参―親友
参の壱 女子三人
「空鵞の巫女と羅殺の【式機】が、あなたを滅します!」
奏恵の力強い声を聞いた時、柚葉の胸のあたりがちくりと痛む気がした。彼女が戦い傷つく姿を見たくないから? それもある。だが、もっと大きな、それでいて単純な理由があった。
――もう、あの子の手を繋ぐ必要はないのかな。
柚葉の視線の先で、《羅生紋》は今まさに《百目鬼》を必殺の刃で一刀両断にした。奏恵が自分の力で立ち上がり、掴み取った勝利だ。
あたしに頼らなくてもカナは戦える。それはきっと喜ぶべきなのだろう。
でも、
寂しいよ。
もっと力になりたい。カナの支えになりたい。
でも、今のあたしにはどうすることもできない。
それがただただもどかしくて、腹立たしかった。
いったいどうすれば、彼女を助けることができるのだろうか――。
◇ ◇ ◇
月曜日。いつも通りの学校ではある話題で持ち切りだった。
金曜日の夜に出たらしい巨大な怪物、そして土曜日に山の方に出現した二体の巨人についてだ。
特に土曜日はデパート襲撃事件で襲撃犯と思しき女性が逃走した直後なので、ネット上ではその関連性が疑われているとのこと。結局、襲撃犯の足取りは掴めていないし巨人や怪物の正体もわからず仕舞いの、ただのオカルト止まりな話題でしかなかった。
だが、その噂話を教室の片隅で聞いている奏恵だけは事の顛末を知っていた。
◇ ◇ ◇
あの戦いの後、《百目鬼》に憑依されていた女性は意識を取り戻した。だが、憑依されている間の記憶は無く、自分が何をしていたのかはっきりと覚えていないようであった。
柚葉は彼女を警察に突き出すよう薦めた。しかし奏恵は女性を被害者の一人として見逃すことにした。巫女である奏恵に出来るのは人に仇なす【修羅】を絶つことであり、悪事を働いた人間を裁くことではない。それが、巫女としての奏恵の正義だった。
「カナは優しすぎるよ」
去り行く女性の背中を見送りながら柚葉はそう告げた。
このまま逃がしてもいずれははっきりと記憶を思い出すかもしれないし、警察にも捕まることになるだろう。それはそれで女性にとっては残酷なことだ。そうなった時、その責任を放棄するのは果たして正しいのだろうか。
無論、奏恵にその責任を負えと言うつもりはない。どちらが正しいかなんて誰にもわからない。二人ともわかっていることだ。
それは単純に、正反対だからこそ生じる主義主張の違いでしかなかった。
◇ ◇ ◇
教室の扉が開いた。廊下で電話をしていた柚葉がポニーテールを揺らしながら戻ってきた。
「今日の部活休むって部長に伝えておいて」
同じクラスのバスケ部員にそう言いながら、彼女は何やら慌てた様子で自分の席で荷物をまとめ始めた。
「あの、何かあったんですか?」
「ん、ちょっと爺ちゃんに呼び出された。ごめんカナ、今日は先に帰る」
「は、はい、わかりました。お気をつけて……」
柚葉は頷いて教室を跳び出した。きっと大事な用事があるのだろう、と奏恵は自分に言い聞かせるが、それでも顔を合わせてくれなかったのは少し残念だった。
そして、そんな日がしばらく続いた。
放課後になった瞬間に柚葉は教室を飛び出す。奏恵はそれをただ見送るだけしかできない。だから二人が並んで下校することは無く、学校での口数も自然と減っていた。メッセージでのやり取りさえ少なくなり、お互いに関わる姿が見られなくなったのだ。
「なんかあったの?」
あざみが奏恵に声を掛けてきた。流石に二人の様子がおかしいと思ったのだろう。放課後のことで、柚葉はすでに下校した後だった。
「何か、とは?」
「いやぁ……なんか今週に入ってからお二人さん、あんまり喋らなくなったよね」
「そ、そんなことはないかと……」
「だって、いつもならイチャイチャベタベタしてるじゃない。それがここ最近はツーンって、お互いに突っぱねてる感じ。だから喧嘩でもしたのかなって」
別段、いつもイチャイチャしていたつもりでもなかったのだが、二人の距離感の変化は周りから見ても明白だったようだ。奏恵は恥ずかしそうに眉をひそめた。
「えっと、その、喧嘩ってほどでもなくて、あの、私にもよくわからないんですけど……」
「なんだ、よくわからないのに口利かなくなっちゃったの?」
「は、はい……」
諦めたように奏恵がため息をつく。あざみは手近な椅子を引っ張り出してそこに腰掛けた。
「本人に直接聞いちゃえば?」
「え……で、でも、それは……」
「大丈夫だって。わたしの見立てなら彼女、別に空鵞さんに怒ってるわけじゃなさそうだし。単に色々と忙しいんだと思うよ」
「そ、それなら余計に、邪魔をしちゃいけないと思うんですが」
「でも空鵞さんは気になってるんでしょ? だったら本人に確かめて、そのモヤモヤを解消したらいいじゃない」
それは至極当然な意見だ。もちろん奏恵もその考えに至ってはいたが、実行できずにいた。それは柚葉の迷惑を考えてのことであり、「彼女に嫌われているかもしれない」という可能性が事実になることを恐れた逃避でもあった。
背中を押してくれるのはいつも柚葉だったから、一歩を踏み出す勇気が奏恵にはない。
だからこういう時にどうすればいいのかわからなかった。
「……ふぅ~む」
奏恵の沈痛な表情を眺めていたあざみはふと自分のスマホを取り出すと番号をプッシュした。そして数回のコール音の後に相手が出ると、あざみはマシンガンの如く喋り出した。
「あ、もしもし、お疲れ様。今ちょっといい? うん、そうそう。それで空鵞さんが聞きたいことあるみたいだから、代わるねー……というわけで、ほい空鵞さん!」
「え、ええ!?」
突然のキラーパスに奏恵は動揺を隠せなかった。スマホはすでに押し付けられてしまったが、相手が誰なのかもわからないのに何を話せばいいのか。
「も、もしもし……」
『カナ、どしたの突然!』
恐る恐る応答してみると、しかし受話口から帰ってきた声は馴染み深い人のものであった。
驚いて隣を見れば、あざみが「役目は終わった」と言わんばかりに立ち上がり、最後に親指を立ててから教室を出ていくところだった。
静寂に包まれた教室に残されたのは奏恵ただ一人。気まずさと緊張の固唾が喉元をごくりと通り抜けた。
『……えっと、聞きたいことって何?』
受話口の向こう側からいつも通りの声で柚葉が呼びかけてくれる。それがたまらなく嬉しくて、だからこそ、答えを聞くのが怖かった。
だが、ここまでお膳立てをしてもらって何もできないというのは、あざみに対して申し訳が立たないし何よりかっこ悪い気がする。
奏恵は腹をくくった。
「その、最近ゆずちゃんが私のことを避けてるんじゃないかって、思いまして」
『え?』
「ゆずちゃんが忙しいのはわかっているんです。でも、いつもならすぐに理由を教えてくれるのに、今回は全然話してくれなくて……」
『あー、不安にさせちゃったかな。ごめん。でも、まだ理由は言えない』
「どうしてですか?」
『あたしなりのケジメっていうか……まあ、その辺含めて近いうちに必ず説明するから、今は許して。もちろん、カナを嫌いになったわけじゃないから、そこは安心してよ』
「……本当ですか?」
『あっれー、もしかして信用されてない? ゆずちゃんショックだなー』
「ご、ごめんなさい、そういうつもりではなくて!」
『冗談冗談。ていうか、あたしがカナのことを嫌いになるなんてそもそもあり得ないでしょ。だってあたしは、なにがあってもカナの味方だからね』
ああ、私はその言葉に何度救われているのだろう。
楽天家で調子がよくて、それでいていつも優しく見守ってくれる。
私にとってかけがえのない、大切な人。
「……わかりました、待っています。だから、どうか無茶だけはしないでくださいね」
『うん、ありがと。それじゃあ、そろそろ切るね。続報をお楽しみにー』
その言葉を最後に電話は切れた。教室は再び静まり返る。しかし、それまで感じていた不安や寂しさのような感情は消えていた。むしろ、どこか清々しい気分だ。
スマホを返すために教室を出ると、少し離れたところにある休憩所で待っていたあざみが、
「ほらね、やっぱり杞憂だったでしょ」
「もしかして、聞いてました?」
「そんな野暮はしないよ。だって今の空鵞さん、いい表情してるからネ」
そう言って、奏恵の顔を指してクスクスと笑った。
ここ数日は一人で下校することが恒例となっていた。そのたびに一抹の寂しさを感じていた。それは今日も変わりない。しかし、柚葉との友情を改めて実感することができたから、心の重荷はスッと軽くなっていた。
『良い友に恵まれているな』
オレンジ色に染まる空の下で人通りの少ない住宅街を歩きながら、勾玉の中の大狼が呟いた。普段――特に奏恵が学校にいる間――は大狼は勾玉の中で待機することになっている。【修羅】の気配があれば彼の出番なのだが、幸いにも《百目鬼》と戦って以降は【修羅】と対峙することはなかった。
「はい。皆さん素敵で、私なんかにはもったいないくらいです」
『否。汝の優しき人柄があるからこそ彼らは汝の下に集い、力を貸すのだ。私なんか、と言うことなかれ。汝は充分に魅力的だ』
「そ、そうでしょうか……」
『過度の謙遜は時に
意外だった。まさか彼にここまで言われるとは思わなかった。まるで親のような物言いに奏恵はきょとんとした。
『……聞いているか?』
「あ、はい、ごめんなさい。でも、確かに私は遠慮してばかりで、皆さんの言葉を素直に聞けていなかったかもしれません」
思えば、いつから自分に自信が持てなくなっていたのだろう。ゆずちゃんが守ってくれるからちっぽけなままでいいと思い続けていた。だから自分を過小評価するのがいつの間にか癖になっていたのかもしれない。
奏恵は自分の両頬を叩いた。
「よし。ゆずちゃんにもっと好きになってもらえるように、私は頑張ります!」
『うむ、その意気だ。吾も汝の成長を応援しよう』
こそばゆい感じがした。顔が真っ赤に熱くなっているのは西日のせいではない。直前の発言が恥ずかしくなったからだ。
だが、悪い気はしない。これまではその恥からさえも逃げてきたのだから、それを受け入れられたのは大きな一歩だ。
顔の熱が引くまでは周りの人に見られないようにちょっとだけ俯いて、奏恵は歩み出す。
『ところで奏恵よ』
そんな中で大狼は再び口を開いた。
「なんですか?」
『神経質な状態を指す四文字の言葉なのだが、わかるか?』
「……ナーバス、では?」
『そうか、なぁばす、というのか。助かった』
「クロスワードですか?」
『うむ。ただの遊戯だと侮っていたが、己の知らぬ事柄について触れることが出来、これがなかなかに奥深い』
大狼は暇な時、デパートで見つけたクロスワードパズルの本に向かうようになっていた。これも出会ったばかりのことを考えれば意外な一面だった。使命に忠実で、娯楽に興じるようには見えなかったからだ。
だが、一週間の付き合いを経て彼の中にある「人間らしさ」のようなものが垣間見えたような気がする。少なくとも彼は、使命だけを意識した冷たい存在ではないということだ。
『……なるほど、つまり最近の奏恵はこのなぁばすな状態だったのだな』
そして、デリカシーの無さもまたひとつの彼らしさなのだろう。
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