とは、ボードリヤールが予見した文化産業の形態である。ボードリヤールは、作品や商品のオリジナルとコピーの区別が弱くなり、そのどちらでもない「シミュラークル」という中間形態が支配的になると予測した。オタクの二次創作が「シミュラークル」に該当する。


 「大きな物語」が機能していたころ、「小さな物語」たちは同じ世界観を共有する作品群であった。「大きな物語」からの意味づけができたのである。

 が、その後の「データベース消費」では、「大きな物語」がなくなり、設定の集積(データベース)だけが存在する。「小さな物語」たちはデータベースから自分に都合のいい設定を組み合わせて「シミュラークル」を作る。オタクは「シミュラークル」を作品として消費する。


 東氏はやおい(BLの旧称)は女性のセクシュアリティの問題が絡んでいて、男性オタクと同じ文脈では語れないのではないかと指摘している。

 が、私は、現在のBLはこのモデルで説明がつくと思う。

 BLは「萌え要素」という設定を組み合わせて「シミュラークル」を形成する。重要なのは「シミュラークル」の差違であり、「大きな物語」という普遍や世界への希求はあらかじめ失われている。


 BLは前述のとおり、それを求める人だけに共有される共同幻想である。現実のLGBTとは重なる部分はあるが異なるものだ。

 が、優れたBLのなかには共同幻想を超えて普遍に辿り着く作品もある。それらの作品は、腐女子や腐男子ではない人々の心にも響く。

 私は、前述のBL作家さんは「データベース消費」ではなく、普遍に辿り着きたい作家ではないかと勝手に思っていた。

 普遍に辿り着くには「データベース消費」よりも、潰えてしまった「大きな物語」への先祖返りを果たしたほうが容易であるように思える。


 商業BLの売り上げを伸ばすには、共同幻想を持たない人にBLを手に取ってもらう必要がある。

 BLの麻薬成分に頼らず、「萌え要素」というデータベース消費でもない、「男が男に恋をする」物語をどれだけ多くの人に届けられるか。

 それには、たぶんもう存在しない「大きな物語」から世界を再構築したほうが早くないかと私は思う。「大きな物語」にはまだ普遍に繋がる細い道があるような気がするからだ。

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