参の弐 修羅の男

 この町の寺のひとつ、新稲寺にいなじは柚葉の自宅でもある。その近所には個人経営のラーメン屋「さくらや」が店を構えていた。

 奏恵との電話を終えた後、柚葉はその暖簾をくぐった。


「らっしゃい。食券を買ったらお好きな席にどうぞ」


 低い声が柚葉を出迎えた。厨房に立つ硬い表情の店主だ。柚葉は幼い頃からこの店を訪れる常連であるため、店主ももちろん彼女のことを知っている。しかし、必要以上のコミュニケーションを取ろうとはしないのが彼のポリシーである。

 入り口の脇に置いてある券売機で食券を購入した柚葉はカウンター席に腰掛け、店主に食券を差し出した。注文はこの店での基本となる「さくらそば」。それを学生サービスで大盛りにしてもらうのが、柚葉のいつものスタイルだ。

 待っている間はスマホで暇を潰す。やりたいことがあった。それは【修羅】が関連する事件がインターネット上ではどれほどの情報が記載されているのかを調べることだ。

 だが、どう調べたところで学校で噂されていた以上のものはなかった。最初の《絡新婦》は原因不明の集団失踪事件だし、《百目鬼》は謎の女性による宝石強盗事件でしかない。後者については強盗を追い払った男がいた、との噂もあるが、それは大狼のことに他ならない。彼の素性もそこでは当然ながら不明だった。

 これらの事件はどれも深く掘り下げた報道が為されていない。それどころか一日経過した時点ですべての報道機関から話題が消えていた。新しい情報は何ひとつ存在しない。不気味ささえ感じられる。

 これについては《絡新婦》と対峙した日の夜に奏恵の父から聞いていた。【修羅】の存在を世間に認知させないように情報統制を行なっている組織がある。その組織は当然、奏恵と同じような神職の末裔たちによって構成されており、人類の味方であることは間違いないとのこと。

 奏恵や柚葉がこれまで【修羅】の存在を知らずに平和な日常を送ってきたのも、この組織の暗躍があってこそだったのだろう。

 いったいどこにあるのか、他にどのような活動をしているのか、それはさっぱりわからないようだが。


(ま、今のあたしらには関係ないか。変に噂が広まってカナの日常生活に支障が出ないようにしてもらっているのだから、むしろ感謝するべきかもね)


 あくまで奏恵のことだけを想い、柚葉は見知らぬ組織の活躍に軽く感謝をした。


「へい、さくらそば大盛り」


 そうしている間に完成したラーメンのどんぶりが柚葉の前に差し出された。

 かつおや煮干しなどの魚介だしをブレンドした濃厚な豚骨スープ。それに程よく絡み合うように特注した細麺と自家製のチャーシュー、半熟の味玉、焦がし葱がこの店のラーメンの特徴だ。つけ麺もやっているが、柚葉はもっぱらラーメン派である。


「いただきます」


 黄金色に輝くスープの中に箸を入れて、持ち上げた麺を啜る。他に客がいないのをいいことにズルズルと音を立てながらスープが染み込んだ麺を味わう。素材を活かしたクリーミーなスープの味わいには、見た目ほどの濃さがない。飽きの来ない優しい味だ。

 いつも通りの美味しさだ。流石はテレビや雑誌で紹介されるだけある。その影響もあって、もう少し時間帯がずれればこの店は客で溢れ返るようになるのだ。そんな話題の店を古くから知っている、というのは柚葉の密かな自慢だった。

 舌鼓を打っていると、店の出入り口が開いた。髪を金色に染めてアクセサリーをジャラジャラと身に着けた男が暖簾をくぐってきたのだ。まるでビジュアル系ロックバンドでもやっていそうである。柚葉の感じた第一印象は「ガラが悪そう」だった。


「いらっしゃい。食券を買ったらお好きな席にどうぞ」

「……食券?」

「そこの券売機で買ってください」


 店主が指した先にある券売機を男は気だるげに眺めた。


「……こういう店に入るのは初めてなんだが、どれがいいんだ?」

「あー……それなら、さくらそばはいかがでしょう。この店の定番で、人気も高いですよ」

「ならそれにするか」


 男はダメージジーンズのポケットから直接取り出した小銭を使って食券を買うと、柚葉の二つ隣の席にどかっと腰を掛けた。

 ガサツそうな見た目に反してラーメン屋に入ったことがないという男のことが柚葉には意外だった。案外厳格な家で育ったお坊ちゃんなのかもしれない。この外見で高級住宅に住んでいる様子はあまりにもミスマッチで柚葉の想像力ではまったくイメージができないが。

 だが見た目で判断するのはよろしくないし、そもそも他の客の出自など一切関係のないことである。

 柚葉は気にせずに備え付けの調味料を探してあたりを見回した。しかしこの席に一番近いのは先ほど入店した男の目の前にある物だ。手を伸ばしても届かない。


「すみません、にんにく取ってもらってもいいですか?」

「あ、これか?」


 男はおろしにんにくが入った瓶を取ると興味深そうに眺めてから柚葉に渡した。


「どうも」

「それを入れると旨くなるのか?」

「そのままでも充分美味しいんですけど、これを入れると味がより引き締まるのであたしは好きですね」

「へー、そうなのか」


 一匙のにんにくを入れてから食事を再開しようとした。だが、その様子を睨み付けるようにじっと見てくる男の視線が気になって食べにくい。

 何がそんなに気になるのか。初めてだから緊張しているのか? 食レポを期待しているのか? それともあたしがいい女だからついつい見てしまうのか?

 なんにせよこのままだと折角の味もわからなくなる。


「……あの、そんなに見られると食べにくいのですが」

「ああ、こいつは失敬。初めてなもんで、どんな感じなのか気になってな」


 男は正面を向いた。厨房で調理している店主の広い背中がその目に映る。

 そして振り向いた店主は手にしたどんぶりを男の前に差し出した。


「へい、さくらそば一丁お待ち」


 目の前で湯気立つ一杯のラーメンを男はじっと観察した。量は柚葉のものより少ないが、内容は同じだ。漂うスープの匂いに唾液がごくりと喉元を落ちる。

 箸を取り、万を辞していざいただく……!


「……なんだこれは、旨い!」


 想像を超えたあまりの美味しさに男は叫んだ。それから男は脇目も振らずにガツガツと食べ進め、そのすべてをあっという間に胃袋の中へと収めてしまった。しかし何かを思い出したのか、「あっ」と笑った。


「やっちまったな……にんにくを入れ忘れた」

「それなら次来た時に試してみたら?」

「ああ、そうするか。しかし本当に旨かった、ごちそうさん……って、よく見たら他にもチャーシュー丼ってのがあるのか」

「注文いただければお作りしますよ」

「マジか。それならひとつもらおうか。金は手渡しでいいか?」

「はい」


 ポケットから直接取り出された小銭を受け取った店主はすぐに調理に取り掛かった。

 どうやら彼はこの店を気に入ってくれたようだ。この店の良さをわかってくれる人が目の前で増えて、柚葉はどこか誇らしかった。

 スープも飲み干してどんぶりを空にした柚葉は荷物をまとめて立ち上がろうとした。


「色々教えてくれてありがとよ。それでもうひとつ聞きたいことがあるんだが、いいか?」


 男に呼び止められた柚葉は立ち上がったまま、彼の願いに応えて続きを促した。


「俺は人を探していてね、何か知っていたら教えてもらいたいんだが」

「どんな人?」

「ああ。白銀の髪で右腕に包帯を巻いた、いけ好かない野郎だ。割と目立つ格好をしているから、一度見れば忘れないと思う」


 あなたも大概目立つ格好をしていますけどね。


 そんな言葉を呑み込んだ柚葉は少し考え込んだ。

 彼の言う人物像に当てはまる知り合いが一人だけいる。ほぼ間違いなく大狼のことだろう。だが、柚葉は以前に大狼から忠告されていたのだ。


 ――もしも吾に該当する人物を探る人間がいれば、それは【修羅】に近しい者、あるいは【修羅】そのものである可能性が高い。故に、吾のことは決して口外せぬように頼む。


 つまり、目の前の男もまた、いつかデパートを襲撃した女性と同じ憑依された存在か、【修羅】が人間に擬態した姿だということなのか。まったくの無関係という可能性もあるが、万が一のことがあれば奏恵が被害を被ることになる。それだけは絶対に避けなければならない。


「あー、ごめんなさい。あたしは知らないです」

「そうか。この町にいることはわかっているんだが」

「ちなみにその人の名前は?」

「大狼だ。ま、別の名前を使っている可能性もあるがな」


 ビンゴだ。この男は【修羅】で間違いないだろう。まさか行きつけのラーメン屋で遭遇するとは思いもよらなかったが、だったら馬鹿正直に答えるわけにはいかない。


「……その名前もわからないです。力になれず申し訳ありません」

「いやいや、こっちこそ呼び止めてすまなかった。道中気をつけろよ」

「ありがとうございます、その人が見つかるといいですね。あと、店長もごちそうさまです!」


 そう言って、柚葉はいそいそと逃げるように店を出た。


「知らない、ねえ。今時の娘はしっかりしてやがる」


 その背を見送った男はまるで柚葉の嘘を見抜いていたかのようにほくそ笑んでいた。


「……どうかなさいました?」

「ん、いや何でもない。ところで大将は俺の探し人について何か知らない?」

「いえ、私にもわかりません。こちらチャーシュー丼です」

「お、来た来た!」


 差し出されたチャーシュー丼を受け取った男の左手には黒い包帯が巻かれており、その素肌を覆い隠していた。

 そして男は牙のように鋭く尖った歯を見せながら無邪気に笑ってチャーシュー丼に箸を入れるのだった。




 店を出た柚葉は自宅に向かいながらスマホを取り出して電話をかけていた。宛先は祖父の携帯番号だ。

 数回のコール音の後にガチャリと鳴って祖父の声が返ってくる。それを確認した柚葉は一呼吸置いてからはっきりと告げた。


「今日中に完成させるよ、爺ちゃん。思ったより時間はなかったみたいだから」


 新稲寺の門前で柚葉は立ち止る。茜色の空の下で門扉は暗く染まっていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る