伍―巫女

伍の壱 目覚めた朝

 柚葉が目を覚まして真っ先に感じたのは全身から来る激痛だった。包帯や湿布が身体中を埋め尽くしていて、まるでミイラの仮装をしているような気分になってくる。だが、そんな愉快な理由でないのもわかっていた。

 ベッドの上から部屋の中をざっと見渡す。その内装から奏恵の部屋であると瞬時に判別できた。

 そして、


「ゆずちゃん! 目が覚めたんですね、本当に良かった……!」


 目元を泣き腫らした奏恵の笑顔が飛び込んできた。かけがえのない友の笑顔だ。無事でよかった。


「ごめんなさい、私のせいでこんなに傷ついて……私が暴走したばかりに、こんな……!」


 じわじわと瞳に涙がにじみ出てきている。まだ腫らし足りないか。柚葉は呆れたようにため息をつき、奏恵の額にデコピンを打った。


「痛ッ」

「ほらそうやってすぐ謝る」

「だ、だって」

「そりゃ確かにカナが暴走したのが原因ではあるけどさ、でも仕方ないじゃん。あんなことがあったらあたしだって取り乱すよ。だから、カナは悪くない」


 包帯でグルグルに固められた右手を上げて、奏恵の黒い髪を柔く撫でた。

 暖かく優しい手に包まれた奏恵は堪え切れなくなり、堰を切ったように大声で泣きついた。

 その震える背中をそっと抱きしめて、柚葉は何も言わずに彼女の涙を受け止め続けた。


 ◇ ◇ ◇


 柚葉が目を覚ました時、時計の針は十時を指していた。だが夜ではない。窓の向こう側では陽が昇り、直上しようとしていた。あの戦いから一晩が経過していたのだ。


「目が覚めたか」


 顔を洗ってさっぱりした後、リビングに降りた二人を真っ先に出迎えたのは大狼だった。


「うん、おはよう大狼。身体中がピキピキ痛むけど、それ以外は全然大丈夫」

「そうか。それを聞いて安心した」


 そう言った後、大狼は柚葉に向かって深く頭を下げた。角度の入った綺麗な一礼だ。


「此度の一件、真にすまなかった。吾は【鬼ノ腕】の邪気に取り込まれ、奏恵を危険に晒してしまった。決して許されることではない。どのような処罰も受けよう」

「処罰って……」


 相変わらずこのクソ真面目な使命野郎は――と思わないこともなかったが、彼なりに重く受け止めてのことなのだろう。奏恵のことを大切に思ってくれていることには変わりない。少々複雑な気持ちではあるがそれは柚葉としてもありがたいことだった。


「……じゃあ、これからもカナの力になってあげて。今回のようなことが無いように……もちろんあたしもフォローするけど、戦いの場数はあんたの方が圧倒的に上だからさ」

「承知した。汝との誓いを果たすべく、吾はより一層の気を引き締めよう」

「だから固いって……というか、頭を下げるならおじさんに対してでしょ?」

「いやいや、僕はもう何度も謝罪されてしまいましたから」


 厨房から顔を覗かせる奏恵の父は苦い笑みを浮かべていた。その様子から察するに何度も何度も、それこそ明確な処罰が降されるまで大狼は頭を下げ続けていたのだろう。


「圭悟も『無事だったのだからそれでいい』ばかりでな……正直、打ち首に処されても文句は言えないと思っていたのだが」

「だからそれいつの時代よ!」


 柚葉のツッコミが冴え渡る。見た目こそ痛々しいが、いつも通りの快活な彼女の様子に奏恵はホッと安堵した。


「ささ、その話は置いといて朝ごはんにしましょう。お昼過ぎには剛三さんもいらっしゃるようですから、詳しいことはその時にでも」


 圭悟が用意した朝食は伝統ある日本の朝ごはんであった。みそ汁の香りが鼻に心地よい。

 席に着いた四人はそれぞれ食べ始めた。両手が包帯で塞がっている柚葉は奏恵に食べさせてもらいながらだったが、食べる量は普段と変わらずに人一倍多かった。

 昨夜の一件を忘れたわけではない。反省も後悔も重く圧し掛かっている。

 だが、いつも通りの優しい朝のひと時だった。


 ◇ ◇ ◇


 数々の住宅やビルを薙ぎ払い、あまつさえ工場地帯を爆炎に包み込んだ昨夜の戦闘は流石の組織でも隠ぺいしきれないほどの大事件だった。

 その戦闘の様子を捉えた写真や映像が各報道で流れていたが、辛うじて人の姿をしているとわかる程度の靄が全体に掛かっており、その全貌は明らかになっていない。あれだけ大声で叫び合っていた言葉も、どれだけ学者を集めたとしても解読不能な言語に置き換えられていた。

 「宇宙人の襲来」、「まったく新しい天災」、「某国の秘密兵器」、「未確認生物」などなど――中には微妙に的を得ている内容もあったが、偉い学者先生や各報道陣営は昨夜の事件に対してその様な仮説を立てていた。

 いずれにせよ、いつまた起こるかもわからない未知の災害であることには変わりない。政府は対策を立てると同時に、その町の人々に他県への避難――つまりは疎開を推奨した。他の地域で受け入れる準備はこれから整えていくが、完全な形になるまでにそう時間は掛からないだろう。

 これにより、住民の何割かからは疎開を計画する声が上がるようになった。

 それがこの町の現状だった。


 ◇ ◇ ◇


「ガハハハハハッ! おめ、なンだよその格好! 派手にやらかしたようじゃねえか!」


 ミイラ状態の柚葉を見た剛三の反応は、ただの大笑いだった。剛三の明解闊達な性格を鑑みれば当然だろう。柚葉が怪我をして帰ってくることはこれまでにも多々あれど、ここまでひどいのは初めてだ。それで当人がケロッとしているのだから、もはや心配を通り越して笑いが込み上げても多少は仕方のないことだった。


「あーもー、好き放題笑いやがって。それより《舞秘女》のことなんだけどさ、あれこそ派手にやらかしちゃったけど直せる?」

「いや、勾玉に入れていれば自然に修復されるから心配いらねェな。壊れ具合によっては時間が掛かるだろうが」

「覚えてる限りだと九割やられていたみたいだったけど」

「あーそれなら……二日あれば大体は直るはずだ」

「思ったよりも早い!」

「ま、これでも正規品の速さには後れを取るみたいだがな」


 剛三は食卓のイスに腰を掛けてじっとしている大狼を顎で指した。

 確かに、《羅生紋》も相当のやられ具合だったが今の彼にそのような様子は見られない。どうやら一晩で完全に修復できたようだ。


「あたしの身体もそれくらいで治ったらなぁ」

「それについては問題ない。吾と奏恵による神力の恩恵を受けた汝には人並み以上の自然治癒能力が備わっている。その傷もすぐに快復することだろう」

「……つくづく不思議パワーだよね、神力って」


 柚葉はソファに座っている奏恵の隣にドサッと腰を下ろした。

 神力。その名前こそこれまでの戦いの中で幾度となく出てきたものの、本質は奏恵さえも理解していない。その仕組みを理解できれば今後の戦いでも有利に立ち回れるようになるのだろうか。


「神力は巫女、引いては御神の加護を受けた神職の血筋の人間が受け継ぐとされている神の力。古来よりそのエネルギーの仕組みを解明しようとする人々がいましたが、今の時代に至るまで依然として不明のままです」


 そう考えていた時、廊下から女性の声が聞こえてきた。この家の住民は全員この場にいる。だとしたらそれは誰なのか。不審に思った柚葉の表情が険しくなる。

 リビングルームの扉が開く。すると、黒いスーツに黒いタイトスカート、さらには黒いストッキングといった黒ずくめの女性が一同の前に姿を現した。

 ごくごく普通の一軒家に突然現れたその人物に柚葉は呆然と目を奪われていた。

 だが、


「ああ、これは瞳子とうこさん。その節は本当にありがとうございました」

「こちらこそ、最後の手段を使わずに済んだことにお礼申し上げます」


 圭悟はまるで取引先に挨拶をするように頭を下げ、


「おう、瞳子か。おめえは全然変わらねえな。今いくつだ?」

「女性に年を聞くのはセクハラですわよ、剛三さん」


 豪快に笑う剛三も昔馴染みのように彼女に絡み、

 そして、


「瞳子か、久しいな」

「瞳子さん! お久しぶりです!」


 大狼と奏恵もまた、知り合いのように彼女に挨拶をしていた。

 否、ように、ではなく事実彼らは瞳子と呼ばれた女性の知り合いなのだ。つまりこの場で彼女を知らないのは柚葉一人であった。


「えっと……」

「あなたが剛三さんの孫で、《舞秘女》の操縦者の柚葉さんですね」

「は、はい、そうです」

「申し遅れました。わたくし、奏恵ちゃんのおばあちゃんの従妹の矢島瞳子と申します。以後お見知りおきを」

「は、はあ、どうもご丁寧に……」


 瞳子が内ポケットから差し出した名刺を受け取った柚葉はそこに書かれていた文字列を見るとハッと目を見開いた。


「空鵞神社宮司……って、カナの実家の責任者!?」

「正確には、奏恵ちゃんのお父さんの実家、ということになりますね。奏恵ちゃんの実家はここですから」


 奏恵の祖母が神社の権利を渡した相手というのは彼女のことだったのだ。

 さらに、圭悟が補足して説明を続けた。


「それだけでなく、瞳子さんは『組織』の重役なんです。昨夜の件でも裏で色々と助けていただきました」

「! もしかして、あたしと電話していた時におじさんと一緒にいた?」

「はい。ただ、表立って行動するわけにもいかないですし緊急事態だったため、わたくし共の意向と対処案について圭悟さんの口からお伝えさせていただきました」


 《羅生紋》のことを昔から知っている人、というのもきっと彼女のことだったのだろう。

 しかし、そう考えると矛盾が生じる。「昔から知っている人」と言われれば、それこそ妙齢の人が当てはまるだろう。だが、瞳子は妙齢と呼ぶのがはばかられるほどの若々しさがある。服装の事もあって、現役で事務仕事をやっているのが似合いそうな印象だ。

 だが、奏恵のおばあちゃんの従妹とも考えると、やはり妙齢なのでは……そこまで脳を回転させた柚葉は眩暈を感じた。

 仕方ないから、恥を忍んで直接聞いてみることにする。


「あ、あの、すみませんが瞳子さんっておいくつなんですか?」

「あら、爺孫揃ってセクハラですか?」

「いえ、そういうつもりでは……」

「あ、それ私も気になっていました。おばあちゃんの従妹と言うにはとても若いので……」

「フフフ……女というのは謎が多い方が魅力的なのヨ♪」


 瞳子は妖しげに微笑むだけで答えようとしない。二人は大人の魅力あふれる彼女の振る舞いに尊敬の念を抱き始めた、が、


「ああ、コイツは神力で若作りしているンだ。実際の歳はオレと大差ねェぞ」


 剛三による無慈悲なカミングアウトによってその空気は呆気なく崩れ去った。


「ご・う・ぞ・う・さ・ん?」

「ガハハッ、いいじゃねェか事実なんだしよ!」


 大口を開けて笑う剛三に呆れた瞳子は頭を抱えた。


「か、神力って、本当に何でもありなんだ……」


 そして神力が秘める可能性の大きさに、柚葉は開いた口が塞がらなかった。

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