[3-6] 技がなっていない

 ベルタが右手でベルトから針を引き抜き、イナミの胸部を狙って投擲する。


 イナミは身体をねじるように避けながら、さらに巻き込んだナノファイバーを〈跳躍ジョウント〉で断ち切る。


 ここで、ベルタの判断は素早かった。ナノファイバーの結界ではイナミを仕留めることはできない。そう考えたらしく、左手を蠢かせた。


 空間が糸の震える音で一気に満たされる。

 ナノファイバーの全てにシンギュラリティの振動が伝わり、支点に使われていた柱が呆気なく切断される。


《ちょーッ!?》


 エメテルの悲鳴を聞いている余裕はない。

 ナノファイバーが全方位から時間差をつけて迫ってくる。


 ならば、とイナミは真上に〈跳躍ジョウント〉。天井に手と足をつけて身体を固定し、頭を床に向けた状態でベルタを見下ろす。


「トカゲ男……!」


 ベルタが歯噛みするように唸りながらも、新たに結界を展開する。


 キリがない。

 そもそもナノファイバーは五本の指の射出装置から出ているはずだ。こんな四方八方から糸が飛んでくるのはおかしい。


 イナミは目を凝らし、結界を観察する。


 周りの物体に巻きつきながら、糸同士も絡み合い、まるで編み物のような『目』ができているのが分かる。

 恐らくベルタは、状況に応じた最短距離で振動を送り、目標を攻撃しているのだろう。


 そうと分かれば――


 ベルタの手元から再び針が放たれる。


 イナミは手足の力で天井から離れた。背後でこすこすとコンクリートが貫かれる音を聞きながら、思い切ってナノファイバーを踏みつけた。

 足裏からふくらはぎにかけて、ざっくりと切り刻まれる。

 勝つためなら安い犠牲だ。とりわけナノマシン体にとっては、この程度。


「――ッ!?」


 技をしかけている側のベルタは、そのポイントがいかに重要かを熟知しているだろう。表情が明らかに歪んだ。


 が、遅い。

 イナミの〈跳躍ジョウント〉と同時に、振動していた糸の目が一気に弾け飛んだ。


 結界が緩む。前方が開ける。


 ベルタが右手の射出装置からナノファイバーを発射。イナミを直接貫くつもりのようだ。

 イナミは低姿勢でそれをかわし、


「……――」


 両者ともに息を止める。

 二人はほとんど正面から密着するような距離で静止していた。


 ベルタの両手は虚空に伸び、

 イナミの右拳は彼女の心臓を狙う位置で寸止めされている。


 ぷしゅ、とイナミの背中から熱い吐息が洩れた。


「これで俺の力は分かってもらえただろうか」

おおむね。だけど、一つ手落ちがある」


 ベルタはなんの気もなしに手を引き寄せ、イナミの胸にそっと添えた。

 掌底。

 そこから、レールガンを撃ち込まれたときと似たような衝撃が、


「ごはっ……」


 イナミの胸から背中へと突き抜けた。


 パルス光が切れかけのフィラメントのように激しく明滅する。イナミの生体機能が一時的にショートしかける。


 崩れ落ちるところを、ベルタに掴まれた。

 無理矢理振り払おうとするが、却ってその力を利用された。足をかけられ、身体が軽々と浮く。背中から床に叩きつけられた。


「くっ……」


 起き上がろうとしたイナミの腹に、柔らかい感触が乗る。

 ベルタの尻だ。

 彼女はイナミに馬乗りになって、針の切っ先を喉元に突きつけていた。


「言ったはずよ。に振動を与えると。迂闊に近づくは危険と知るべし」

「……覚えておこう」


 答えながら、イナミは身体をチェックする。内臓が損傷しているようだが、そこまで甚大ではない。手加減されたのだろう。


 明瞭に言葉を紡ぐイナミに対し、ベルタは針を引き、太腿のベルトにすっと納めた。


「大した再生能力ね。それも『液体金属』の恩恵?」

「そんなところだ」

「丈夫で何より。師父が『殺すつもりでやれ』と仰った理由が分かった」


 と、彼女は微笑を浮かべる。

 初めて見た彼女の表情だが、それは単なる笑みではないように思えた。

 ベルタは身体を倒し、イナミの頭の横に手をついた。熱っぽい吐息が外骨格にかかる。


「ただし、技がなっていない。力づくで、乱暴」


 今の彼女は、キツネの特徴を持つ分化人というだけでなく、本当に――そう、おとぎ話でいうところの、妖狐がヒトに化けているかのような、蠱惑的な異常さがあった。


 イナミは直感的に身の危険を――命とかそういうのではなくて――を感じ取った。


「あなたの未熟さを分からせてやりたいけれど……お仲間が来たようね」


 モーターサイクルのホイール回転音がビルの前で停まった。

 足音が階段を慌ただしく駆け上がってくる。


「イナミ!」


 フロアに飛び込んできたのは、ルセリアだった。戦闘を想定してか、コンプレッションスーツを着用している。

 リストデバイスをフラッシュライト代わりにしていた彼女は、フロアの中央で灯る青白い光に気がついた。


「イナミ、だいじょう……ぶ?」


 そうして彼女が目にしたのは、イナミに覆い被さるベルタの姿だ。

 イナミはその下から答える。


「このとおり生きている。手合わせはもう終わった」

「終わったの? つもりだったんじゃなくて?」


 不機嫌という不機嫌を煮詰めたような声だった。

 にもかかわらず、顔からは感情が欠落していた。


 イナミは、今まで感じたことのない種類の恐怖に襲われる。


「な、なんのことだ? ベルタ、もういいだろう、どいてくれ」

「……ふうん?」


 ベルタはイナミのフェイスマスクと、ルセリアとを交互に見比べただけで、すぐに腹から離れようとはしなかった。


 イナミは「あ、あー……」とルセリアに話しかける。


「上に気をつけてくれ。ベルタの投げた針が刺さっているし、柱も切れて――」

に気をつけたほうがいいのは、あんたのほうだと思うけど」


 まったくもってそのとおり。

 イナミはぐうの音も出ず、困窮してしまう。


 氷点下のルセリアをからかうように眺めていたベルタは、満足したのか、憑き物が落ちたように笑みをふっと消した。

 ようやく軽い身のこなしで立ち上がり、軽く腕を振るう。展開されていたナノファイバーが指の装置に巻き取られた。イナミに断たれた物は、そのままだ。


「帰るわ」


 ベルタは飄々ひょうひょうとルセリアの横を通り過ぎた。

 刹那、


「うぶな子。可愛いわ」


 ルセリアはきょとんと立ち尽くす。が、すぐに赤面して振り返った。


「たちが悪いわよまったくもう!」


 一息に捲し立てる彼女の怒声が冷え切った空気にびりびりと伝わった。


 ベルタはどこ吹く風だ。拾い上げたコートの袖に手を通し、何事もなかったように去る。


「なんなのあいつ!」


 ルセリアは握り締めた手をぶんぶんと振るって、彼女の背中を見送った。


 イナミはようやく呪縛を解かれた気分で立ち上がり、外骨格を解除する。インナーウェアの下にシンギュラリティを受けた痕は残っていない。体内損傷の心配はなさそうだ。


 もしもベルタが本気だったら――


「……そうだったのか」


 ぼんやりとした呟きに、ルセリアがむすっとした態度で尋ねる。


「何が『そう』なの?」

「ベルタのシンギュラリティは振動能力だ」

「それで?」

「サシャも同じ能力だった。二人の力は、触れた物を振動し、加減によっては破壊もする。俺はあの攻撃を受けたんだ」

「……よく分からないけど、ベルタに同じ方法でやられたってワケ?」


 ルセリアは急に冷静さを取り戻して腕を組む。


「そういえば、サシャと戦ったのが誰か、やけに気にしてたわ」

「それで試されたのかもな。どうも俺はヴァシリだけじゃなく、ベルタにまで目をつけられたらしい」


 ルセリアは肩を竦めるように息を吐いた。


「はっ、よかったじゃない。あの人、綺麗だし」


 ダウンジャケットと紙袋を拾い上げたイナミは、ルセリアの言い草に首を傾げる。


「今の話に関係あるのか、それ」


 ルセリアは答えなかった。


 今の彼女は少し子供っぽい側面が強いように思える。まだ十六歳なのだから、そういう側面があって当然なのだが。

 余計に怒らせかねないので、イナミは指摘を控えた。


 ふと、柱に刺さったままの針を見つける。それをおもむろに引き抜き、見様見真似で投擲してみた。

 ところが、針はまっすぐ飛ばず、腹から鉄骨に当たった。

 ベルタは簡単そうに投げていたが、その実、鍛錬が必要な技術だったのだ。


 ――技がなっていない、か。


 イナミは彼女の言葉が妙に気になりながらも、ルセリアに「帰ろう」と声をかける。

 彼女はやはり無言で、こくんと頷いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る