弐の参 デパートにて
柚葉の運転するオートバイでしばらく走り続けていると、目的地のデパートに着いた。すると、その駐車場にオートバイを停めてすぐに、大狼が勾玉から抜け出した。
「汝らはこの建物に用事があるのだな」
「はい、そうです」
「ならば吾は、汝らの邪魔をせぬように単独で行動するとしよう」
「その気遣いはありがたいけど、いいの?」
「ああ。家でも言ったように、今の世の情勢を知りたいからな。一人の方が何かと都合が良い。それに、奏恵に何かあれば吾にはすぐにわかる」
「わかりました。えっと、デパートを出る時の連絡はどうしましょう?」
「勾玉の神力を辿っていけば位置も把握できる。故に汝らは吾のことは気にせずに楽しむが良い」
大狼はそれだけ言って、スタスタとデパートの中へと歩いて行った。
目つきは悪いが見た目は普通に美形男子であるし、異形の右腕も巻かれた包帯で隠されているからせいぜい中二病扱いで済むだろう。彼の性格上、自分から問題を起こすことも考えにくい。
「大狼さんって、結構優しいですよね」
「……そうね、気に食わないところも多いけどそれは素直に認めるか。ま、お言葉に甘えてあたしたちはあたしたちで楽しもうよ」
今だけは使命のことを忘れよう。二人は笑い合うと、並んでデパートの中に入っていった。
時間は十時半過ぎ。お昼ご飯にはまだ早いから、デパート内で時間を潰すことになる。
一階はジュエリーや高級ブランド品、あるいは菓子折り専門店が立ち並ぶため、二人には無縁の世界だ。また、地下の食料品売り場も今回は関係ない。つまり、二人が立ち寄るのは二階から上ということになる。
ファッション、本、家庭用品、音楽、おもちゃ、ゲーム……どれも二人でなら心底から楽しめる。
二人は気ままにデパートの中を歩き巡ることにした。
◇ ◇ ◇
デパートに足を踏み入れた大狼がまず驚いたのは、その規模だった。
そもそも大狼はのんびりと社会見物をする余裕がこれまではなかった。ある程度の情勢は把握しているが、人間文化がどのように発展してきたかまでは視界の外だったのだ。
今回、奏恵たちと別行動を取ったのも、もちろん二人の邪魔をしないことが一番の理由ではあるが自分のペースで人間社会を見て回ることもまた一つの理由であった。
建物の中央に設置されているのは確か「えすかれぇたぁ」だったか。大正の世にこの国に導入された物だと記憶しているが、こうして使うのは初めてだ。動く階段というのはなかなかに奇妙な感覚である。
適当なフロアで降りた大狼は自分に向けられている視線に気づいた。敵意はない。周囲の民衆の好奇の眼差しだということはわかっている。
昨夜のうちに圭悟から服を借りたため、極端に周囲から浮いているということはないだろう。となると、彼らの好奇心の対象は銀色に染まった髪か、包帯でぐるぐるに覆われた右腕のどちらか、あるいは両方だろう。大狼はそう考え、しかし特に気にする体でもなく目についた本屋に入った。
もちろん、銀髪も包帯も視線を集める要因ではあるだろう。しかし、視線の主のほとんどは女性であり、彼女たちはこんな感想を抱いていた。――すごいイケメンがいる、と。
そして、それらとはまた違う形の視線があった。
「む?」
違和感を覚えた大狼は立ち止って振り返った。しかし、視線はもう感じられない。
気のせいだったか。
大狼は気を取り直して正面にある本棚に向き直った。そこは「趣味・娯楽」のコーナーだ。
(現代の本は随分と色鮮やかなのだな)
適当に目に留まった本を手に取ってみる。「クロスワードパズル」と表紙に大きく書かれているその本を開いた。
(ふむ、ここにある「ひんと」を基に文字を埋めていく遊びか。どれ……『世界三大珍味のひとつ』で五文字か。……三大珍味、そもそもそれは一体どのような物なのであろうか)
大狼はしばらく考え込んだが、答えが出なかった。
(戯れではあるが、わからないのもそれはそれで悔しいものだな)
閉じたそのクロスワードパズルを片手にレジへ向かい、圭悟からもらった金でその本を買い取ったのだった。
◇ ◇ ◇
四階は婦人服売り場が主となっている。噂の喫茶店はその奥にあった。
奏恵と柚葉がそこへ行ったのは間もなく十二時になる頃合いだった。客はそこそこだが、まだ席は埋まり切っていない。二人は店員に案内された席に座ると一息ついた。
「へえ、いい感じのお店だね」
「そうですね、落ち着いて休むことができそうです」
メニューを見てみると、メインディッシュのページにサンドイッチやパスタなどがある。昼食には持って来いだ。また、喫茶店らしく飲み物も充実している。ただ、デパートの中という立地の都合上、高校生の金銭感覚では少々値が張るのは痛い。
まあ、そんなことは最初からわかっていたから覚悟の上ではあるが。
「あたし、このカルボナーラのランチセットにしようかな。カナは決まった?」
「えっと、私は日替わりサンドイッチのセットにしようと思います」
「お、いいね~。あたしもそれ気になってたんだ」
そう言いながら店員を呼んだ柚葉は飲み物も含めて二人分の注文をした。飲み物は食後にしてもらったので、今はお冷で喉を潤すばかりである。
水の入ったコップを持つ奏恵の左腕にはこのデパートに来るまでにはなかった赤い天然石のブレスレットがあった。
「いい買い物したよね」
柚葉の右腕にも同じブレスレットが着いている。しかし奏恵のそれとは違って青色をしていた。
「はい。ゆずちゃんとお揃いで嬉しいです!」
その色違いのブレスレットはデパート内を歩き回っている中で見つけ、お互いに似合う色を選んで交換したものだ。特に誕生日などの記念日ではないのだが、ショッピングに出掛ける度にこうしてプレゼントし合うのが二人の定番であった。
注文した料理が運ばれてきた。二人はそれを食べながら、他愛もない話で盛り上がる。
そして食後の飲み物で一息ついていた時、二人の耳に他の客の会話が聞こえてきた。
――ねえ、昨夜怪物が出たって噂聞いた?
――ああ、巨大な蜘蛛が出たって奴でしょ。どうせ尾ひれがついただけだって。
――でもさ、実際に何人もの人が行方不明になったらしいよ。もし本当に怪物の仕業だとしたら怖いよね。
――わたしたちじゃ何もできずに殺されて終わりよね。あーあ、死ぬならせめてやることやって死にたいなー。
「やることやって死にたい」……それは誰もが考えることだろう。自分のやりたいことに全力を尽くした人生を送ることこそが、人間のあるべき姿であるからだ。
だが、昨夜の犠牲者はどうだろうか。為す術もなく化け物に喰い殺されたその末路は、果たして「人間らしい死」であったのだろうか。
違う、どう考えてもあれは人間の死に方ではない!
その会話は次第に別の話題へと切り替わっていった。だが、化け物の噂に関する会話は俯いた奏恵に重く圧し掛かっていた。
同じく会話の内容が聞こえていた柚葉にも、奏恵が何を感じているのかはわかっている。
誰も奏恵の責任を論じているわけではないのに、本人は自分の力不足を負い目に感じているのだ。
(カナは何も悪くないのに)
ただ間に合わなかっただけ。あの状況なら仕方のないこと。犠牲になった人々のことを想うあまりにそう割り切ることができないのは奏恵の悪い癖だった。
「カナ、この後はどこに行こうか」
そして苦しむ彼女の力になれない自分の非力さが嫌になるのも、柚葉の悪い癖であった。
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