第3章 姉妹

[3-1] なんでそっちに妄想を

 サシャ・メイ。

 年齢は二十三歳。男性。分化傾向あり。頭部、聴覚器にイヌ科近似特徴。

 十三歳まで父親からの虐待を受ける。その八月に両親が死亡。以来、ヴァシリ・ヤンが保護者となり、二十二歳にして失踪。


 顔写真もある。妹のベルタ・メイに似て、女性的な面影の強い美人だ。

 金髪、金色の瞳。キツネのような毛に覆われた立ち耳。


 武術にひいで、特に剣術を得意とする。

 シンギュラリティは振動能力――


 それが、機関に登録されたプロフィールと〈血龍シュエロン〉側の情報と組み合わせた、白面の男に関する情報だ。


 行方の手がかりは皆無である。


 エメテルが都市の監視システムを覗きながら、遺物取引で逮捕された男たちのネットワークを逆探知している。

 が、犯罪に使われる回線、サーバーは、当然、機関が管理している設備とは異なる。利用者が逮捕されたという情報は素早く伝わって、とっくに閉鎖済みだった。


 つまり、第九分室はサシャ・メイの尻尾を掴めずにいた。

 となると、仮想空間での活動能力を持たないイナミは暇になるわけで。


「ありがとうございましたーっ」


 マーケットの出入り口で、広告ホログラムチラシ張替えプログラミングをしていた店員に、明るい声で送り出される。


 イナミは紙袋を腕に抱えていた。都市散策の帰り道、オフィス詰めのエメテルに差し入れを持っていこうと考えたのである。

 栄養糧食か、はたまた。

 とりあえずポテトチップスを選択してみたのだが、


 ――なぜ、バリエーションがやたらと豊富なんだ。


 商品棚をしみじみと思い返す。

 おかげで『味が全く想像できないフレーバー』を探すのに困りはしなかった。


〈アグリゲート〉の市民には、この奇天烈な味つけが好評なのだろうか。もしかすると、食品は加工された物ばかりで刺激が足りないのかもしれない。いや、だとしても極端だろう。


 ぼんやりと吐き出した息が白く染まり、茜色が差しかかった空に霧散するのを見届け、宿舎に帰る道を辿る。


 散策は、イナミが〈アグリゲート〉に来てから続けている、一種の訓練だ。


 目的は二つ。

 地上環境への順応。

 そして、地理の把握。


 宇宙船の一室で過ごしてきたイナミは、方向感覚が発達していない。その上、機関と敵対したときは逃走経路を瞬時に導き出さなければならなかったのだ。

 様々なサポートを受けられるようになった今でも、不慮の事態に陥ったときのため、あえて地図を見ずに宿舎へ帰れるか試しているのである。


 この日に通った地区は、無個性な煉瓦造の街並みではない。

 よく手入れされた並木や花壇、他と異なるデザインの街路灯や車両防護柵が、上品な景観だった。内務局に所属する地区長が発展に力を入れているのだろう。


 すれ違う人々も落ち着いた服装である。これが繁華街となると、人の目を引くための派手な出で立ちが多くなる。


 人間以外の生物も多い。

 小鳥が木々に止まり、壺型の巣を作っている。玄関前で餌を与えられた野良猫が、建物の隙間へと潜り込む。それを見た飼い主と散歩中の犬が吠える。


 どうもこの地区は、時間の流れがゆっくりに感じる。


 そこにふと、人の騒ぐ声がイナミの耳に届いた。

 何事かと向かってみると、高い鉄柵に囲まれた敷地の中で、若い少女たちが歓声を上げながら飛び跳ねていた。


 念のため、リストデバイスを覗く。通知はない。事件ではない。

 では、何が行われているのだろうか、とイナミは柵越しに観察する。


 芝生のコートで、二組の色つきベストビブスを着た少女たちが、柄の長い杖を振っていた。


 杖術のような格闘技ではない。


 杖の先には網がついており、その部分を使って、一つのボールをキープ、パスし、コート両端のゴールにシュートする競技のようだった。


 一見、網はボールを取りこぼしそうな浅さである。杖を振るのではなく回し、遠心力をかけることで保持し続けている。巧みな操作だ。


 このスポーツが、復元されたものなのか、新たに作られたものなのか、イナミには分からなかった。

 ただ、宇宙船〈ザトウ号〉の船員たちが、スポーツの話をしていたことを思い出す。どこのチームが優勝するか、どの選手が活躍するかで盛り上がっていたのだ。


 ふ、と微笑の息を洩らす。イナミは素早く動く少女たちに感嘆しながら、敷地を離れようとした。

 そのとき。


「ラジエット!」


 イナミは弾かれるように振り返った。

 もう一度、コート内にくまなく視線を走らせる。


 選手は一チームにつき七人ほど。一人はゴールを守るキーパーなので、十二人が入り乱れるように走っている。


 その中で、ちょうどボールを受け取ったのが、ブルネットの髪の少女だった。

 ゴーグル型のアイガードで目を守っている。それが一瞬、タクティカルグラスを着けた同僚の横顔に重なった。よく似ていた。


 少女の顔立ちはまだ幼い。髪型もサイドテールではなく、ショートヘアだ。


 とにかくも間違いない。

 ルセリアの妹、ラジエット・イクタスだ。


 身体能力に優れた分化人が選手に多い中、ラジエットは機先を制すように動く。

 マークがついて身動きが取れなくなる前に、空いているプレイヤーへとボールを渡し、自分が自由になると、ブロックの隙間へと移動する。そうして再び、パスを受けるのだった。


 イナミは思わず唸る。

 まるで特務部のような、個々の能力を活かした戦い方である。しかも視野が広く、相手の動かし方をも理解している。本人が意識してやっているのだとすれば、確かな逸材だ。


 すぐ立ち去るつもりが、ラジエットに注目しているうちに結局、試合の終わりまで見届けてしまう。


 試合を終えた少女たちはビブスを脱ぎ、両者混合となって笑い合っている。

 その中心にいるラジエットも、年相応の純朴な笑顔になっていた。


 ――ああいう顔もできるんだな。


 共同墓地公園で見た、伏し目がちな、厳しい表情は、そこにはなかった。

 イナミは安堵と心苦しさがない交ぜとなった思いで、今度こそ踵を返そうと――


「あ」


 ラジエットの声が聞こえた。視線はこちらを向いている。

 初めは見覚えのある男が立っている程度の認識だったのだろう。だが、すぐに何者かを思い出したようで、その場に棒立ちとなる。


 周りの少女たちが異変を怪しみ、ラジエットの見ているほうを向く。

 かくして、イナミは視線の集中砲火を浴び、撤退の機を逃したのだった。


「あー……」


 投降する犯罪者のように、イナミは手を挙げる。

 ラジエットははっと我に返り、鉄柵に駆け寄ってきた。


「あ、あの……お姉ちゃんの、同僚の人……ですよね?」

「イナミ・ミカナギだ。たまたま通りかかった。ナイスプレイだった、ラジエット」

「あ、ありがとうございます。って、私の名前……」

「ルセリアから聞いたんだ。というワケだから、俺はこれで――」

「待ってください!」


 ラジエットは、自分の大声に驚いた様子だった。抱えるように持っていた杖をぎゅっと握り締め、口をつぐんでしまう。


 イナミはじっと待った。


 お互い無言になったのを察してか、ラジエットの友人が彼女の隣に立つ。イヌの立ち耳が特徴的で、明るい褐色の肌を持つ少女である。


「なになに? ダメだよ、ラジエットが可愛いからってつきまとっちゃ。そういうの、ストーカーって言うんだよ?」


 あまりにもあんまりな決めつけである。

 そういう風に見えるのだろうか。イナミは顔にこそ出さなかったものの、内心ではいたく落ち込んだ。


 ラジエットが慌てふためき、友人とイナミとを交互に見る。大きく開いた目は姉と同じ、琥珀色の瞳だった。


「ち、ちが……ティオ、違うよ! この人、特務官!」

「え、じゃあ、ラジエット、悪いことしたの?」

「それも違うって! ちょっと知り合いってだけ!」

「――はっ、まさか、お見合い相手……?」

「なんでそっちに妄想を広げるの!?」


 いちいち肩をいからせて否定したラジエットは、相手にしているときりがないと思ったか、がし、と片手で鉄柵を掴んだ。


「あの、ミカナギさん」


 やや萎縮気味となったイナミに、彼女はまくし立てる。


「ゆっくりお話しできませんか? あっちに寮があるので、そちらで――あ」


 ふと気づいたかのように、語気を弱める。


「でも、お忙しいようだったら……」


 話。

 ラジエットとの共通の話題は一つしかない。ルセリアのことだろう。


 心に引っかかるとはいえ、彼女の知らないところで首を突っ込むのは、一般的にいうところの余計なお世話ではなかろうか。


 かといって、無下に断ることもできない。目の前のラジエットの真剣さと、遠い目をしているルセリアを思えば。


 ――無関係なんかじゃない。同僚のことだ。


 イナミは逡巡の末、リストデバイスの時間と通知を確かめてから頷く。


「構わない。話を聞こう」


 ラジエットはほっと息をついて、それまで硬かった表情をやわらげた。

 ちょっとした感情の出方も姉にそっくりだ。


 イナミは、少女の微笑に確かな血の繋がりを感じた。

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