[4-2] 怒られて済むなら

〈アグリゲート〉において、企業はまだ力を取り戻していない。

 インフラ事業の他、市民の生命維持に必要不可欠な、たとえば食糧生産プラントは、〈デウカリオン機関〉の内務局が管理運営をしている。


 一方、企業は余剰資源を仕入れ、市民の生活水準に関わる物を生産している。

 ファッション、雑貨、娯楽などだ。

 そこには再興スポーツの道具も含まれる。


 午後。その日の授業を終えたラジエットは、ショッピングモールを訪れていた。


「うーん、決まんにゃい」


 と、友人のティオが困り果てた様子でぼやく。

 新しいシューズを眺めている間、ひくひくと動いていたイヌの立ち耳は、ほんの少しだけ垂れ気味だ。


 当人曰く、耳は『イイモノセンサー』なのだという。

 目で見て決めるのに、どうして聴覚が決め手になるのだろう――とは、ラジエットが常々疑問に思うところだった。実際に訊いても、『この子が語りかけてくるんだよう』と言われるだけで、全く理解できない。


 さておき、ラジエットは「うー」と唸り始めたティオを優しくなだめる。


「また今度にしたら? その日の気分もあるし」

「あるある、それある。そうしよっかなー」


 こちらを見ている店員に、二人は頭を下げてブースを後にした。


 ショッピングモールは三階建てで、『アーケード通り』を模した巨大施設だ。

 上階は、通りの中央が吹き抜けとなっていて、一階の様子を覗くことができる。

 屋根は降雪にも耐えられる丈夫なガラス張りで、今日のように天気がよい日には、日光が屋内を柔らかく照らしている。


 スポーツ用品店は二階にあった。

 手すり側に立ったラジエットに、ティオはしゅんと肩を落として謝る。


「なんかごめんね、ラジエット。カタログで大体決めてたんだけどなー」

「別にいいよ。迷ってるティオ、見てるの楽しいし」

「何それー」


 笑い合っているうちに、ラジエットはふと思い出した。


「あ、じゃあ、少し付き合ってほしいんだけど」

「いいよー。なになに?」

「プレゼントを探したいの」

「それって、あの男の人に?」

「だから、ミカナギさんと私はなんでもないんだって」


 これで何度目の否定になるのだろう。ラジエットはむっとなって強く言った。


 が、ティオのほうがむしろ熱心に思い出している様子だ。


「真面目ワイルドって感じのカッコいい人だったなー」


 ラジエットはそんな友人に思わず微笑みながらも、さりげなく言った。


「あのね、お姉ちゃんと、ちゃんと話したいの」

「ほー……」


 ティオはラジエットをじっと見つめた後で、ぱっと笑顔を輝かせた。


「じゃあ、私の『イイモノセンサー』にお任せあれ! びしっとばしっとプレゼントを選んじゃうぞー!」

「うん、頼りにしてる」


 ティオには自分の身の上を明かしていた。彼女と同室で暮らし始めてから初めての祝日、家族と過ごさないの、と尋ねられたときのことだ。


 ミダス体に襲われた経験を話す辛さは、あの光景を振り返ることだけではない。死を漂わせる不吉な存在だと拒まれることだ。潜伏体と化しているのではと疑われることだ。


 だが、ラジエットは、ティオには明かそうと決心した。

 人見知りがちだった自分に積極的に踏み込んできてくれた。親友だと思える存在なった。次第に、自分の事情をごまかすのが裏切りに思えて心苦しくなった。だからだ。


 果たして、ティオは真剣に話を聞いてくれた。最後には優しく抱き締めてくれた。

 そして話をことさらに重く受け止めることなく、今もこうして一緒にいてくれている。


 その気軽さがラジエットにはありがたかったし、変わるきっかけになった。


 拒んでいたのは、自分のほうだったのではないだろうか。

 姉に対しても、そうだったのではないか。


 ティオに出会っていなかったら、こんな気持ちになれていなかった。

 ラジエットにとって、ティオはかけがえのない友人だ。

 彼女は今も、乗り気でラジエットに尋ねるのである。


「どういう系のプレゼントって決めてるの?」

「それが、まだ……」

「お姉さんの好きな物は?」

「……分からなくて」

「じゃあさ、ラジエットの好きな物でいいんじゃないかな?」


 思ってもみなかったアイデアだ。

 ラジエットは「私の……」と考え込んだ後で、困り果てる。


「改めて言われると、思い浮かばないんだけど」

「まーまー、色々歩き回ってみようよー」

「う、うん」


 好きな物、とは違うけれど。

 ラジエットはここのところ、カメラに興味があった。

 応接室に写真が飾ってあるのを見て、である。それから〈アレクサンドリナ女子寮学校〉所有の機材を使わせてもらい、扱いを覚えている最中だった。


 現代の技術で一から製造されたフィルムカメラだ。

 撮影機能ならリストデバイスにも搭載されているし、デジタルデータでの保存が一般的なこのご時世、フィルム購入やら管理やら、コストは高くつく。


 しかし、ラジエットはフィルムカメラの『味』が好きだった。撮影、現像という手順を踏んで印刷された写真が好きだった。不思議と、撮った瞬間の『音』と『匂い』まで感じられる気がしたのだ。


 ――そういえば。


 ラジエットはリストデバイスを見下ろす。

 家族で撮った写真があったはずだ。

 そのデータは、今は誰も住んでいない家に保管されている。


 ――今度帰って、取ってこよう。


 そう漠然と考えながら、ラジエット好みの雑貨を扱っている店、というよりは、ティオの行きたい場所へと連れ回されて、しばらく。


 吹き抜けの下から騒ぎが聞こえてきた。


「ん? どーしたのかな」


 手すりから身を乗り出して覗き込むティオの隣に、ラジエットも立つ。


 一階では、道行く人々が何かを忌避するように左右へと分かれていた。

 見ると、三十代の男性が酔っ払いのようにふらふらと歩いていた。柱にぶつかって転倒すると、それきり起き上がれず、激しく咳き込む。口からは唾液が滝のように垂れていた。


 ティオが「わ」と顔をしかめる。


「なんかの病気なのかな。救急呼んだほうがいーよね――」


 音と景色がフラッシュバックする。



『きみ、そこに座っていなさ――』

『うる、さい!』


 その男の人は、助け起こそうとしたパパの手を引っ掻くように払いのけた。


『……ッ』


 パパは衰弱していたように見えた男の人の豹変ぶりに驚いて後ずさる。


 私たちを見ていたママが、怒って男の人に歩み寄ろうとした。

 だけど、パパは苦笑いを浮かべ、かぶりを振って制止する。


 結局、男の人はパパに言われたようにベンチに座り込んだ。手にした酒瓶を何度もあおるが、中身はすでに空っぽである。


『行こう、ロスティ。警備員は呼んだんだろう?』

『ええ……』

『ほらほら、きみはもう特務官じゃないんだ。人に任せよう』

『そう、ね』


 私は二人の話をぼうっと聞いていた。男の人に気を取られていた。


 前を見ているようで何も見ていない目、汗まみれの赤くなった肌、薄く開いた口から洩れる意味不明な言葉とよだれ。とにかく全てが気味悪い。


 生まれて初めて覚える種類の不安から、パパと手を繋ごうとする。

 が、パパは何かを気にして手を引っ込めた。

 代わりに逆の手を差し出されたので、変だな、と思いつつそちら側に回った。



 引っ込められた手は。

 さっき男の人に叩かれた。

 隠すように握られた拳の中で。

 血が滲んでいたなんて思いもしなくて。



「――ット! ラジエット!」


 激しく頭を揺さぶられて我に返る。

 気づくと、ティオが肩を掴んで叫んでいた。


「何やってるの!?」

「え」


 ラジエットは持ち上げていた自分の手の行方を目で追った。

 指先で非常警報装置を押している。

 徐々に意識が戻ってくるにつれ、ショッピングモール内にサイレンが鳴り響いていることに気がついた。


 そうだ。このサイレンは、自分が鳴らしたものだ。

 なぜ?


 無意識の行動に理解が追いつく。


「その人に近づいちゃダメ!」


 一階に向かって大声で叫んだラジエットは、逆にティオの腕を強く掴んで、最寄りの出口を目指す。


「ちょ、ちょっと、どうしちゃったの、ラジエット!?」

「いいから。行くよ!」

「こ、こんなことしたら怒られるよ……?」

「怒られて済むなら、いいの!」


 ラジエットの鬼気迫る剣幕に、ティオは怯えて口をつぐんだ。

 他の利用客も、火事なのか、先ほどの少女の警告はなんだったのか、と戸惑いながら出口へと向かい始める。


 倒れていた男は、天井を恍惚とした表情で仰ぎ、けたけたと笑い始めた。

 サイレンが福音にでも聞こえていたのかもしれない。その異常行動ぶりから独りだけ取り残された。


 ラジエットたちが駆け足でエスカレーターを下りていると、今度はリストデバイスが警報を鳴らし始める。

 利用客全員の腕から、プロモーションを流すモニターから、モデルを投影するホログラムシアターから、赤い光が洩れ出した。


 ティオはあちこちに視線を巡らせ、愕然と呟く。


「う、嘘でしょ?」


 ラジエットにはどんな警報か、わざわざ見ずとも分かった。

 ミダス体が発生したのだ。

 場所は、ここ、ショッピングモールで。



 男の絶叫がほとばしる。

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