第3章 ベースとドラム
「どうも、こんにちは」
挨拶をしながら椅子に座ったリキは、中肉中背で髪の毛をシルバーに染めた青年だった。頭髪の色さえ無視すれば、バンドマンというよりは普通のサラリーマンに見える、名前から受ける印象とのギャップが、余計にそう思わせるのだろうか。
「正直、忘れていました」それがリキの答えの第一声だった。「同窓会の幹事からの電話で、彼女のことを思い出したくらいで。……ええ、そうです。高校時代は俺たちのマネージャーみたいな存在でしたね。練習に顔を出すうち、ジョージと付き合い始めるようになったんですけど、三ヶ月もしないうちにマサキと一緒になっていましたね。……マサキがジョージから奪った? うーん、そこのところの事情も、よく憶えてないです。もともと、槇村さんとジョージじゃ、反りが合わなかったんじゃないですかね。別れるべくして別れたって感じでした。え? 僕が槇村さんを好きだったかどうか、ですか? それはありません。彼女は僕が好きになる女性とは全然タイプが違ったんで。あくまでバンドのマネージャーという存在でしかありませんでした。……ええ、ジョージたちと調べて、自殺の原因がマサキにあるとは知りました。まあ、そうだろうなと予想はしていましたけれど」
額面通りの言葉と、サバサバとした語り口を信じるならば、今目の前にいるベースのリキには、槇村が自殺したことに対してのマサキ殺害動機はないということになる。そうなると、理真が次に訊いたのは当然、
「確かに、マサキの横暴振りには、僕も含めたメンバー全員が辟易していましたよ。でも、大事なジーリオンの稼ぎ頭ですからね。マサキは、バンド内のことだけでなく、対外的なことにも一番顔を出していました。プロダクションや客先への打ち合わせとか。だから、他のみんなはどう思っているか知りませんけれど、僕としてはマサキがある程度のわがままを言うのは仕方ないというか、正当な権利だったと思っています」
こちら方面でも殺害する動機はないということだ。そのマサキが撃たれた瞬間については、
「僕も気付くのは遅れたほうだと思います。僕がおかしいなと思ってマサキのほうを見ると、もう彼は倒れていましたからね。というのも、僕が担当しているベースと、ギターのジョージは、ボーカルのほぼ真横が基本的な立ち位置ですから。
マネージャーの河合と仲がよかった、ということについては、
「ええ、そうですね。メンバーの中じゃ、僕が一番河合さんと親しかったでしょう。河合さんも昔はアマチュアでバンドをやっていて、ベース担当だったんです。だから話が合ったんでしょうね。……河合さんがマサキを恨んでいたか? それはあったんじゃないかな。僕らメンバーは高校時代からの付き合いで、あいつのわがままにはある意味慣れっこになっているところがありますけれど、河合さんは違いますからね。特に、さっきも言ったように、マサキは音楽活動以外の対外的な仕事も率先してやっちゃうので、『お前はいなくてもいい』みたいなことを面と向かって言われたこともあるって、河合さんこぼしてましたから。ああ、でも、河合さんがマサキを殺すはず、殺したいなんて思ってたはずないですよ。タレントのわがままを聞くのもマネージャーの仕事のうちだ、なんて、河合さんも先輩から聞かされていて承知済みだったでしょうから。
……他にマサキに恨みを持っている人物ですか? あとは、女性関係くらいしか思い浮かばないですね。どんな女性と付き合っていたかなんて知りませんよ。マサキを憎んでいる人物といったら、それくらい……あっ、でも……いえ、大したことじゃありませんから。え? それはそちらが決めること? それはそうですけれど……はい、僕の口から聞いたなんて言わないで下さいよ。
リョウタです、ドラム担当のリョウタ。あいつ、メンバーの中では一番マサキの被害に遭ってたんじゃないかな。というのも、僕たちは高校在学時に組んだバンドなんですけれど、リョウタ以外は全員、中学の頃から楽器をやってはいたんですね。で、いざバンドを組もうという段になって、ドラムがいないっていうんで、急遽、リョウタを引き込んだんです。……理由ですか? クラスで一番暇そうだったから。で、リョウタにドラムを猛練習させて、何とかバンドとしての体裁は整えたんですけれど、そのときのマサキの鬼教官っぷりは凄かったですよ。リョウタは僕らの中で一番大人しい性格で、それもあって親しい友人もいなかったんで、僕らに誘われて嬉しかったんだと思いますよ。期待に応えようと必死だったんでしょうね。それは、こうしてプロになってからも続いていて、練習や反省会でリョウタがマサキに怒られないときはありません。たまに手も出しますし。……いえ、だからといってリョウタがマサキを殺すはずありませんよ。言った通り、このバンドはマサキ抜きじゃ成り立たないんだし、それはリョウタも十分理解してるはずです。
あ、最初の話に戻りますけれど……ええ、槇村さんのことです。リョウタはもしかしたら、彼女のことを密かに好きになっていた可能性はありますね。というのもですね、今言ったようにリョウタは毎回のようにマサキに怒られていたんですけれど、高校時代に、それを見た槇村さんがリョウタを慰めているようなことが何度かありましたから。僕のタイプではありませんが、槇村さんが美人であることに異論はありませんし、そんな美人に、そういうふうにやさしくされたりしたら、好きになってしまうってありそうじゃないですか」
見た目とは裏腹に、意外と話好きだったベースのリキへの聴取はこれで終わった。次に呼んでもらったのは、会話に出てきたドラムのリョウタこと
こんにちは、とも何も言わず、ちょこんと頭を下げただけで、リョウタは席に着いた。先に聴取した二人と違い、彼の頭髪は黒いままだった。確か、朝に観たライブ映像では、彼も髪をピンク色にしていたはずだったが。
「ああ、あれはウィッグです。僕、髪を染めるのに抵抗があって……」
黒髪の理由を、リョウタはぺこぺこと頭を何度か下げながら答えた。きちんと両手を膝の上に揃えた亮太は、ベースのリキが言っていたとおりの、大人しいというか、気弱そうな青年だった。映像で見た、狂ったようにドラムやシンバルを叩きまくっていたピンク色の髪のドラマーと同一人物だとは、にわかには信じがたいほどだ。
まずは、前の二人同様、
「ぼ、僕は、みんなとは違って、バンドに誘われてから楽器、ドラムを始めたので、みんなが遊んでる時間も練習しないといけないから、誰が誰と付き合ってるとか、そんなことを気にしている暇はありませんでした」
リョウタがしゃべり出すと、理真は心持ち前のめりになった。特別関心を寄せているわけではないだろう。前の二人に比べて彼の声が小さく、聞き取りづらいためだ。
「個人的に恋愛感情を持つようなことはなかったということですか」
「ええ……あ、さては、ジョージかリキに何か吹き込まれたんですね。僕が練習でマサキに怒られて、槇村さんに慰められてたとか何とか。確かにそういったことはありましたけれど、あれも全部マサキの差し金だったんですよ。差し金なんて、言い方が悪いですかね。僕、聞いたことがあったんです。練習の合間にマサキが槇村さんに、『俺がリョウタにきつく言ったときは、あとであいつを慰めてやってくれないか』って頼んでいたのを。僕が近くにいることに気付かなかったんでしょうね。だからといって、こいつらめ、って腹を立てるようなことはありませんでしたよ。むしろ逆です、怒りっぱなしじゃない、あとのケアまで考えてくれているって、マサキに感謝したくらいです。あいつは飴と鞭の使い分けも上手いんですよ。だから僕は、槇村さんが僕にやさしくしてくれるのは、マサキに言われたからだって分かっていたし、そんなことで好きになるほど単純じゃないつもりです。僕の中で槇村さんは、あくまでバンドのマネージャーでした」
小さな声ながらも、リョウタは一気に捲し立てた。分かりました、と答えてから理真は、
「では、マサキさんが、ジョージさんから槇村さんを奪ったということについては、どうですか?」
「それはさすがに知っています。リキから聞きましたから。でもそれは、ジョージが彼女をマサキに譲ったんだ、みたいなニュアンスの言い方でしたよ」
リキは自分の主観を交えて伝えたのだろうか。本当のことは分からないが。槇村の自殺原因についても、マサキを除いた四人のメンバーで調べて知ったという証言も、ジョージやリキと同じだった。それが動機で犯行に及ぶこともあり得ない、と口にした。このリョウタにも、槇村の自殺絡みでマサキへの殺意を抱くという線はないようだ。リキのとき同様、そのまま言葉を受け取ればの話ではあるが。
「では、殺されたマサキさんについては、どうですか」
「どう……って?」
「彼を殺したいほど恨んでいるような人がいるとか」
それを聞くと、リョウタは薄い笑みを浮かべて、
「ああ、そういうことですか。僕の前に尋問を受けてたのはリキでしたよね」
尋問ではなく聴取なのだが。
「リキのやつが。さっきの槇村さん絡みのことで大げさに何か言ったんですね。僕がマサキにいじめられてるだとか。確かに、マサキにつらく当たられることは、メンバーの中では僕が一番多かったでしょう。でも、それは仕方ないことだったんです。僕が楽器を始めるのが遅かったから。まあ、ときには、この野郎って思うこともありましたよ。手を出されたことも一度や二度じゃないです。でも、むしろ僕はマサキに感謝してますよ。さっきも言いましたけれど、槇村さんを使って慰めてくれるようなこともしていましたし、何より、諦めないで僕が上手くなるのを待っててくれたってことですからね。
これは、キーボードのノブからこっそり聞いた話なんですけど、まだ高校時代、ジョージとリキが、あまりに上達しない僕に見切りを付けて、別のドラマーを捜そうってマサキに言ったことがあったそうなんです。でも、マサキはむしろ二人に対して怒ったそうなんです。仲間に対して簡単にそんなことを言うな、って。それを聞いたから僕、バンドを続けられたんです。相変わらずマサキには怒られっぱなしでしたけれど、こうして実際、プロになれたわけですからね。だから僕は、バンドでマサキが強権を振るうのに対しては当然だと思ってました。だいたい、外から見ればジーリオンは確かにマサキのワンマンバンドですけれど、ジョージたちもそれに甘んじてるところはあるんですよ。何か問題やトラブルが発生したら、真っ先に動くのはいつもマサキでしたから。僕も含めて、他のメンバーに同じ事は出来ませんよ。困難や厄介ごとから、すぐに逃げますからね、みんな。実際、ジョージとリキは一度は僕をクビにしようとしたんだし……」
最初の印象とは一変、ドラムのリョータは、思いの丈を吐き出すように話した。
「マサキがいなくなった以上、ジーリオンはもう終わりですよ」
それだけ言い終えると、リョウタは第一印象どおりの気弱そうな青年に戻った。彼にもマサキを殺す動機はない、ということなのか。「そうですか」と、ひと言間を置いてから理真は次の質問を口にする。
「マサキさんが撃たれた瞬間は、お気づきになりましたか?」
「それは……」とリョウタもひと呼吸置く。ごくり、と唾を飲み込む音が聞こえてから、「分かりません。でも、マサキの異変に気付いたのは、僕が最初だったのかなと思います。僕とキーボードのノブは、ボーカルの後ろにいますから。僕も常にマサキのことを見ているわけじゃないんですけれど、視界の端に捉えていたマサキの動きがおかしくなったのに気付いて、あれ? って思って、隣のノブを見たんですけれど、あいつは視線をキーボードに向けていて、ギターのジョージとベースのリキも、何も分からないみたいに演奏に集中していたようでした。で、またマサキに目を戻すと……ちょうど、あいつがばたりと倒れた瞬間で……銃の発射音も聞こえませんでした。映像を見てもらえば分かるのですが、あの大音響の中じゃあ。……ええ、どこから撃たれたのかも、まったく分かりません」
リョウタは大きく息をついて、額に浮かんだ汗を服の袖で拭った。
ここで彼への聴取は終わり、メンバー最後のひとり、キーボードのノブこと
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