伍の参 決戦に向けて


 修羅の虎鉄、及びその餓機・斬月鬼へ


 三日後の夜二十二時、桐花山にて決闘を申し込む。

 

 我々は逃げも隠れもしない。全力で貴様を滅却する。


 空鵞の巫女と羅殺の式機、及び新稲寺の娘と舞姫の式機より


 ◇ ◇ ◇


「く……くくくっ……ははははっ! 小娘が抜かしやがる!」


 再び「さくらや」の暖簾を潜った虎鉄は、店主から渡された封筒の中身を見て爆笑していた。

 その封筒は常連の娘から預かったものだと店主は言う。どう考えてもこの間の《舞秘女》とかいう玩具に乗っていた奴だ。まさかこんな古典的な方法でおびき出そうとするとは、甘く見られたものである。


「へい、さくらそば大盛り一丁お待ち」


 差し出されたラーメンの湯気を感じ、虎鉄はその果たし状を懐にしまい込んだ。


 ――何はともあれ、全力の大狼と殺り合える絶好の機会だ。だったらいいぜ、その誘いに乗ってやる。精々力を蓄えておくことだな。


 一匙のニンニクを溶かして、虎鉄はラーメンに食らいついた。

 確かにニンニクを入れると味がより引き立つ。これを教えてくれたことだけはあの小娘に感謝しなければならない。

 ラーメンを味わうその派手な姿は、しかしごく普通の人間と何にも変わらなかった。


 ◇ ◇ ◇


 預かった封筒を無事に渡した、と「さくらや」の店主から電話が来た日の翌日。

 この日の柚葉は組織から届けられた新装備の確認に勤しんでいた。

 一方で奏恵は、父の運転する車に乗って瞳子から言われた通りに空鵞神社を訪れていた。

 長い階段を登り、大きな鳥居を潜る。すると玉砂利が敷き詰められた参道と立派な神社が二人を出迎えた。


「これが、空鵞神社……」


 初めてきたはずなのに何故か懐かしい気がする。その感覚は大狼の真名を聞いた時と似ているが、それとはまた違う優しさを持った懐かしさだった。


 もしかしたら、まだ赤ん坊だった頃にここに来ていたのかもしれない。誰かに抱きかかえられて……おばあちゃん? ううん、これはきっとお母さんの温もりだ。


 ――どんな時も優しさを忘れない強い子になってね。


 お参りをした後に、そう言われた気がした。

 その言葉は心の奥底にまで澄み渡って、広がって、そして泡のように消えた。でも、温もりだけは残り続けていた。


「奏恵……泣いているのかい?」


 声を掛けられてハッと我に還った。まるで泡沫の胡蝶の夢を見ていたようだった。

 慌てて涙をぬぐった奏恵の前に、巫女の装束を纏った瞳子が歩み寄ってきた。先日家で会った時とはまた違い、静かで厳かな印象だった。


「お待ちしておりました。奏恵様にお渡しする物がございますので、おひとりで着いていらしてください」


 一礼した彼女は奏恵に背を向けてゆっくりと歩き出す。大狼が勾玉から外に出ると、奏恵は固唾を呑んで彼女の後をひとりで追いかける。圭悟と大狼はその背中を静かに見送っていた。

 それからまるで神社を案内されているかのようにあちこちを移動していると、瞳子の足はとある一室の襖の前で止まった。


「こちらの部屋になります。どうぞ、足元にお気をつけて上がってください」


 開かれた襖の先にあったのは広い畳の部屋だった。燭台が片隅に立てかけられ、壁際には木製の箪笥が並んでいる。また、全身が映る姿鏡もあった。

 そしてそれらが取り囲んでいる、部屋の中心にあるものが瞳子の言う「渡したい物」なのだろう。

 それは丁寧に折りたたまれた巫女の装束の一式。白衣と緋袴。伝統的な巫女の衣装である。


「それは空鵞に代々伝わる伝統の品です。装束は世代を追うごとにその姿を変えてきましたが、その魂は不変のものとなり纏いし者に受け継がれることでしょう」


 瞳子は襖をそっと閉めると、部屋の中心で佇む奏恵の前に歩み出た。


「本来ならば数多くの儀式の上で継承していただく物ではありますが、此度は時間がありませぬ。そのため、略式で行わせていただきます」


 そう言うと、瞳子は奏恵を正座させ、手に持っていた羊皮紙の内容を読み上げた。

 それは、掻い摘んで言ってしまえば、これからの空鵞の繁栄と人類の生存を現代の巫女に託すという内容だった。

 だが、後に瞳子はこうも言う。


「別にこの儀式を行ったからと言って空鵞に準ずる必要はない。あなたが自分の思うがままに生きることこそが、亡き祖母が本当に願ったことなのです」


 羊皮紙の内容が終わると、瞳子は足元の装束を手に奏恵を立ち上がらせた。

 そうして奏恵は瞳子の立会いの下、空鵞の巫女が代々纏っていた装束を完璧に纏ってみせたのだ。


「その装束は巫女が神の力を最大限に発揮するための制服です。巫女たちは【修羅】との戦いに赴く際、決まってその衣装を纏っていました」


 奏恵は姿鏡に映る自分を見た。

 丈長も白粉もない、ただいつもの自分が巫女の装束を着ているだけ。簡素な着こなしが、逆に自分らしさの象徴でもあった。

 だから、これが現代の空鵞の巫女だ、胸を張ってそう言える自分になれるようにこれから頑張っていきたい。


「ありがとうございます、瞳子さん」


 簡略された儀式の中で奏恵の意志は確実により強くなっていた。


 ◇ ◇ ◇


 そして、決闘前夜――。


 奏恵と柚葉は二人だけで決闘の地である桐花山の下見に来ていた。

 この場所なら下手なことをしない限り町の住民に被害が及ぶことはない。それは《百目鬼》と戦った時に確認済みだった。


「思えば、巫女としての私はこの場所から始まったのかもしれません」


 その時のことを思い出し、奏恵は感慨深げに呟く。柚葉の右手と繋いでいる左手にギュッと力が入った。


「あの時、本当はゆずちゃんに見捨てられちゃうんじゃないかって、心配で仕方がなかったんです。でも、ゆずちゃんはいつものように、優しく私を受け入れてくれました。そのことがとても嬉しくて、胸がいっぱいになって……だから私は、巫女として【修羅】と戦う決断をすることができました」


「あたしもさ、不安だったよ。カナが遠くに行っちゃうんじゃないか、もうあたしなんか必要としてくれないんじゃないかって。だから《舞秘女》でカナの手伝いができるように訓練を積んだ……けど、それはやっぱりあたしの一方的なお節介だったから、邪魔だって言われるのが怖かった。でも、カナはそんなことは一言も言わずに私を笑顔で迎え入れてくれたよね」


 柚葉は繋いだ手を強く握り返した。


「ゆずちゃんの力強い手が私に勇気を与えてくれるんです。初めての戦いの時も、ただ慌てているだけだった私を導いてくれましたね」


「離したくなかったんだ。だってあの時、あたしが手を離さなければ、あの蜘蛛から二人で逃げ切ることだって出来たのかもしれなかった。もしもカナに特別な力がなければ、手を離した時には、もう……!」


 様々な感情が柚葉の喉元から込み上げようとしていた。それを堪えるかのように、あるいはその衝動に掻き立てられたかのように、柚葉は奏恵の身体を抱き寄せ、強く、強く抱擁した。


「もう二度と離すもんか。戦いの最中だって、離れていたって、あたしの手はカナの手を繋ぎ続ける」


「私も離しません。ずっとゆずちゃんと一緒です。これからも、ずっと……」


 いっそこのまま時が止まってしまえばいい。そうすれば、この幸せな時間を永遠に過ごせるだろうか。

 流れ続ける時間の中で二人はずっと抱き合っていた。誰もそれを咎める者はいない。ただ星だけが、二人に優しく微笑みかけていた。


 そして、決戦の日が訪れた。


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