2006.12 TEXT 性別を越えて好きという奇跡

■2006.12 性別を越えて好きという奇跡


 私は録音していたラジオの番組に紛れ込んでいた中村中の『汚れた下着』に聞き入っていた。私は車中でずっとラジオを聴いているが、引き込まれる曲は一年に何曲もない。きれいな嘘より汚れた本音を聞くほうがほっとすることもある。その歌はまさに汚れた本音の歌だった。

 私はとりあえず中村中のオフィシャルサイトを探した。そのころは中村中が性同一性障害であることは発表されていなかったので、私は、中村中を女性だと思っていた。

 シングル第二弾の『友達の詩』は、中村中が15歳のときに書いた友達にもなれなかった好きな人の歌だという。JUNEから離れられずにいる身としてはなんとも馴染み深い世界観で、ヘテロの人が聞いても切なくいじらしいと思えるような歌詞である。でも奥底ではやはり性別を越えて好きという奇跡を願うんでしょう、と本人に聞いてみたくなった。性別を越えて好きという奇跡を具現化することがいかにむずかしいか、やおいを書く人は身をもって知っている……と思う。だからやおらーの多くは性別を越えて好きという奇跡を記号化してしまったほうが楽だと考える。奇跡を記号化した結果、ボーイズラブがジャンルとして定着したように。

 性別を越えて好きという奇跡がなかなか起こり得ないことの鬱屈を、私たちはよく知っている……意識化しているか否かにかかわらず。その鬱屈の解決法のひとつを、中村中は自分を納得させるために書いているような気がする。でもそれは自傷することで自殺を止めるような方法で、それはたぶん、うそのほんとうだと思う。うそのほんとうはすこしずつ自分の首を絞めていく。自分の首を絞めるのは自分の手だ。でもある種の人間はそうすることでしか生きられないんだろう。すこしずつうすくなっていく空気のなかで、真実を待っている。やおらーがホモセクシュアルのアトラクションを作り上げてしまうのは、記号化された世界のなかでもどこかで真実を探求しているからであるように思える。

 『友達の詩』を「無垢」というひとことで語ってしまうことに違和感を覚えてこんな文章を書いた。

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