第5章 凶弾いずこから
現場のホールに足を踏み入れる。大きなホールだ。鉄骨が通された天井までの高さは二十メートルはあるだろう。打ちっ放しコンクリートの床にパイプ椅子が並べられているが、整然と、とはいかず、椅子の列は大きく乱れている。ライブの熱狂と事件の混乱によるものなのだろう。
一番奥にはステージが見える。建材で組まれたステージは、映像で見たとおり床面から二メートル程度高くなっており、左右には階段が備え付けられている。客席最前列はすぐ手前に柵が設けられており、その柵とステージまでの間には、三メートルほどのスペースが広がっている。その一角、客席とステージのちょうど真ん中辺りに、直径二十センチほどの円形に白いテープで囲われた箇所がある。拳銃が落ちていた位置だ。
「最前列からでも、ステージ上まで五メートルはあるね。拳銃で狙うにはギリギリの距離だよね」
そう言って丸柴刑事を向いた。
「ええ。拳銃の弾丸が飛ぶ距離自体は数十メートルあるけれど、有効に標的を狙えるのはせいぜい十メートルくらいが限界でしょうね。何の射撃訓練も受けていない素人なら、さらに射程距離は縮まるわ。五メートル離れて狙った的に当てられたら大したものよ。おまけに今回の凶器は正式に製造された銃じゃなくて、マニアが作った改造銃だしね」
だよね、と言って理真は階段からステージに上がる。ステージ上は黒いパネルが敷き詰められていて、ここにもやはり、白いテープで囲われたエリアが。だがそれは、ステージ下のものとは違い、くっきりと人のシルエットを形作っている。ボーカルのマサキこと
理真がそうしたため、私も今度はステージ奥に視線を向けた。そこは、ドラムとキーボードが置かれ、ギターやベースが何本もスタンドに立てかけられている。アンプなどの機具もある。その背面に組まれたセットには照明装置が取り付けられ、また、照明とは違う機材も確認できる。
「あれが」と
なるほど。あんなところから花火を撃てば、ステージ上や前列の観客席まで火薬が飛んでしまうのは間違いないだろう。色々な偶然が重なって、厄介な事件になってしまった。だからこそ素人探偵の理真に出馬要請がかかったわけだが。
その探偵はステージ奥に移動して、まずドラムのシートに座った。備え付けられていた二本のスティックを両手に持ち、ドラムやらシンバルやらを叩き始める。ドンドン、カンカンと、何とも気の抜けた音がステージに響く。ジーリオンのライブ映像でドラムのリョウタが巧みにスティックを操って叩いていた、同じ楽器から出された音だとは到底信じられない。
理真は次に隣のキーボードへと移り、右手人差し指で鍵盤を押し込んだが音は出ない。電源が切られているようだ。理真はスイッチを探しだしてオンにしてから、再び鍵盤を押す。ドレミーレドドレミレドレー。理真は三本の指を使い、見事にチャルメラを奏でた。コケそうになる。
次いで理真はベースの位置に移動して、何本か立てかけられていた中から一本のベースを引き抜き、ストラップで肩から提げて演奏する状態に構えた。長い髪を背中側にかき上げてからベースのネックを握る。ここだけ見ると非常に絵になって格好いい。美人女性ベーシストだ。が、弦を指で弾き始めるとベーシストではないことが露呈する。ベンベンと単調で情けない音を弾き出すことしか出来なかった。素人なので致し方ないのだが。
最後はギターだ。ここでも理真は、外見だけなら美人ギタリストに変身した。が、やはり当然、弾かれた弦から響くものは、何とも形容しようのない情けない音に終始した。ギターをラックに戻すと、気が済んだのか理真はステージ中央へ戻ってきた。
「遮蔽物は何もないから、バンドメンバーの場所からも難なく狙撃は可能ね」
そういうことだったのか。理真は各楽器の位置からでもボーカルを狙えるかを確認していたのか。確かに理真は楽器を下手くそに演奏しながらも、ちらちらとステージ方向に目を向けていた。遊んでいるわけではなかったのだ。いや、チャルメラは完全に遊んでいたのだろうけど。
「そうなのよ」と丸柴刑事は、「せめて、銃がどこから撃たれたかだけでも分かれば、自然と犯人候補も絞り込まれるんだけどね」
撃たれたのがステージ側からなら、バンドメンバーの四人。観客席側からなら、先ほど話に出た拳銃の有効射程距離を考えると、ほぼ最前列の客に限定されるだろう。
「ねえ、理真、観客が犯人だということはあり得ると思う?」
私が訊くと、どうして? と理真が向いた。私はさらに、
「だって、拳銃だよ。そんなものをステージ上に向けたら、いくら何でも周りの人が気付くんじゃないの?」
「あながち、そうとも言えないわよ。
「そうか、タオルで銃を隠すようにして持っていたら……」
「そう。しかも、あのタオルは黒っぽい色で、拳銃を隠すいいカモフラージュになったでしょうね」
観客席から狙撃する条件も揃っているというわけか。
「前からなのか、後ろからなのか……」と理真は舞台のぐるりを見回して、ステージ横方向に視線を留めると、「
「そうね。舞台袖にはスタッフが待機していて、曲の合間やMCの間にメンバーにタオルを渡したりしてるらしいから、そこからの狙撃、というのも考えられるわ」
スタッフと聞いて、先ほど聴取したマネージャー
「そうなると、容疑者はさらに増えるってわけね」
「うん。でも、そういった裏方のスタッフは、被害者との個人的な繋がりはない人がほとんどだから、動機の線では考えがたいけれどね。でも、もちろん捜査の手は入ってるわよ」
「そうか……」と理真は今度はステージの床面を見回して、ある一箇所に歩み寄ると、その場にしゃがみ込んで、「丸姉、ここ、これ何?」
理真が指さしたのは、床面に走る溝だった。見ると、その溝は正方形に床面を切り取るように掘られており、一辺の長さは一メートル半程度だ。
「ああ、それは」と丸柴刑事も理真の隣に移動して、「〈せり上がり〉よ。その下にジャッキが仕込んであるの」
「歌舞伎とかで使われるやつね」
「そうそう。その切り取られた床面がジャッキで上下するようになっていて、公演が始まるとき、メンバーがそこからせり上がってくるの。そんな演出で登場するのは、ボーカルのマサキさんくらいだったそうだけれど」
「なるほど……」
説明を聞いた理真は、さらに床に腹ばいになって、覗き込むように溝に片目を当てている。
「丸姉、この下って、どうなってるの?」
「舞台の下は建材で組まれてるだけだから、ほとんど空洞よ。行ってみる?」
「うん」
私たちは舞台袖から舞台の裏側へと移動した。
丸柴刑事の言ったとおり、ステージの下は建材が骨組みのように組まれただけの、ほとんど空洞になっていた。ステージ自体の高さが二メートルほどあるため、屈んだりしなくとも普通に歩いて通る事が出来る。せり上がりに至るまでの通路は、人が通る必要があるためか、薄暗いが照明も灯されており、歩くのに何の不自由もない。
「ここ。これが、せり上がりの設備よ」
丸柴刑事の声に見上げると、天井(ステージ床の裏面)の板張りが、やはり一メートル半程度の正方形に切られ、それを簡易なジャッキ設備が支えている。理真はその下に潜り込み、背伸びをして天井の溝を覗き込む。
「隙間があるね」
「それはもちろん。ジャッキで床を上げ下げするから、ある程度の隙間がないと、つっかえちゃうわ」
理真は手を伸ばして、その隙間に指を入れると、
「狙えるね」
「狙えるって? あ、もしかして」
「そう。これだけの隙間があれば、拳銃の弾丸は十分通るんじゃない?」
丸柴刑事も溝を確かめる。彼女は理真よりも背が高いため、より詳細に調べられるだろう。
「……確かに、使われた銃の弾丸は九ミリだから、これくらいの隙間なら通るわね」
「あ、でも」と私は声を挟み、「被害者が撃たれたのは背中なんだよね。下から撃ったら、背中には当たらないんじゃ?」
「それもそうか……」
と丸柴刑事は溝から視線を外したが、理真が、
「いや、由宇、そうとは限らない。思い出してみて、映像で見たマサキさんの歌い方」
歌い方……体全体を動かし、回り、膝を突き、跳ね、ときには背中がステージの床と水平になるほど仰け反って……。
「あ」
「そう。マサキさんは、背中がほとんど床面と水平になるくらいまで体を反らせているときもあった。その瞬間を狙えば……」
「背中に命中させられる?」
「待って」と丸柴刑事が、「そうなると、さらに射撃場所の候補が増えるってことね。前後左右に加えて、真下も」
「ここが射撃位置であったなら、犯人候補は関係者に限られるよね」
「もちろん。ステージ裏へ入る出入口にはスタッフが番をしているから、関係者以外は一切立ち入り出来ないわ」
このステージ裏は、上手方向に直接外に通じる通用口がある。丸柴刑事の話によれば、その通用口の外側にいるスタッフが、入場者を逐一チェックしているということだ。当然と言えば当然の処置だが。
「丸姉、その門番をしていたスタッフに話を訊けないかな?」
「分かった、当たってみるわ」
丸柴刑事はすぐに携帯電話を取り出して通話を始めた。本部経由で当日のスタッフにアポを取ろうということなのだろう。
「……はい、分かりました。ええ、お願いします」通話を終えた丸柴刑事は、「これからすぐに会えるって。事件の日、通用口の番をしていたアルバイトの人は今、南区で、やっぱりコンサート設営の仕事をしているから、少しだけ仕事を抜けてもらえることになったわ。とは言っても、向こうの都合で一時間くらいあとになるけど」
「じゃあ、その間にお昼食べようよ」
目を輝かせながら理真が言った。
「そうね」と丸柴刑事も腕時計を見て、「ちょうどいい時間だしね。何にする? 由宇ちゃん、リクエストない?」
「そうですね……」私にはひとつ考えがあった。今、これを言えば全員が賛成するだろうという献立が。「ラーメンにしますか?」
私の言葉に素人探偵と女刑事は顔を見合わせてから、「賛成」と手を上げ、丸柴刑事は「じゃあ、私の行きつけの店が近いから」と店舗のセレクトまでしてくれ、「そこは餃子もおいしいのよ」と付け加えた。やはりだ。私と同様、さっき理真が弾いたチャルメラが頭にこびりついているに違いない。音楽には人の心を動かす力がある。これもその力のひとつなのだろうと思う。違うか。私、野菜がたっぷり載った味噌ラーメンにしよう。
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