壱の四 鋼鉄の巨人、羅生紋
巨大な蜘蛛に相対するは、ぼろぼろの外套を夕闇になびかせし鎧の巨人。鎧武者の右腕は鎖の拘束具で幾重にも覆われており、左腕よりも厚く重い。
その巨人の中に空鵞奏恵はいた。
青白い光で満ちた空間の中心に彼女は立っていた。彼女の前方には鏡が横に連なって広がり、その鏡面が巨人の視界を映し出している。それ以外には何もない。突然の事態に戸惑う奏恵の首元で、勾玉は紅の輝きを保ち続けていた。
『巫女の窮地を察知し、吾は今この瞬間に目覚めた』
声が空間に響いた。重々しくも凛とした男性の声だ。初めて聞いたが、それが巨人のものであると奏恵は理解できた。
しかし、自分が置かれている状況まではわからなかった。なぜこの不思議な空間の中にいて、これから何をすればいいのか。あの蜘蛛のような怪物や、巨人の正体は何なのか。そもそも巨人の言葉の意味さえわからない。それらを瞬時に理解できるほど、奏恵は冷静ではなかった。
だから奏恵はそれらを無視し、自分の一番強い感情に従った。
「……っ、ゆずちゃん!」
我に還った奏恵は真っ先に親友の姿を探したが、それはすぐに見つかった。自分のすぐ後ろで彼女は傷口から血を流しながら倒れていた。
「ゆずちゃんを、ゆずちゃんを、病院に連れていかなきゃ、このままじゃ!」
奏恵は狼狽していた。このまま放置していれば柚葉の命が失われてしまうことが明白であるからだ。
しかし、そんな彼女に対して巨人は冷静に声を掛ける。
『心配ない。その空間に満ちる
それを聞いて改めて柚葉の身体を見てみると、確かに彼女の傷は徐々に塞がりつつあり、流れ出た血も空間の光に触れた部分から消えていた。まるで周囲の光が彼女の傷を治療しているかのようだ。
「良かった……」
何が起こっているのかは未だに把握できていないが、柚葉が無事だということだけはわかった。奏恵の全身から力が抜け、へなへなとその場に崩れ落ちた。
しかし、その安堵は一瞬のことに過ぎなかった。
鏡に映る蜘蛛がこちらに迫った途端、空間が激しく揺れ動いたのだ。
「きゃあ!」
『大事無いか?』
「は、はい」
『ならば善し』
巨人は敵の攻撃を受けていた。ダメージ自体は些細なものであるが、反撃や防御に移る素振りも見せなかった。
「ど、どうして何もしないんですか? もしかして、私たちがいるから動けないとか……」
『否、寧ろ逆である。吾の活動には汝の存在が不可欠なのだ』
「私が……?」
『そうだ。空鵞の巫女である汝の命によって、吾の肉体は初めて動かされる』
「待ってください、私は巫女じゃありません! ただの高校生です!」
『実際の職業は関係ない。その身に宿る巫女の血がすべてだ』
「た、確かに私の家は巫女の家系だとは聞いていましたが、でもそれも祖母の代で終わって」
そうこうしている間にも蜘蛛の攻撃は続く。仁王立ちの巨人はその刃を鋼鉄の装甲で受け止めているが、このままではいつか必ず斃されてしまうだろう。
『時間が惜しい。今はただ、汝は吾に命じることだけを考えれば良い』
「命じるって、何を?」
『この五体全てが汝の意志に応じて動く。汝が右腕を伸ばそうと思えば吾はその通りに右腕を伸ばし、左を見ようとすれば左に視線を向けよう。吾は汝の
要はこの巨人そのものはアニメのスーパーロボットみたいな存在で、それを操縦するのが奏恵なのだ。アニメをあまり見ない奏恵でも、幼い頃に柚葉と一緒に見ていたこともあり知識だけなら多少はある。そのため、巨人が操縦を求めていることは比較的早く理解することが出来た。
しかし一方で、奏恵はある事実にも気づいたのだ。
「つまり、私があの化け物と戦うんですよね……?」
『そうだ。汝と吾で彼の悪鬼を滅するのだ』
奏恵は鏡に映る化け物を恐る恐る見据えた。
それは蜘蛛だ。ギリシャ神話のアラクネーの様に人間の女性の上半身を持った蜘蛛だ。
女性の肉体はそれはそれは妖艶である。だがその表皮は蜘蛛特有の光沢を持ち、女の顔も八つの邪悪な眼光が張り付いた歪なものだ。耳元まで裂けた口から覗く鋏の様な牙など、もはや人間のそれではない。
そして、蜘蛛の腹部でにたにたと嗤う口には赤い液体がこびりついている。これまでに喰われた人々の血や肉だ。いったいどれだけの人が犠牲になったのか――
「ひっ」
奏恵の全身が総毛立った。この化け物の犠牲になった人々のことを思うと胸が苦しくなり、嗚咽が止まらなかった。
何より、一歩間違えれば自分や柚葉も同じ道を辿る事になっていたかもしれない。それがとても怖ろしかった。
このままこの怪物を放っておけば自分たちは元より、さらにもっと多くの人が犠牲になる。
それはどうしても見過ごせない。
「……お願いします」
震える体を抑え、振り絞るように声を出す。
「お願いします、どうか私の大切な人を守るために、その力を貸してください!」
今までは守られるばかりだった自分でも誰かを守ることができるのならば。
せめて今だけでも、拳を振るおう。
『汝の名を問おう』
「奏恵。空鵞奏恵です!」
『御意。この《
奏恵の覚悟を受け取った巨人――《羅生紋》は宣告した。
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