紅い弾丸

庵字

第1章 ロックスターの死

 黒いTシャツを着て、ダメージ仕様のデニムを履いたボーカルの男の声が、スピーカー越しに場内に響き渡っていた。頭を激しく上下するたび、ブロンドに染められた髪が振り乱れ、カラフルな照明に照らされた汗が飛び散る。

 ――君の笑顔も

 頭だけに留まらず、体全体を動かし、回り、膝を突き、跳ね、大きく前屈みになり、あるいは背中がステージの床と水平になるほど仰け反る。〈クレイジーダンシングシャウト〉と名付けられた――事件を複雑化させた原因のひとつでもある――彼独特の歌唱法だった。

 ――やさしい言葉も

 歌唱途中で観客を煽る仕草も見せる。そのたびに会場を埋めた満員の観客は、手にしたタオルを掲げ、大歓声で応える。ボーカル、ギター、ベース、ドラム、キーボード。天井から吊り下げられた巨大なスピーカーから発せられるバンドの奏でる音に負けないほどの大音量だった。

 ――あかい弾丸となって

 曲のタイミングに合わせてステージのそこかしこから、火薬の炸裂音とともに火花も散る。

 ――僕を撃ち抜く


 ボーカルの様子がおかしくなった。まるで千鳥足のように足下がおぼつかなくなる。さきほどまで披露していた〈ダンス〉の延長では明らかにない。歓声のトーンも変わった。観客がステージ上の異変を察知したのだ。

 異変に気付いたのは観客だけではなかった。ドラムが、ベースが、キーボードが、その音を消した。気持ちよさそうにリフを奏でていたギターも、最後にようやく音色を切った。すでに開閉運動を止めたボーカルの口からは、ひと筋の真っ赤な血が流れ落ちた。にもかかわらず、巨大なスピーカーからはボーカルの歌声だけが変わらず流れ続けている。だらりと下げられた右手からマイクが滑り落ち、ステージの床に激突したが、ハウリングのような音は響かなかった。マイクに追従するように、ボーカルもステージ上に倒れ込み伏臥した。

 歓声は悲鳴に変わった。スピーカーから流れ続けていたボーカルの歌声も、慌てて止められたように、ぷつりと途絶えた。



「この時点で、観客もメンバーも全員、被害者が撃たれたことに気が付いたみたいね」


 丸柴まるしば刑事がリモコンを操作すると、公演の様子を撮影していた映像は一時停止された。


「なるほど……」


 食い入るように画面を観ていた安堂理真あんどうりまは、そう呟いてストレッチするように背筋を伸ばした。私、江嶋由宇えじまゆうも一旦画面から目を離して、トレードマークである縁なし丸眼鏡を外し、数回まばたきをする。


「確かに、これじゃ」と理真は、もとのように画面に視線を戻して、「撃たれた瞬間や銃撃の方向を特定するのは困難だね」

「そうなの」丸柴刑事もため息をついて、「まず、スピーカーからの大音量と観客の大歓声で、銃声は完全に掻き消されてしまっているわね。さらに、ボーカルの動きも混乱の要因ね。直立不動で歌ってくれていれば、撃たれた瞬間に必ず異変を察知できるけれど、こうも激しく動き回っていたらね。撃たれたのは背中だけど、常に体の正面を客席側に向けているわけじゃないから、必ずしもステージ後ろから撃たれたとは限らない。おまけに着ていた服も黒いシャツだから、シャツに空いた穴も血痕も目立たなかった。会場の照明の問題もあるわね」


 彼女の言うとおり、会場はただでさえ暗いうえ、奇禍が起きたときは、色とりどりのライトが走り回るようにステージ上を彩っており、見ていて目がチカチカした。銃撃の瞬間に空いたであろうシャツの穴や、背中を染めた血痕を視認することは極めて困難だ。


「さらに、演出用の花火ね」


 丸柴刑事の言いたいことはこうだ。拳銃というものは、発射されると、弾丸を撃ち出す際に使用された火薬が周囲に飛び散る。その痕跡を追えばどこから拳銃が発射されたかを探り当てるのは困難ではないのだが、今度の事件では勝手が違っていた。ステージ上では、ライブ演出のため、特殊火薬効果と呼ばれる花火が大量に使用され、そもそも舞台の上から観客席前の空間まで火薬だらけだったのだ。火薬はステージ上のメンバーはもとより、最前列から数列後ろの観客にまで降りかかっていたと見られる。

 通常、銃で使われる弾丸に込められた火薬は、一般に使われる黒色火薬ではなく〈発射薬〉と呼ばれる無煙火薬が使用されている。演出用の火薬と拳銃用の発射薬とでは、成分の違いから判別できそうに思うが、今回に限りそれも不可能なのだ。なぜならば。

 理真は一旦画面から視線を外し、資料の写真に目を落としている。その中に、凶器に使用された拳銃のものもあるのだが、


「改造拳銃、か」


 そう。理真が呟いたとおり、今回使用された銃は本物ではなく、素人がモデルガンをベースに作った改造銃なのだ。使われている火薬も通常入手できる市販品の黒色火薬であり、ステージ演出用に散らばった火薬とほぼ判別不可能となってしまっているのだ。

 拳銃はステージと観客席との間のスペースに落ちているのを発見され、旋条痕せんじょうこんの一致から、ボーカルを殺めた銃弾も間違いなくこの拳銃から発射されたものだと断定された。恐らく銃撃直後に犯人が放り捨てたのだろうが、どこから投げ捨てられたのかは判明していない。例によって、会場の照明が暗かったことに加え、観客、メンバー、裏方のスタッフ、その全員の目がボーカルに集中しており、誰も拳銃が投げ捨てられた場面を目撃していなかったのだ。いま見ている映像は、まさに拳銃が発見されたステージと観客席との間のスペースから撮影されたものだが、カメラも倒れたボーカルだけを捉えており、拳銃が捨てられたところはフレームに収められていない。


「で、とどめが……ボーカルの〈口パク〉」


 理真が言うと、丸柴刑事は頷いた。そう、これが、銃撃を受けたにも関わらずボーカルの声がスピーカーから流れ続けていた理由だ。


「せめて、肉声で歌ってくれていれば、そこから撃たれた瞬間が特定できたんだけどね」


 丸柴刑事の言葉に、理真も「そうね」と返す。そのとおりだ。ボーカルが実際に自分で歌っていたのなら、歌声が途切れた瞬間イコール、銃撃された瞬間となるのは明白だ。


「何でまた、口パクなんて? このバンドは、いつもそうだったの?」

「それがね」と理真の疑問に丸柴刑事は、「ここ最近、ボーカルは少し体調を崩していて、喉を痛めていたそうなの。で、銃撃時に歌ってた――正確には歌ってはいなかったんだけど――のは、キーの高い箇所が連続してある歌でね、今の喉の調子では、この曲をフルで歌いきることは無理だから、その曲だけ口パクで対応しようということになったんだって」

「そもそも、その曲を歌わなきゃいいんじゃ?」

「それが、そうもいかなかったらしくて。今回のツアーは、新作アルバム発売記念のもので、そのアルバムの中からシングルカットした曲があったの。それが、銃撃時に歌って、いや、流れていた曲。テレビドラマの主題歌に使われてるタイアップ曲で、だから、テレビ局やスポンサーなんかの手前もあって、公演で歌わないわけにはいかない曲だったらしいの。観客も楽しみにしてただろうしね」

「そういう事情だから、口パクという対応をしてでも、披露しないわけにはいかなかった、か。言われてみれば、聞いたことある曲だと思った。何てタイトルだっけ……」

「『紅い弾丸』」



 恋愛小説家である安堂理真のもとに、「手を貸して欲しい」と県警から出馬要請が入ってきたのは昨夜のことだった。連絡してきたのは新潟県警捜査一課の紅一点、丸柴しおり刑事。知らせを受けた理真は、明日――つまり今日――の朝一番に県警を訪れて詳しい事情を聴くことを快諾し、こうして私とともに県警の捜査一課まで馳せ参じた。今、私たちは捜査一課の応接セットを借り、事件の概要を聞いて、ライブ映像を見せてもらっていたというわけだ。

 小説家の理真が、どうして県警から事件のことで呼び出しを受けるのかというと、彼女は作家としての他に、もうひとつの顔を持っているからだ。その顔とは、素人探偵。理真はこれまでも数々の不可能犯罪の捜査を行い、解決に導いてきたという実績がある。

 その理真に、どうして彼女の親友である私、江嶋由宇も同行しているかというと、私が理真の、いわゆるワトソンだからだ。二十代半ばの女性同士の探偵ワトソンコンビというのは、全国的に見ても珍しいのではないだろうか。加えて、懇意にしている丸柴刑事も――私と理真よりは若干年上だが――女性。しかも、「彼女が刑事?」と、ひと目見た誰もが思うであろう美人。その美人刑事は、私と理真のためにコーヒーを持って来てくれていた。


「先、進めるわよ」と私たちに断ってから、丸柴刑事はリモコンのボタンを押した。止まっていた画面が動き出す。

 カメラが激しくぶれながら、階段を上ってステージ上に移動する。そこにはボーカルが伏臥していた。バンドメンバーも持ち場を離れ、ぴくりとも動かないボーカルを取り囲んでいる。聞こえてくるのは観客の歓声、いや、どよめきと悲鳴。カメラが動き、一瞬客席側を捉えたが、客席に照明は当てられていないため、おぼろげに群衆がいるとしか確認できない。最前列に位置する観客のみが、かろうじて顔や服装を視認できる程度だ。主に若い女性客で占められており、彼女たちは皆、黒っぽいタオルを握っている。これを握り、リズムに乗って手を突き出すのが、このバンドの応援スタイルのひとつなのだという。

 カメラはステージに戻った。先ほどよりもボーカルの姿をアップで映している。ここまで寄ると、背中のシャツに小さな穴が空いていることと、黒いシャツのため視認しづらいが、そこを中心に赤黒い液体が染み出ているのが分かる。「救急車!」と、ようやく誰かが叫んだところで画面は真っ黒になり、観客たちの声も聞こえなくなった。


「ここまでよ」


 丸柴刑事のその言葉で、事件発生時の映像が終わったことを知った。続いて丸柴刑事は、事件の詳細を改めて話してくれた。

 一昨日の夜、新潟県中央区にある多目的ホール〈アイビスメッセ〉では、人気ロックバンド〈Z-rion(ジーリオン)〉のライブコンサートが行われていた。〈ジーリオン〉は十代から二十代の男女を中心に支持されているロックバンドで、テレビへの露出は少ないながらも、ネットやライブを中心とした活動で人気を博していた。

 ボーカル担当のマサキ(本名、及川正樹おいかわまさき)、ギター担当のジョージ(本名、片山譲司かたやまじょうじ)、ベース担当のリキ(本名、大久保力おおくぼちから)、ドラム担当のリョウタ(本名、熊野亮太くまのりょうた)、キーボード担当のノブ(本名、板倉伸輝いたくらのぶてる)。以上、五名の男性で構成されているバンド。年齢は全員二十五歳から二十六歳。メンバー全員が高校からの同級生ということだった。

 殺されたのは、映像からも分かるように、ボーカルのマサキ。死因は改造拳銃による射殺。マサキが倒れた瞬間の時刻は午後八時十五分だったが、司法解剖から得られた死亡推定時刻も午後八時から八時半の間と、これを裏付けていた。

 犯行に使用された改造拳銃の出所もすぐに判明した。新潟市内在住のガンマニアの男性会社員が紛失したもので、現物を見せられた本人も認めていた。この男は拳銃好きが高じて自分でモデルガンを改造して弾丸も自作し、改造拳銃を数丁製作、所持をしていた。人や動物を標的にするということはなく、もっぱら深夜の公園や河川敷、海沿いなどで対物射撃をして悦に入っているだけだったが、三日前の夜、海岸で流木を的にして射撃をしていた現場を通行人に目撃、通報されてしまう。拳銃であれば暴力団絡みの事件かと、組対(組織犯罪対策課)が出動し、その夜のうちに男を確保したのだが、このとき、市民に目撃された男が逃走する最中に慌てていたのか、持って来ていた改造銃一丁と、一ダースの弾丸が入ったケースを落として紛失してしまったらしい。そのことが分かったのが逮捕から一夜明けた一昨日の昼。組対に加えて、他の部署、所轄署からも応援を動員して男が逃走した経路の徹底捜索を行ったが、拳銃もケースも発見されることはなかった。

 そして、一昨日の夜、コンサートでその拳銃が使用されることとなってしまった。公演会場であるアイビスメッセ周辺は男の逃走経路に含まれていた。


「その拳銃を今回の犯人が偶然拾って、犯行に使用したものと見られているわ。ちなみに、バンドのメンバーも含めた関係者は公演前日の昼に新潟入りしているわ」

「時系列でいうと、三日前の昼にバンド関係者たちが新潟入り。その日の夜にガンマニアが射撃現場を市民に目撃通報されて逃走。そのときに銃と弾丸を落としてしまう。逮捕されたガンマニアが、実は落とし物をしていた、と警察に白状したのが、その翌日、つまり一昨日の昼、ということね」

「そうなるわね。だから、もしかしたら警察が捜索を始めた時点で、もう拳銃は犯人が拾ってしまっていた可能性も大いにあるわ。で、その拳銃なんだけど、リボルバー型で装弾数は六発。改造銃を作った男の話だと、弾丸はフル装填されていたそうよ。会場で発見された銃には、空の薬莢ひとつと、五発の弾丸が装填されていた。犯人は一発で見事被害者を仕留めたということね。まあ、弾丸は余分にあるから、もしかしたら犯人はどこかで射撃の練習をしていた可能性もあるけれどね」


 丸柴刑事は説明を終えた。理真はコーヒーをひと口飲んでから、


「そうだよね。素人がいきなり、拳銃をそうそう上手く撃てるとは思えないもんね」

「事件前に、現場付近で銃声を聞いた人がいないか、聞き込みに当たってるけど、今のところそういった情報は入ってきていないわね。あの辺りは夜になれば誰も行かないようなところだし、会場のホールにはホテルが併設されてるけど、ホテルの建物にコンビニから飲食店まで入ってるから、宿泊客も外に出る必要がないのよ」

「うん。そもそも、もし犯人が観客なら、わざわざ現場付近で射撃練習をする必要もないもんね」

「そうなの。そっち方面から犯人を割り出すのは難しいわね」


 うーん、と唸ってから理真は、


「事件の概要は、こういうことね。公演中、ステージ上でボーカルの及川さんが射殺された。及川さんは背中を撃たれたのだけれど、会場の照明、音響、火薬を使った特殊効果、さらには歌唱中の及川さんの激しい動きのため、銃がどの方向から、どの瞬間に発射されたのかは分からない。加えて、そのときの曲が口パク対応だったため、銃撃後もボーカルの歌声は会場に流れ続けていた。このことから、銃撃された瞬間を特定することがさらに困難になった、と。使用された拳銃は客席とステージとの間のスペースで見つかった。撃った直後に犯人が放り投げたんだろうけど、ステージ上からも客席からも放り投げるのは可能な位置。さらには、演出用の火薬は、メンバー全員と、一番前から数列目までくらいの観客も浴びていた。以上のことから、銃を撃った人物を特定することは極めて難しい」


 物理的に犯人を絞り出すことは、極めて難しいどころか、ほとんど不可能に思える。となると、次に重要視されるのは当然、


「動機は? ボーカルの及川さんに恨みを持っているような人は、メンバーや観客の中にいたの?」


 理真が訊くと、丸柴刑事は、


「ジーリオンは、ボーカルの及川さんひとりの人気で持ってたようなバンドだから、及川さんがそれを鼻に掛けて、他のメンバーにつらく当たるようなことが結構あったみたいなの。それ以外でも女性絡みのトラブルとかあったというわ。あと、マネージャーのほうではね、ギャラの取り分で揉めてたみたい。それらが動機となり得るといえば、そうね。観客のほうも、現在捜査員たちが過去や被害者との繋がりを洗ってるわ」

「観客が犯人だとすると、動機の線はあまり意味がないかもね」

「ええ。熱狂的なファンが、好きになりすぎてミュージシャンや有名人を殺してしまう事件って、過去にも起きてるものね。でも、もしかしたら個人的な恨みを持つ人がいないとも限らないし」

「そうね。で、丸姉まるねえ、これから現場に行くのね」

「そう。バンドメンバーも含めた関係者は、さっきも言った現場のホールに隣接したホテルに宿泊してるから、現場検証と聴取に長い移動をしなくて済むわよ」

「よし。じゃあ、行こう」


 理真の声で、私は残っていたコーヒーを一気に飲み干した。

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