[4-3] あの子がそれを思いついたの

 ミダス体発生の報せは、瞬時に第九分室へと届いていた。


 イナミはインナーウェアの上からコンプレッションスーツを装着する。

 首の装置を操作することで、スーツの繊維が収縮し、身体にジャストフィット。この繊維は筋電位に応じて人工筋肉の機能を担う。ナノマシン体であっても、この強化服は身体にかかる負荷を軽減してくれるのだ。

 脊椎を守る走行が多足類生物さながらに蠢いて微調整されると、前面のファスナーがかちかちと音を立てて閉じていく。


 戸棚には、特務官用の基本武器が収納されている。

 ハンドガン、ナイフ、ATP補給剤など、それらを身に着けるためのフルハーネスベルト。そして、タクティカルグラス。


 装備を整えた上から純白のクロークを纏い、イナミは装備室を出た。

 隣の個室からもルセリアが飛び出す。二人の装備に差異はない。


 オフィスに戻ると、エメテルがオペレーターシートで情報収集を行っていた。

 電脳世界に意識のほとんどを没入させながらも、二人の気配を感じ取ったらしい。彼女はデスクに向いたまま、現在の状況を説明する。


「ミダス体が発生したのは、第二地区のショッピングモールです。パニックが起きてて、避難は間に合ってません」


 ルセリアが日頃見せないような、恐怖と憎悪が入り混じった表情を浮かべた。


 ――そうだ。


 イナミはすぐに思い出す。そこは三年前、彼女が大発生に巻き込まれ、家族を失った場所ではないか。


 ルセリアは、エメテルに感情の抜け落ちた声で確認した。


、じゃなくて、、なのね?」

「はい。施設の防衛装置が稼働してますが、すでに犠牲者多数。ミダス体はものすごい勢いで増殖してます」


 人が密集した閉所は、ミダス体が脅威を振るうのに適した環境だ。

 モニターに表示された施設内の生体反応は、エントランスに近いほど『異常熱源』を示す赤色に染まっている。


 イナミは〈ザトウ号〉を否応なしに想起してしまった。システムに逃げ道を封じられ、抵抗空しく無重力を漂う屍たちを。


 施設の外では、いち早く駆けつけた警備局の部隊が戦闘を開始しているようだった。特務部分室は、それぞれ命令を受け次第、この戦闘に投入される予定だ。


 歯がゆそうに画面を見ていたルセリアは、不意に目を丸くして指差した。


「ちょっと見て。生存者がいるわ!」


 まばらに点在する緑色の光が赤色と接触して消失する中、二つの光が施設内を逃げ惑っているようだった。エントランスどころか、施設の奥へと向かっている。


 それまでずっとこちらを見なかったエメテルが、ようやく振り向いた。

 可憐な顔がひどく強張っていて、絞り出す声も凍えているかのように震えている。


「ルーシーさん、落ち着いて聞いてください」

「何? あたし? 落ち着いてるわよ。なんなの?」

「……リストデバイスの発信から逆に辿って、登録されてる市民の名前を調べたんです。そしたら、そのラジエット・イクタスさんという名前が出てきて――」


 ルセリアの上半身がぐらついた。

 そう見えて、イナミは彼女の背中に手を回そうとした。

 が、ルセリアは自分の力で踏みとどまった。


「ちょっと、嘘でしょ」

「こんな嘘なんて言いません。本当なんです。何度も確認しました」

「だって、そんな、これがあの子だって言うの?」

「でも」


 エメテルは悲痛な顔のままで補足する。


「ラジエットさんは冷静に行動してます。正しい判断だと思います」

「正しいって、何が!?」

「ルーシーさん、考えてみてください」


 エメテルはやや低い声で、ルセリアに思考を促した。


「変異したてのミダス体が徘徊する施設で、シンギュラリティは使えない。武器もない。他に人がいっぱいいて、あちこち逃げ回ってる。そういう状況で、ために、ルーシーさんならどうしますか?」

「どうって――」


 ルセリアは、はっとまぶたを見開き、琥珀色の瞳を揺らした。


「あの子が『それ』を思いついたの?」

「あるいは、誰かから教わってたか、です」


   〇


 ラジエットとティオは、すぐに施設のエントランスに辿り着いていた。


 そこはすでに、逃げ出す人々が押しかけ、怒号と悲鳴が飛び交っていた。

 二人は一瞬、この光景にひるむも、後ろから来た市民に押されて人の塊の一部と化してしまう。


 スムーズに避難できない理由は明白だ。

 数年前の大発生を省みて拡張されたエントランスも、やはり狭すぎるのである。

 加えて、中には老人や子供もいる。全員が全員、急ぎ足で出れるわけではないのだ。


 大勢の体重がかかって、苦しげな嗚咽もラジエットの耳に届いた。

 これでも二人は早期にエントランスへ到達できたほうだった。ラジエットの迷いのない行動が功を奏したのだ。


 とにかく、人の流れは確実に施設の外へと動いている。

 二人はこのまま助かるだろう。そのはずだった。

 しかし――


「おかーさ……」

「え」


 ラジエットは、子供の泣き声を聞き留めた。

 もぞもぞと顔を向けると、店舗の奥に、八歳ほどの男の子が取り残されている。よりにもよって物陰に隠れていた。

 市民はみな、出口の方向だけを見ていて、男の子に全く気づいていない。


「――……」


 ラジエットは迅速に決断を下した。


「ティオ」

「な、何?」

「このままここを出て」

「出れるでしょ、このままなら。何言ってるの?」

「あの子を助けなきゃ」

「ら、ラジエット……!?」


 ティオが呼び止めるのも聞かずに、ラジエットは人ごみを横方向に泳ぎ出した。

 友人の声はすぐに聞こえなくなった。

 あらぬ方向へ動くラジエットに、大の大人が罵声を浴びせた。が、そんなもの、ラジエットの耳には入ってこなかった。

 川岸、店舗スペースに上がろうとしたとき、ラジエットは弾き出され、床に転倒した。


「っつぅ……」


 やはり、市民は目もくれない。

 近づいてきたのは、皮肉にも、ぐすぐすと泣く男の子だった。


「大丈夫?」

「平気だよ」


 と、ラジエットは笑みを浮かべたつもりだった。男の子が全く安心していないところを見るに、頼もしさは皆無らしい。


「ママはどこ?」

「分かんない。多分、あっち」


 はぐれてしまったのだ。ラジエットは悟り、男の子の手を握って立ち上がる。


「私と一緒にママのところまで行こう。ね?」


 男の子がうんと頷いた。

 ラジエットは濁流へと戻ろうとした、その足を止める。


 人々の絶叫が響き渡る。

 ミダス体が防衛装置を突破し、濁流の最後尾に追いついたのだ。


 衣服のぼろを纏った化け物の群れが、異常発達させた腕を振るい、市民を引き剥がす。放り投げる。刺し貫く。押し潰す。

 施設の壁に、柱に、鮮血がべったりと飛び散る。人だった物の一部も。


 男の子の背の高さでは、何が起こっているか見えないだろう。

 ラジエットは口を手で押さえる。それでも、思考回路だけは不思議と正常に働いていた。


 ――ダメだ。今から出口に行っても、間に合わない。


 男の子を連れて店舗へと引き返し、奥のドアを開けて飛び込む。

 逃げ込んだ先は、スタッフ用通路だった。

 商品を搬入するために、幅が広く取られている。つまり、搬入口がある。


 ラジエットはそちらへと駆け出そうとした。

 が、その逃げ道もすでに塞がれていた。


 曲がり角から、スタッフが必死に逃げてくる。

 ラジエットたちに何か言おうと口を開きかけ、

 異形の手に首根っこを掴まれた。

 別店舗ブースの奥へと引きずり込まれ、床に血がぱっと広がる。


 男の子が悲鳴を上げる前に、ラジエットはその口を手で塞ぎ、素早くささやく。


「声を出しちゃダメ。あの怖いのが来る。我慢するの。いい?」


 男の子が頷いたかどうかを確かめる余裕などない。


 ラジエットは出口とは反対に、ショッピングモールの奥へと逃げ道を見出した。

 記憶が蘇る。


『ヤツらは目についた獲物を追う。人が逃げていく場所に集まっていくわ』


 脳裡に響いた声は、母親、ロスティ・イクタスのものだった。


『だからこそ、に隠れるのよ』


 ラジエットは一縷いちるの望みに命を懸け、男の子の手を引いた。

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