2019.12 TEXT わたしのねだん
■2019.12 わたしのねだん
木嶋佳苗を巡る言説についてのつづきです。
北原みのり氏の『毒婦。』からの引用を繰り返す。
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結局のところ、私たちは、未だに女のセックスや女の容姿、つまりは女であることを取り扱いかねているのかもしれない。なぜ女は身体を売って悪いのか、なぜその職業がこんなに貶められているのか、なぜ男は買い続けるのか、結婚に私たちは何を求めているのか、無償のセックスで女は何を得られるのか。女はこの社会でどう生きれば、愛されるのだろう。自由になれるのだろう。
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資本主義社会を生きる私たちには、自分が意識せずとも「値札」が貼りついている。
学校、職場、家庭において、私たちは「値札」を付けられ、査定されている。容姿などの生まれつきの資質から、学力や体重や経済力など、努力すれば変えられる資質まで。
男と女の「値札」の付け方は少し異なる。男は女よりも容姿などの変えられない資質による査定が少ない。私は、男は女よりも、学力や経済力、仕事の能力など、自分で変えられる資質によって「値札」が変わるような気がする。
生まれつきの資質である容姿は、女にとって重要な要素である。だから女は男よりも容姿で努力しなければならない。化粧、ダイエット、整形。いずれも変えられないものを変えようとする女の努力である。
木嶋佳苗はあまり化粧をしなかった。ブランド物の洋服などはたくさん持っていたが、木嶋が化粧に凝った形跡はない。
それが自分の「値札」の低い女からは、男に媚びないいさぎよさのようにも見える。
木嶋は代わりに上品な物腰と美しい声を持っていたという。「ブス」で「デブ」で「すっぴん」の女が男を眩惑する痛快さが、木嶋の追っかけの女性を生んだ原動力なのだろう。
佐野眞一氏の『別海から来た女』によると、木嶋はメールでは非常に饒舌で言葉巧みな文章を送ったが、直接会ったときは無口であったという。
木嶋が裁判の後で公開した手記も、非常に美しい手書きの文字で書かれていた。
が、その手記の内容は謝罪も改悛の情も見られない、非常に空疎なものであったと、北原氏と佐野氏は口を揃えて述べている。
木嶋の美しく空疎な文章は、木嶋の性格そのものなのだろう。
高級ホテルやレストラン、高価なプレゼントを自慢したブログは、木嶋の空疎な自分を最大限に大きく見せようとした試みなのだろう。その「イタさ」に2 ちゃんねるのネットウォッチ版の住人は反応した。
私は、木嶋佳苗のブログや2 ちゃんねるの掲示板は、事件発覚の折にすこし覗いてみただけなのだが、基本的にネットウォッチ板はウオッチしている対象には「お触り禁止」である。私のようなニワカではなく、事件が発覚する以前から木嶋のブログをウォッチしていた人たちは、この事件をどう考えていたのだろう。
自分たちがウォッチを楽しんでいる裏で、何人もの男性が犠牲になっていた事実を知った彼らはどんな反応を示したのだろう。今は2ちゃんねるのログが残っていないので、それを知るすべはない。無邪気で残酷な神様のような視点で、私たちは木嶋佳苗の「イタさ」を楽しんでいたのではないだろうか。
無邪気で残酷な普通の人たちは、木嶋佳苗の見栄と内実のギャップを見抜いていた。木嶋の内実は、まともに働いたことがなく、風俗と詐欺と殺人で豪華な生活を送っていたプー太郎だ。そんな彼女に殺人に到る内的な思想などあるはずもないだろう。外見だけが派手にラッピングされたハリボテのようなものだ。手記の内容のなさは、木嶋の思想の貧しさを如実に表している。
中村うさぎ氏の『死からの生還』で中村氏は、周囲の木嶋に似た女性の性質を挙げている。
見目麗しくない彼女たちは、非常に自分の値段を高く評価している。「ブス」や「デブ」であるのに男にモテる自分を自慢する。虚栄心が強い。そして、そんな自己イメージを糊塗するための虚言癖を持っている。プチ木嶋みたいな女性たちだ。
前作の雑文でも述べたが、木嶋は自分の値段をありえないほど高く見積もっていた。
自分の料理やセックスなどのケアに、男たちが全財産や命をつぎこむのを当然だと思っているのだろう。あるいはそこまで深く考えずに、男たちが自分の邪魔になったらあっさり殺せる精神構造の持ち主だったのか。
プチ木嶋のような女性たちは大勢いる。日本でも、世界でも。財産目当てで男を籠絡する女などありふれている。木嶋のように寄生主を殺さないだけのことだ。そして、自分の値段をそこまで高く査定していないだけのことだ。
以下も『毒婦たち』の北原氏の発言の繰り返しである。
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結婚を含めた男との関係のなかで、自分のセックスの価値と男の経済とを交換したことない女なんていない
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北原氏の文章が私の心に刺さるのは、男と関係を持とうとする自分にもプチ木嶋が潜んでいるのではないかと思えるからだ。
さして女としての値段が高くない自分も、セックスの価値と男の経済とを交換したことがなかったかと自分のなかのプチ木嶋に問われるからだ。
が、私のなかで自分は木嶋とは違うのだという声がする。
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「この世の中で値札がついていない人間は君ひとりだけじゃないんだよ、マーロウ」
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レイモンド・チャンドラーの『ロング・グッドバイ』からの引用である。
この世界には、値札のつかない行為がある。愛情や友情、他人へ対する無償の行為。
私には、無私の愛情を与えることが、この世界で唯一自分が「値札のついていない人間」になる方法であるような気がする。
「値札のついていない人間」になれるのは、家族や恋人など、ほんの一握りの人間に対してだけかもしれないが、人生のほんの一瞬でも、自分が「値札のついていない人間」になることができるのは、尊いことではないだろうか。
ハリボテの愛情を装うことだけが人生のすべてだった木嶋佳苗には鼻で笑われるかもしれないが、私はそう思うのである。
恐ろしいことにまだ続きます。お付き合いありがとうございます。
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