[4-4] 知ったことじゃない

「……出撃命令は、まだなの?」


 釘づけになったように動かないルセリアに、エメテルは力なく頷く。


 時間ばかりが過ぎていく。

 ルセリアはソファに力なく座り込んだ。


 そんな弱々しい彼女に、イナミは、エメテルと一瞬だけ顔を見合わせた。


「いつもの『知ったことじゃない』はどうした。ラジエットを助けに行く他、何を迷うことがある」

「あたしは特務官よ。あたしの力があれば、まだ助けられる人が大勢いるかもしれない。ラジエのところに行きたい。けど、そしたら、その大勢を見捨てることになるわ。あたしはその人たちを知らんぷりできない」


 家族が命に危機にあるというのに、彼女の使命感は強い。

 元々、妹のそばにいるのではなく、もっと大きなものと戦うことを選んだ人間だ。

 無力な人々を守るために特務官はいる――


 イナミとてそれは分かる。

 種の存続を考えるなら、重要人物でもない一人より多数を優先するのは当然だろう。


 が、しかしだ。


「ルーシー、大切な人間と赤の他人を天秤にかけるな」

「あたしだってラジエを助けに行きたいわよ」


 ルセリアは立ち上がり、イナミの真正面に立った。


「でも、他の特務官や警備局にだって、あそこに家族や友達がいるかも! それでも個人の気持ちを抑えて行動してる!」

「任務だの使命だの、捨ててしまえばいい」

「指揮系統がめちゃくちゃになるわ!」

「あんただって特務官なのよ!? まだ自覚がないなら――」

「俺はそれでカザネをみすみす死なせた」


 焦燥のあまり取り乱していたルセリアが、その一言で後ずさった。

 二人の口論をおろおろと見守っていたエメテルも、イナミをまっすぐに見上げる。


「特務官として失格かもしれない。だが、これが唯一、はっきり言える俺自身の言葉だ。ルーシー、お前に俺のようになってほしくない。あのときこうしていたらなんて後悔に取り憑かれるぞ。俺とお前は違う。俺は無意識に命令を刻まれた兵器だが、お前は人間だ。人間は本来、命令に縛られる生き物じゃないはずだ」


 そしてイナミは、彼女の肩に手を置く。


「俺は、他を犠牲にしてでも、ラジエットを救いに行くべきだと思う」

「あんたは……」


 ルセリアは握り締めた拳を、力なくイナミの胸に叩きつける。それから顔を隠すように、額を押しつけてきた。


「知らないのよ。毎年毎年、あの墓地に集まる人たちの顔を」

「これから俺も覚えることになる」

「……ごめんなさい、イナミ、エメ。あんたたちまで巻き込んで――」

「待て、謝る必要はない。俺たちにはまだ命令が出ていないんだからな。要は、俺たちの行動が必然だと思わせればいいワケだ」

「え」


 顔を上げて驚くルセリアの目は、かすかに潤んでいた。

 イナミは彼女に倣って不敵に笑ってみせ、ずっと待機していたエメテルに視線を向けた。


「エメ、部隊の展開はどうなっている」

「警備局が敷地を包囲完了。ミダス体がまず這い出せない状態です。そこに小隊数個と特務部分室が突入、生存者の救助と敵の掃討を行う予定になってます」


 エメテルはモニターに〈ハニービー〉の映像を出した。


 ショッピングモールの周囲には、人員輸送車両と移動式バリケードの輪が展開されている。


 駐車場には無事に脱出できた市民で溢れ返っていた。そこで引き留められているのは、ミダス細胞の連鎖変異を機関が警戒しているからだ。

 それを察して、市民は互いに監視し合うように距離を取っている。


 警備局の兵士と特務官が、ホログラムディスプレイを用いて、突入の確認を取っている。


 ここにイナミたち第九分室が独断で乗り込もうものなら、ルセリアが危惧するとおり、いたずらに動揺を煽ることになる。

 包囲網を乱すことにもなりかねない。


 ルセリアはしがみついたままの体勢で問う。


「何か考えがあるの?」

「一旦、俺たちは離着陸場に向かい、〈ケストレル〉に搭乗する。施設の屋根はガラスの天幕だな。ということは空からの突入が可能だ」

「待ってください」


 エメテルが即座に指摘する。


「パラシュートで、ですか?」


 警備局の兵士は主に地上で展開して戦う。航空機を用いた機動展開技術は導入されていない。ミダス体が出現した地で、一部隊が降下するのは危険すぎるからだ。


 イナミも降下作戦の知識はなかったが、実行できる自信はあった。


「俺の〈跳躍ジョウント〉を使う。うまくやれば、ルーシーを連れて降下できるはずだ」


 先の遺物調査の戦闘で、イナミは粒子加速砲の反動を〈跳躍ジョウント〉で相殺した。

 落下速度と人間の体重なら、もっと楽に消せるだろう。


 エメテルは「なるほどですね」と頷いた後で、


「でも、もっと問題は飛行許可を取るのに時間が――あれ」

「どうした」

「許可、もう出てます」


 そのとき、誰かがオフィスに入ってきた。


「私たちが出した」


 浮足立つ第九分室をいさめるような、落ち着いた声だった。

 三人が振り返ると、七賢人評議会に出ていたクオノが、そこにいた。


「すぐ正式に通達されると思うけど、七賢人よりあなたたちに出撃命令」


 エメテルが敬礼を取る一方で、イナミはルセリアを抱えたまま首を傾げる。


「同じ突入方法を考えていたのか?」

「たまたま。試験したい武器があって。本当に偶然」


 クオノは誰かに似て嘘が下手だった。イナミは思わず口元を歪める。


 モニターに任務内容が表示された。イナミたちは〈ケストレル〉を使ってショッピングモールに突入することになっている。

 ポイントは、ラジエットがいる地点だ。


 それを見たルセリアが、クオノに駆け寄って抱き締める。


「クオノ、ありがと」

「私はイナミと違う。七賢人として判断。生存者は他の部隊に任せる。あなたたちは一番危険な場所でこそポテンシャルを発揮できるチーム」


 と言いつつも、そっと手をルセリアの背中に回し、


「無事を祈っている」


 と、耳元で囁いた。


 ルセリアは無言で頷くと、今度こそ颯爽と立ち上がった。


「行きましょ、イナミ。〈プロングホーン〉で出るわよ」

「了解」


 そこからの行動に迷いはなかった。

 二人は非戦闘員の少女たちに見送られ、オフィスを後にする。


 地下車庫では、メンテナンスロボットが出撃の準備を済ませていた。

 白色はくしょくの〈プロングホーン〉。大型二輪モーターサイクルは搭乗者を待っている。運転は例によってルセリア、その後ろにイナミがまたがった。


 二人を乗せた〈プロングホーン〉は公道に飛び出す。

 風を肌で感じる中で、イナミに通信が入った。


〈イナミさん。ラボからマニュアルが届きました。今からそちらに送るので、目を通しておいてください〉

〈マニュアル?〉

〈先ほど、クオノさんが『試験したい武器』って言ってたでしょう? それです〉

〈了解。把握する〉

〈それから……これを見てください。監視カメラの一つに映ったんです〉


 映像が送信される。

 施設内の通路に広がる血だまりに、突如、さざ波が起きた。まるで透明な誰かが跳び越えたかのように。


〈光学迷彩か?〉

〈かと思われます。このエリアに特務官はいません。それに施設の熱センサーにも反応がありませんし、この波の起き方はちょっと普通じゃありません。この波形、対音探査用のジャミングに似てます〉


 音探査は、遺物の調査時に使った物と同じだ。超音波を発し、動体の反応を探るものだ。

 それに対するジャミングは、超音波を撹乱し、その場にいないように見せかける技術である。


 イナミたちはこの使い手を知っている。

 シンギュラリティ、振動能力の応用だ。


〈サシャ・メイか〉

〈はい。こんなところにいるんです。ただ巻き込まれたとは到底思えません。……どうしますか?〉

〈俺がなんとかする。〈血龍シュエロン〉には伝えてくれ。こちらが緊急の対応に追われていることも含めてな〉

〈了解です。〈ケストレル〉に着いたらまた通信開きます〉


 今の話は、ルセリアには伝わっていない。


 イナミは情報を抱え込んだまま、送られてきたマニュアルデータを開く。

 そこに記されていた武器は――

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