四の参 告げられた真実
「餓機見参、《斬月鬼》!」
漆黒の稲妻が彼の身を穿った。そして彼を中心に闇が広がり、大きく増幅し、内側から突き出された巨大な手足によって弾け飛んだ。
闇の中で誕生した一体の巨人がズシンと降り立つ。それは三日月の兜を被り、腰に刀を携えた金色の甲冑武者だ。その甲冑に刻まれた無数に枝分かれした血管のような模様はドクドクと脈打ち、まるで生きているようである。さらに兜の下から覗く顔は人間の骸。眼窩の中で怪しく光る紅の眼光が《羅生紋》を捉えた瞬間、武者は腰の刀に手を携えて足を踏み出した。
『来るぞ!』
巨大な足が大地を蹴り上げたと同時に《羅生紋》の眼前に迫る。素早く抜刀し、《羅生紋》の胴体に鋭く斬り込む。咄嗟に跳び退って直撃を免れた《羅生紋》の目に、夜闇に煌く鮮血の如き剣戟の弧が映った。
妖刀・阿修羅丸。生き血を浴びるごとに切れ味を増す人殺しのための刀。《羅生紋》の持つ草薙羅殺とは対を為す存在である。
「逃げてんじゃねえ!」
その刀を右手に握りしめたまま、《斬月鬼》は苛立ちを込めた左手で《羅生紋》に殴りかかった。その左腕は右腕に比べて厳重な装甲に覆われている。まるで《羅生紋》の右腕と瓜二つだ。
《羅生紋》は構えた右腕の装甲でその拳を受け止めた。本来ならば【鬼ノ腕】を内側に封じ込めるための代物であって攻撃を受けるための装甲ではないのだが、そのようなことを気にしている余裕はない。
『反撃しろ、奏恵!』
《羅生紋》が声を荒げる。
だが、奏恵は震える瞳で目の前に映る光景を見つめながら、ただただ呆然と立ち尽くしていた。
攻撃は辛うじて凌げた。だが相手の拳を受けた時、奏恵は不意に《斬月鬼》に宿る意思のような存在を感じ取っていた。巫女としての血がそうさせたのか、神力を介して伝わってくるその存在の正体を無意識のうちに追っていた。
「……お母さんが、いる」
そして直感したその答えは、彼女にとってにわかに信じ難いものだったのだ。
「でもカナのお母さんってずっと前に亡くなったんじゃ!」
「そうなんですけど、でも、あの機体から確かにお母さんの気配を感じるんです!」
幼稚園に入ったばかりの頃にはいつの間にか姿を消していた母親。父や祖母からは彼女が交通事故で死んだと聞かされていたし、墓も柚葉の実家である新稲寺に建てられている。だからそのことに疑問を抱かなかった。だが、神力が告げてくる。母親は確かに目の前の武者の中にいる、と。
乱雑に振り回される刀を自身の刀で受け流しながら、しかし奏恵は明らかに動揺していた。
死んだはずの母の気配が何故敵の機体から感じられるのか、そもそもこの敵は何なのか、【式機】とは違う代物なのか。
それらの疑問に答えられるはずの《羅生紋》は唸るだけで一言も発しない。言うべきか否かで悩んでいるようであった。
「ど、どうしてあなたのその機体からお母さんの気配がするんですか!」
流石に不穏な空気を感じた奏恵は《斬月鬼》に向かって叫んだ。
「あぁん? 貴様の母親なんざ知ったこっちゃねえ。こいつは貴様らが使う【式機】に対抗するための【
「その動力源って……?」
「決まってるだろ、巫女の肉体だ」
【餓機】は巫女の肉体に宿る神力を糧として動く。神力さえあればいいから、肉体が生きていようがいまいが関係ない。そしてその神力を【修羅】の持つ邪気で覆いつくすことによって、【餓機】はより強大な力を発揮できるようになるのだ。
『だが、肉体はいずれ朽ちる。貴様がかつて利用していた巫女の身体もそう長くは持たなかったはずだ』
「ああ、だから交換したんだよ。ちょうど俺が蘇った時に【修羅】の根城を人間どもが襲撃して来たからな、返り討ちにした巫女の一人を組み込ませてもらった。結局根城はぶっ壊されちまったが、こいつを動かせるようになっただけ御の字だ」
「そ、その巫女の名前は!」
嫌な予感がずっとしている。本当は聞きたくない。でも聞かなければいけない気がした。
「あぁー、なんつったっけな……確か――」
だから、ただの勘違いであってほしい。強くそう願い、
「――博来(はくらい)の巫女」
しかしその願いは呆気なく打ち砕かれた。
博来――それは母の旧姓。母の実家もまた神職の出であることはずっと前から聞いていた。
だから、理解するのは容易だった。
母は交通事故で死んだんじゃない。
巫女として【修羅】に挑み、殺されたのだ!
「うあああああああああああ!」
叫び、《羅生紋》が跳び出す。右の巨腕にありったけの力を込めて振るう。だが、がむしゃらな拳は敵に当たることなく虚空を切った。
「なるほど、貴様は博来の巫女の娘だったのか。そいつはご苦労なこった。貴様の母親は俺が殺し、この《斬月鬼》に取り込んでやったわ!」
大きく開いた《羅生紋》の胴体に《斬月鬼》の左膝が素早く叩き込まれる。トラックが突っ込んできたような衝撃がその巨体を吹き飛ばした。周囲の住宅を粉々に圧し潰しながら《羅生紋》は倒れる。
『ぐっ……まさかこうも容易く押されるとは……!』
無論、奏恵が集中できていないことも原因のひとつではあるだろう。だが、相手の力量も凄まじいものであった。博来の血筋は空鵞に次ぐ神力の持ち主。それが敵に利用されるとあっては、生半可な戦い方では決して勝てない。
「その程度じゃねえだろ大狼、そして空鵞の巫女!」
「ッ……あああああ!」
敵に煽られた奏恵は《羅生紋》を立ち上がらせた。いつもなら巻き込んでしまった住宅の心配を優先するだろうに、今の奏恵は敵を睨み付けるばかりでその様な素振りを見せる様子がなかった。
「待って、ここはあたしが!」
《羅生紋》が再び動き出そうとするよりも前に《舞秘女》が小柄な体格を活かして《斬月鬼》の前に躍り出た。そして薙刀を振るい、敵に斬りかかる。
「そんな玩具でよくもまあ【修羅】を殺せたもんだ。相当なやり手と見たが――」
次々に迫る斬撃を刀で躱しながら、まるで品定めをするかのように虎鉄が言う。余裕に満ちた動きはやがて振り下ろされる薙刀を見切り、その柄を左手で掴み取った。
「――だが、俺の敵じゃねえ!」
薙刀を突き返して作った隙に右手の刀で斬り込む。胸部装甲が断絶されて火花を散らした。さらに、身体を捻った《斬月鬼》は怯んでいる《舞秘女》の胴体に回し蹴りを叩き込んだ。
「キャアアアア!」
建物に直撃した《舞秘女》の身体は土煙を上げて崩れ落ちた。
「ゆずちゃん!」
「だ、大丈夫、ちょっと肩を捻っただけだから」
けたたましい警報が町中で響き渡った。住民に避難を促す内容である。この町でそれが使われるのは奏恵が知る限りでは始めてのことだった。
三体の謎の巨人が町を破壊しながら暴れている――その異常事態の対処法を人々が知る由もない。だから自分の身を守るために避難する。それは至極真っ当な判断だ。
「許さない……あなただけは絶対に!」
《羅生紋》が一陣の風となって駆けた。それまでの比にならない程の速度で間合いを詰め、すれ違いざまに斬る。《斬月鬼》の装甲に一筋の切り傷が生じ、そこから火花が散った。
「もっと来い、俺をガッカリさせんなよ」
「言われなくてもォ!」
挑発に乗った奏恵は《羅生紋》に刀を振るわせた。だがその剣筋は精細さを欠き、ことごとくをあっさりと受け流されてしまう。
「当たれ、当たれ、当たれ!」
『落ち着くんだ奏恵、闇雲な攻撃は通用しない!』
しかしその声は奏恵の耳に届かない。相手を倒す――その気持ちばかりが先行してしまい、周りが見えていなかった。
普段の奏恵の人格を知っていればそれは本当に珍しい事だった。否、彼女が明確な怒りを露わにするのは初めてのことだろう。
「お母さんを返せ! 返せェ!」
ただ刀を大振りにするだけの《羅生紋》はまるで駄々っ子の様だった。その攻撃は避けやすく、さらに隙も大きい。
「ったく、うるせえよ」
攻撃を避けながら舌打ちをした虎鉄は、邪気を集めた《斬月鬼》の左拳を打ち込んだ。ドロドロの闇が渦巻く拳は《羅生紋》の腹を穿ち、膨大な邪気を炸裂させる。すると《羅生紋》の身体が一瞬だけ宙に浮いた、かと思うと吹き飛ばされた衝撃で高層ビルに激突。砕け散った壁やガラスの破片が降り注いだ。
『ぐあっ!』
「きゃあ!」
衝撃が内部にも伝わってくる。《羅生紋》が肩代わりできるダメージを超えていた。だが、奏恵は痛みを堪えながら鬼気迫る表情で《斬月鬼》を睨み続けていた。
「ま、まだだ……!」
《羅生紋》を立ち上がらせた。各部損傷が激しいがまだ戦える。しかし、それは《羅生紋》という機体の話だ。
「戦わなきゃ……お母さんの仇を……殺さなきゃ!」
乗り手である空鵞奏恵の精神はもはや戦闘を継続していい状態ではなかった。彼女の極端なほどの優しさが、かつてないほどの憎悪によって完全に反転してしまっていた。
『これ以上は危険だ、今すぐ吾との同化を解除しろ!』
「うるさい! 私の神力の全部を使ってでも、殺さなくちゃいけないんだ!」
乗り手の命令以外の行動を行なえない《羅生紋》には、もはや彼女を止めることはできなかった。
奏恵はあらん限りの神力を放出して《羅生紋》の能力を無理やり底上げした。
まずはスピード。《羅生紋》の巨体が消えたかと思うと、一瞬の内に《斬月鬼》の懐に飛び込んだ。
そしてパワー。《斬月鬼》がそうしたように、《羅生紋》も右の拳に神力を集束していた。
「喰らえェェェ!」
絶叫と共に敵を殴り、その勢いと共に解き放たれたエネルギーは爆発的な火力で《斬月鬼》の装甲を打ち砕いた。
大きく仰け反る《斬月鬼》。だが吹っ飛ばされないように地に足つけてふんばり、《羅生紋》との距離を取って体勢を立て直した。
一方で全力を出した奏恵の呼吸は荒くなり、眩暈を感じて膝をつきそうになる。だが、それを許さず、自分の身体に鞭を打ってでも奏恵は立った。
「手応えはあった、だったらこのまま押し切る!」
積極的に相手に殴りかかるその姿は、普段の奏恵からは想像もできない。それこそ、まるで鬼のようである。
「ッ、ダメだよ……そんなのカナらしくない!」
《舞秘女》の中の柚葉の悲痛な叫びが轟く。だが、その声さえも今の奏恵には届かない。
倒れていた《舞秘女》は操縦桿が固まってしまって動けずにいた。今すぐにでも奏恵と《羅生紋》を止めに入りたいのにそれができないもどかしさで柚葉は焦っていた。
「……、守らなきゃいけないんだ、みんなを、お母さんを!」
拳を振るい続ける《羅生紋》。彼らの身に異変が起きたのはその時だった。
奏恵の心臓が、頭が、全身の神経が、唐突な痛みを訴えた。
「あ、が……ぁぁ……!」
突如として《羅生紋》の猛攻が止まった。
中にいる奏恵は心臓を押さえつけながら苦しみもがき始めた。心臓が今にも張り裂けてしまいそうな程に加速していた。
そして先ほどまで膨大な神力を注がれていた《羅生紋》の右腕。幾重にも折り重なっていた拘束具の鎖が砕け散った。
『しまった……!』
拘束具の隙間から黒い靄のようなものが溢れ出す。【鬼ノ腕】の邪気だ。それは《羅生紋》の全身を覆いつくさんばかりにどんどん肥大化していく。
その先に起こり得る未来を予感した《羅生紋》は倒れてたままの《舞秘女》に向かって叫んだ。
『柚葉! 説明している時間はない、吾々を止めてくれ!』
そして彼女の答えを待つ間もなく、《羅生紋》は闇に呑まれた。
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