2021.06 TEXT 『蜜の厨房』さんのこと5 おとぎ話のその後

 今は閉鎖されているやおい論のサイト『蜜の厨房』さんのお話、第五回です。

 『蜜の厨房』の本論が出た2000年当初、「腐女子」という言葉はありませんでした。

 なので本稿でも蜜さんに倣って腐女子のことを「やおい少女」「ヤオラー」と表現しています。


 本稿は『蜜の厨房』 menu_2 やおい少女の心理I「引き裂かれたおかあさん」を中心にしています。

 

 やおい少女たちは「男同士の愛」に固執していますが、少女たちが欲するのは恋人でも夫でもない、と蜜さんは述べています。


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やおい作品のなかに見られる典型的なパターンのひとつに、「保護者」と「被保護者」という人間関係があります。ありていにいってしまえば「白馬にのった王子様」と「お姫様」の関係です。

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 やおいでは、この「王子様」と「お姫様」に必ず「愛と性」が付加されます。


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「愛」と「性」という言葉から、みなさんは何を連想されたでしょうか。

――わたしはずばり「母性」でしたね。


愛と性を司るのは、恋愛ではなく母性です。

なぜなら、恋愛とは基本的に「母子関係の模倣」だからです。


もっとはっきりいってしまえば「おかあさん」と「赤ちゃん」――いまでは他者となってしまったが、かつては一体であった唯一の人間との関係です。


やおいとは母子関係、というか、「母娘関係」が基盤となって立ち現れてきたものだったのです。

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 「人間関係というのはそもそも母子関係の模倣だ」と蜜さんは続けます。


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したがって、健全な母子関係を育めなかった人間は、他者との関係を上手く構築することができません。


そうして他者とうまく人間関係を作ることができなかった少女たちは、その原因であるところの母子関係に還ってゆこうとします。

反復することで、もういちど母子関係を構築しなおそうとするのです。

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 「母性」もひとつの共同幻想であり、社会の一種の洗脳である。そんなものはもともと存在しない、と論は続きます。


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しかしすでに、母性という、現代の社会を支えるために必要不可欠な幻想が、崩壊しかけ、不安定な状態にあるのではないかとわたしは考えています。


不安であるがゆえに、もう一度、その母性幻想が幻想でないことを確かめようと、必死であがいている、それが少女たちの「やおい」ではないでしょうか。

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 「引き裂かれたおかあさん」の骨子をご説明しました。

 この後もやおいが母娘関係から生じたものである説明が続くのですが、その話は次回また取り上げます。


 ここから先は私の補足です。

 やおいは「母娘関係」の模倣であり、やおい少女は実際の母子関係の構築に失敗しているからこそ、創作のなかでそれを再構築しようとしている。

 それでは、本当に私たちは母子関係の構築に失敗しているのでしょうか。


 それは私たちの母世代がどのようなものであったかを見ればわかります。

 ここでは母世代を母数が多い団塊の世代に設定しています。

 団塊の世代とは、昭和22年から24年ごろ――戦争が終わってしばらく経ったころに生まれたベビーブームの人々のことです。


 彼女たちは大学時代、学生運動を繰り広げることによって、男女平等を夢見ていました。

 が、学生運動の男性たちは、彼女たちを「ゲバルト・ローザ」(いっしょに戦う同志)と「救対の天使」(後方で活動の支援をする待つ女)に分けました。自分の彼女に選ぶのは後者のほうでした。

 男性は女性と平等になることなど考えていなかったのです。


 団塊の世代の女性たちは、大卒であっても就職率は六割程度であり、それも公務員と教職にほとんど限られていました。

 見合い結婚から恋愛結婚へと多数派が移行した七〇年代半ばに結婚し、恋愛とセックスと結婚の三位一体説(ロマンティックラブイデオロギー)を信じて結婚生活に入った世代です。


 が、その後核家族のなかで繰り広げられたものは、孤立した育児と、旧態依然とした性別役割分業を基盤とした日常生活でした。ロマンティックラブイデオロギーの夢と信仰は破れ、彼女たちの深い部分で挫折感がもたらされました。


 男女平等を夢見て、ロマンティックラブイデオロギーを信じて挫折した世代。それが私たちの母世代です。



 蜜さんが「母性は一種の共同幻想であり、母性が崩壊しかけている」と述べている根拠は、江藤淳の『成熟と喪失』のこの文章からも窺えます。


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彼女は男のように「家」を離れ、男のように「出発」したいのである。それはとりもなおさず女である自分に対する自己嫌悪にほかならない。私は前に、時子にとって「母」になることは老年に変貌することを意味した、といった。つまり彼女にとって「母」であり、「女」であることは嫌悪の対象である。

(中略)

これが、「近代」が日本の女性に植えつけた一番奥深い感情だといえば、問題は一般化されすぎるかも知れない。ある意味では女であることを嫌悪する感情は、あらゆる近代産業社会に生きる女性に普遍的な感情だともいえる。(成熟と喪失 江藤淳 講談社文芸文庫 P64)

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 現在の家族は明治以降に、日本が近代国家として列強に伍していくための拠点として作られたものです。これを「近代家族」と呼びます。

 そして母性は、戦時中には国を守り、わが子である男たちを敵地へ送るための根拠として使われ、戦後は貨幣経済のなかでお金では買えない尊いものとして称揚されました。


 が、戦後、男女平等が謳われるようになってから、女性たちは「母」である/「女」であることが自分のマイナス要素になると気づきました。

 そこから母性は女性たちのなかで「自己崩壊」を始めるようになったのです。


 ありもしない「男女平等」

 ありもしない「母性」

 ありもしない「恋愛とセックスと結婚の三位一体」


 そういうものを見て、団塊の世代の娘である団塊ジュニアは育ったのではないでしょうか。


 私たちの母世代は「王子様とお姫様はお城で幸せに暮らしました」というおとぎ話の結末を本気で信じて結婚生活に入った最初の世代です。

 そしておとぎ話のように幸せにはならなかった、従来の女性たちの直近の世代です。


 私たちやおい少女は、母世代の「おとぎ話のその後」を目の当たりにした子供ではないでしょうか。

 男女平等を夢見て挫折した母世代のようにはならないと願った、最初の世代ではないでしょうか。


 もしかしたら現実ではロマンティックラブイデオロギーは叶わないかもしれない。

 男と女では平等になることはできないかもしれない。


 ……それでは、男と男なら?


 団塊ジュニア世代は現在は親となって、子育てをしている最中であろうと思います。

 やおい少女たちはひっそりと、ロマンティックラブイデオロギーを叶える方法として、やおいを開発したのかもしれません。


 母子関係についてはまた次回に取り上げます。

 今回はここまでです。お付き合いいただき、ありがとうございます。

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