第2章 同級生とギター

 県警本部で事件の概要を聞き終えた私と理真りまは、丸柴まるしば刑事が運転する覆面パトに乗せてもらい現場に向かった。

 コンサートが行われたアイビスメッセは、公演会場となった展示ホールに、売店や食堂、官公庁施設、ホテルなどが一体となったビルが隣接している複合施設だ。丸柴刑事も言っていたとおり、〈ジーリオン〉のメンバーを含め、関係者はその隣接ホテルに宿泊しており、当然まだ足止めをされている。本来であれば、ライブが行われた翌日、つまり昨日の朝に新潟を発ち、次の会場である金沢に向かっているはずだったという。もっとも、こんな事件が起きてしまった以上、以降の公演は全て中止となることが発表されている。そもそも、バンドの顔であるボーカルのマサキこと及川正樹おいかわまさきが殺されてしまったため、公演を続けること自体が不可能だ。事件は新聞、テレビでも大きく報じられていた。


 途中の車中で私と理真は丸柴刑事から話を聞き、関係者間の人間関係を予習しておくことにした。ジーリオンは、ボーカルの及川正樹ひとりだけが突出した人気を持っていたことから、他のメンバーとの間に確執があった、というようなことは本部でも聞いていたが、


「中でも、一番及川さんに恨みを持っていそうなのは、ギター担当のジョージこと片山譲司かたやまじょうじさんでしょうね」

「どうして?」


 助手席の理真が訊く。私は後部座席でメモ帳にシャープペンシルを走らせる。


「メンバー全員が高校時代からの同級生だってことは話したわよね。片山さん、その高校時代に、槇村律子まきむらりつこさんていう女性と付き合っていたんだけど、その子を及川さんに横取りされたっていう過去があるそうよ」

「それを、何年も恨んでいると? でも、彼らはもう二十代半ばでしょ。十年近くもそんなわだかまりを抱えたまま、一緒にバンド活動なんて出来るもの?」

「それがね、その槇村さんが、三年前に自殺してるの」

「自殺……理由は分かってるの?」

「遺書が残されていて、そこには、付き合っていた彼氏に振られたことが原因、というような内容が書かれていたわ」

「彼に振られた……その彼というのは……」

「マサキさんで間違いないと見られているわね」

「断定はされていないってこと?」

「うん。というのもね、槇村さんは、誰にも自分が付き合っている男性のことをほとんど話さなかったんだって。家族も知らなかったそうよ。友人たちが、槇村さんの彼氏に関して何とか訊き出せた、たったひとつの情報というのが、バンドをやっているという一点だけだったそうなの」

「そこまで秘匿するっていうのは」

「相手が売り出し中のプロミュージシャンだったから、そう考えられているわ。槇村さんなりの、マサキさんに対する配慮だったのかもね」

「なるほど。売り出し中のバンド、しかも一番人気のボーカルに、すでに恋人がいるということは、隠しておきたい事実かもね。もしかしたら槇村さん、及川さんやプロダクションの側から、付き合っていることを口外しないよう要請されてたのかもね」

「マネージャーに聞いたけれど、そういった事実はない、と突っぱねられたわ。槇村さんの自殺に関わりたくないんでしょうね」

「で、元彼氏の片山さん――本名と芸名が混在するとややこしいから、メンバーの呼び方は芸名で統一しようか――ジョージさんが、それを恨みに思っていると? でも、その槇村さんが自殺したのって、もう三年も前の話でしょ。もし今回の犯行動機が復讐だとしたら、どうして今になって?」

「確かに槇村さんが自殺したのは三年前だけど、メンバーがそれを知ったのは、つい数週間前のことなの」

「どういうこと?」

「同窓会の案内がきっかけなの。彼らの年の卒業生は、二、三年に一度くらいの割合で同窓会を開いていて、ジーリオンのメンバーのところにも案内は届くんだけど、忙しいし、芸能人という立場もあって誰も一度も参加したことはないんだって。でも、今回は幹事からメンバー全員に直接電話があったそうなの。『槇村さんの追悼も兼ねて、今回だけは参加してくれないか』って」

「それを聞いてメンバーのみんなは、槇村さんが亡くなっていること。しかも自殺だったということを知ったと」

「そういうこと」

「待って、付き合ってたマサキさんは、さすがに知ってたでしょ?」

「それがね。マサキさんも、その知らせで初めてそのことを知ったみたいなの。というのもね、槇村さんが自殺してしまったことからも分かる通り、マサキさんと槇村さんの仲は、うまくいっていなかったみたいなの」

「すでに冷え切った関係だった?」

「うん。マサキさんは、デビューが決まって芸能界に関わり出すようになると、業界で接触する女性にやたら手を出すようになったんだって。それでも槇村さんとの関係はだらだらと続いてはいたんだけど、もう数年も前から、マサキさんの中では、『大勢いる自分の彼女の中のひとり』みたいな認識になっていたみたいね」

「ひどい話だね」


 殺されても文句は言えないね。という言葉を私は飲み込んだ。


「そんな関係だったから、マサキさんは、自分のほうから積極的に槇村さんと連絡を取ることもほとんどなかったそうよ。自殺自体の新聞記事も、ごく小さな扱いで、メンバーに新聞を積極的に読む人もいなかったから、ずっと槇村さんの自殺はメンバーの誰にも知られないままだったみたいね」

「そういうことか……。で、数週間前、同窓会の案内で偶然槇村さんの自殺を知ったメンバーの誰かが、復讐目的でマサキさんを殺したのではないかと。その最も有力な容疑者が、高校時代に実際に付き合っていた経験のあるジョージさん、ということね」

「うーん……こっちから話を振っておいて何だけど、実は、それも怪しいのよね」

「どうして?」

「というのもね、槇村さんが残した遺書は、家族である両親と妹宛てで、母親が見つけたんだけど、そこには、『この遺書は誰にもみせないでほしい』ということが書かれていたの。ご家族も、娘の最後の言葉を重んじて、警察以外の誰にも遺書を見せたり、自殺の原因を話したりはしていないそうよ」

「つまり、家族以外の誰も、槇村さんが自殺した動機を知らないってこと? じゃあ、ジョージさんも、槇村さんの自殺の原因がマサキさんにあるとは知らないはずだから、殺害動機として考えられるのは、高校時代に槇村さんを横取りされたという一点に絞られると」

「うん。でも、槇村さんの友人たちの間では、自殺の原因は彼氏に振られたからだ、って噂が流れていたそうよ。自殺の直前、槇村さんは目に見えて憔悴していて、彼氏の話題もあからさまに避けてたそうだから、ピンと来たのかもね」

「女性同士って、そういう感覚鋭いものね。じゃあ、槇村さんの自殺の原因を知りたいと思ったジョージさんが、彼女の友人たちを尋ねまわるうち、その噂に辿り着いたという可能性も考えられるね」

「ああ。それはあり得るわね。昨日の聴取では、そこまで突っ込んだ話は訊かなかったけど」

「丸姉、根本的なことを訊くけど、槇村さんの死は自殺で間違いないのね?」

「それは保証する。私も報告書に目を通したけれど、死体や周囲の状況から、自殺以外は考えられないと思う。遺書も肉筆で書かれていて、筆跡鑑定でも槇村さん本人のものであると断定されているわ。遺体にも、他殺を疑うような不審な点はなかったって。ちなみに、槇村さんの家族や友人の誰かが、復讐のために犯行に及んだという可能性もありえるから、そっちにも捜査の手は入っているわ。でも、槙村さんの家族は全員東京在住なのよ。犯行時刻には揃って家にいたと証言していて、その一時間前には何人かの近所の人と会って話をしてることが確認されているわ。一時間で東京から新潟まで来るのは無理よ」

「完璧なアリバイがある、ということね」

「そうなの。槙村さんの友人についても警視庁の力を借りて聴取してるけれど、望みは薄いかもね」

「だよね。何せ、槙村さんが自殺してから三年も経ってるんだもんね。復讐するにしても、どうして今更、こんな形でやらなきゃなんだって疑問もあるし……」


 理真がそこまで言ったとき、覆面パトはアイビスメッセの駐車場に滑り込んだ。


 ホテルの会議室にバンドメンバーとマネージャーの計六人を集め、これからひとりずつ聴取を行いたいと説明した。丸柴刑事の口から、理真と私、つまり探偵とその助手も聴取に同席する、というか、探偵からの聴取が主な目的であることが告げられる。警察からの正式な事情聴取は昨日すでに終わっているためだろう。一同は互いに顔を見合わせてから、丸柴刑事の顔を見て頷き、了承の意を示した。

 聴取は別室を借りて行われる。まず最初に話を訊くのは、当然、ジョージこと、ギターの片山譲司だ。ジョージは、髪の毛を燃えるような赤色に染めた長身痩せ形の青年だった。全員が椅子に腰を下ろし、さっそく理真が、


「片山さん――」

「ジョージでいいですよ。そっちのほうがずっと呼ばれ慣れてるから。他のメンバーもです」


 本人からも芸名で呼ぶことを承認された。


「分かりました。では、改めて、ジョージさん――」

「槇村のことでしょ」


 理真の声を遮るように、ジョージがカウンターを繰り出した。


「刑事さんにも」とジョージは一度、丸柴刑事を見てから、「昨日話しましたけれど、俺はもう、槇村のことであいつ、マサキとは何もわだかまりもありませんよ。そりゃ、当時は頭に来ましたよ。でも、一時いっときのことでした。付き合ってる当初から、俺自身、槇村とは合わないかなって思っていたんです。勢いで交際を始めたようなものだったんですよ。槇村のほうでも同じ事を感じていたと思いますよ。槇村には、マサキみたいな社交的な男のほうが似合ってたんですよ」

「社交的、ですか」


 車中でマサキこと及川正樹の女性遍歴について聞いていたためだろう、理真の口調には皮肉めいたものが込められていたように感じた。だが、当のジョージはそれに気付いた様子もない。理真は質問を続け、


「槇村さんが自殺した原因は、ご存じですか?」

「マサキに振られたからでしょ」

「どうしてそう思われるのですか?」

「分かりますよ。槇村さんが自殺したと知って、俺たち――といっても当のマサキを抜いた四人――は彼女の友人たちに連絡を取ってみたんです。そこで噂を聞きました。まあ、マサキの女性関係を知ってるから、やっぱりなって感じでしたけれど」


 やはり、槇村が自殺した原因は、メンバーの耳にも入っていたらしい。そうですか、と答えてから理真は、


「では、元恋人絡みではなく、バンドマンとしてはどうでしょう」

「マサキの態度についてですか? そんなのありませんよ。俺がマサキを殺しても、いいことなんてひとつもありませんから。そういう質問をしてくるってことは、ご存じなんでしょ、ジーリオンのメンバーの人気比率のこと」


 理真は、多少遠慮がちに「ええ」と答えた。


「このバンドは、マサキひとりの人気で持ってるようなものだってことは、メンバーの誰もが認めていますよ。持ち歌も、ヒットしたりタイアップを取ったものは全部、マサキが作詞作曲したものですしね。そんなやつを殺したりしたら、メンバー全員が路頭に迷うのは分かりきったことじゃないですか」

「過去にも現在にも、マサキさんを殺害する動機はない、ということですか」

「そういうことです。それは俺だけじゃなくて、他のメンバーも同じはずですよ。槇村については、俺以外のメンバーは繋がりがさらに薄いですし」

「そうですか。つかぬ事を伺いますが、そもそも、槇村さんとは、どういったきっかけでお付き合いが始まったんですか? 察し触りがなければお聞かせ願えますか?」

「俺たちのファンだったんです」

「ファン、ですか、でも、高校時代からお付き合いしていたということは」

「そうです。俺たちがアマチュア時代からの、ジーリオンのファン第一号と言ってもよい存在でしたね、彼女は。

 槇村は俺たちと同じクラスで、友達の少ない、引っ込み思案なやつでした。昼休みに俺たちがバンドのことについて話をしていると、それが耳に入ったんでしょうね、彼女のほうから話し掛けてきたんです。『片山くんたち、バンドやってるの?』って。彼女、当時からロックバンドが好きだったそうです。俺たちも、まだまだ人前で披露できるような腕じゃなかったんですけれど、第三者の鑑賞意見も聞いてみたい、ってなって、休日に俺たちの練習場に招待するようになっていったんです。何回か練習に顔を出すうち、飲み物や弁当を差し入れしてくれたりするようになっていきました。高校生の分際じゃ、練習用のスタジオ賃料もばかにならなかったんで、みんな有り難く思っていましたよ」


 話すうち、ジョージの顔は心なしか和らいでいき、遠くを見るような視線になった。彼に、いや、バンドの誰にとっても、高校時代のその記憶は青春の一ページとして、永遠に心に刻まれ続けているものなのだろう。無論、死んだ槇村律子にとってもそうであったと思う。


「ありがとうございます」と理真はジョージが高校時代の話をしてくれたことに礼を述べてから、「ジョージさんとマサキさん以外の三人については、どうでしょう。自分たちのファン第一号でもあり、マネージャー代わりでもあった槇村さんに対して、恋心を抱くようなことがあってもおかしくないのでは?」

「そこまでは分かりません。みんな楽器の練習に必死でしたから、そこまで頭を回す余裕はなかったんじゃないですか? 僕の見た限りでは、ですけれど」

「ジョージさんとマサキさんには、そこまでの余裕があったと」


 それを聞くとジョージは苦笑して、


「僕はみんなよりは早くからギターに触っていたし、マサキはボーカルで、歌声は天性のものがありましたからね。マサキはボーカル以外にもサックスをやっていましたけれど、こちらの腕前は素人の域を出るものではありませんでしたから、あくまで趣味の範疇でした」


 その分、恋愛に向ける心の余裕があったということか。


「そうですか」と理真は、「では、メンバー以外に、マサキさんに対して恨みを持っているような人に心当たりはありませんか?」

「それは、山ほどいるでしょ」ジョージは、ふふっ、と笑ってから、「あいつの付き合ってる女性全員ですよ」

「何人くらいいらっしゃるのでしょう?」

「分かりません。両手の指じゃ足りないんじゃないですか? プロダクションの社内から、付き合いのある業者、テレビやライブで共演した同業者、ファン、手当たり次第でしたからね、マサキは。実際、ルックスもいいし弁も立つから、マサキはもてましたよ」

「そういった女性の中で、一昨日のライブに来ていた人がいるか、ご存じですか?」

「さあ、知りません。俺たちはプライベートではお互い、あまり付き合いはないんで。女性関係ならなおさらです。あいつが誰と付き合ってるだとか、そんなことは知らないんです」

「女性関係以外では、どうでしょう」

「それなら……まず浮かぶのは、河合かわいさん。マネージャーですね。マサキのわがままに手を焼いていましたから」

「具体的には、どういった?」

「色々ですよ。金の話に始まって、ホテルの部屋のグレードがどうしたとか。そういったことは、ベースのリキに訊いたほうが早いんじゃないかな。あいつ、よく河合さんの話し相手になってたから」

「そうですか……では、マサキさんが殺されたときの状況について伺います。彼が撃たれたことに、いつ気が付きましたか?」

「多分、それに気付くのは俺が一番遅かったと思います。ちょうどギターの見せ場のパートで、俺はリフに夢中でしたから。気が付いたら、他の楽器の音が聞こえなくなっていて、おかしいなと思って顔を上げたら、ステージにマサキが倒れているのが見えました。あの曲だけは口パクだったから、ボーカルの声だけはスピーカーから流れたままで。そのせいもあって、俺はマサキがどの瞬間で撃たれたかは分からないし、当然目撃してもいません。銃声も聞こえませんでした」


 どこから撃たれたのかも分からない、とジョージが付け加えたところで、彼への聴取は終わった。次に理真が呼んでもらったのは、ベースのリキこと大久保力おおくぼちからだった。

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