2009.05 TEXT A'
■2009.05 A'
栗本薫/中島梓氏が亡くなられた。享年五十六歳。死因はすい臓ガンであったという。
私は彼女の理想的な読者ではなかった。いちばん好きなのは『小説道場』で、栗本薫の小説は感性が合わなくて読めなかった。それでも、道場主としてはいまでも尊敬している。人間は年をとると退化することがあるのだ、と教えてくれた人でもある。
自分が過去に書いた文章のパッチワークになるのだが、栗本薫/中島梓氏について思うところをまとめてみたい。
『名探偵は精神分析がお好き』は中島梓氏と精神分析家の木田恵子氏の対談集である。私は以前、この対談集の一部だけに反応して感想を書いた。
対談集のなかで、中島氏が自分の成育史を語るくだりがある。
それを見ると、中島氏が二重の未生怨を背負っていることがわかる。未生怨とは、自分の出生にまつわる因縁に対する怨みのことで、古沢平作氏が提唱した阿闍世コンプレックスのなかの概念である。阿闍世コンプレックスは、フロイトのエディプス・コンプレックスの日本版である。ちなみに、古沢平作氏は木田氏の恩師だという。
中島氏が抱える未生怨は以下のふたつである。
<1>
中島氏の母親は、子どもが生まれるまえに占い師から「あなたの子どもは有名になる」といわれていた。そのせいで、親が中島氏を男の子だと思い込み、男の名前を用意していた。
<2>
自分が本来つけられる名前を貰った弟が脳性麻痺になり、一生寝たきりの身体になった。母親から「弟のぶんの運勢までとっちゃった」と言われた。
それによって中島氏はふたつの呪いを背負うことになる。
I 自分は弟の身代わりである。
II 自分は弟を犠牲にして生きている。
本来、弟さんが脳性麻痺になったことで中島氏が罪悪感を覚えることはない。私は、中島氏の母親が弟の運命にそのような理由をつけたことが悪かったと思う。母親にそのように言われたら、中島氏は弟を含めて二人分の人生を生きなければならなくなる。そして、女性としての自分を尊重できなくなる。その結果、いつまでも自分の人生に満足できなくなってしまう。栗本薫氏の作品に感じられる「私を認めてほしい」という過剰なメッセージは、中島氏の出生にまつわる「未生怨」からくるものではないだろうか。
栗本薫/中島梓氏は弟のA'になることで、膨大な真空を埋めなければならなかった。赤い靴をはかされたA'の運命は同じで、自己否定感と、そこからくる過剰な自己言及で自分をさらに孤独に追いこんでいく。同じく自分をA'だと思っていた東電OLは娼婦になったが、栗本薫/中島梓は小説・評論を書いた。それでも自分に満足できなくて、拒食症や買い物症候群、作品の自己破壊(グイン・サーガがやおい化したのは作品の自己破壊だと思う)を起こした。みずから興したJUNE小説の道はいまのBLとはちがうと「栗本薫のヤオイ」を孤立化させた。
自分の生を認められない自己否定感からくる過剰な自己承認要求。これが栗本薫/中島梓氏の原点であった。グイン・サーガをギネス記録に認定させようとしたり、小説道場やワークショップを通して後続を育てようとしたり、舞台の演出をしたりとさまざまな手法で彼女は「私を認めて」と叫びつづけた。それは木田恵子氏のいうところの一歳人(パラノイア気質。一歳児的な全能感や誇大妄想をもち、他人にあくなき賞賛を求める。特有のしつこさや、攻撃性、敵対心があるが、それが昇華されるならば、仕事への原動力、徹底的な努力、忍耐力などになる)を体現した存在である。
JUNEを求める人から見れば、栗本薫/中島梓氏は極度にデフォルメし、強烈で陰鬱な自画像でもある。栗本薫/中島梓氏の自己否定感からくる過剰な自己承認要求を彼女から引き継いでいるからである。彼女の過剰な人生を私は笑うことはできない。それは自分のなかにある素質を嘲笑するようなことだからである。
すこしは『小説道場』の道場主への手向けとなっただろうか。栗本薫/中島梓氏のご冥福を心よりお祈りする。
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